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「南海様は怪談をお聞きになってる最中倒れられたんですよ。ここは小屋の控室です」
そうや、お奉行に流行りの怪談がどんなものか見て来いと命じられて、いやいや小屋に来たんやった。
そして想像以上におどろおどろしい雰囲気のまれ、緊張が頂点に達したときに噺のオチがきて耐え切れずに意識を手放したのだ。
「それにしてもよく僕が音だってわかりましたね。旦那様以外で僕等を見分けられた人って初めてです」
「まあ僕もうまくは説明でけへんのやけど…」
顔も形も同じだが、何となく身に纏う雰囲気が違うのだ。強いて言えば雷の方が少し幼く、音の方は落ち着いた印象を受ける。
「南海様、よかった。お目覚めになられて。ご気分はいかがですか?」
「大丈夫です。ご迷惑をおかけして、ほんますみません」
いたわるように麦茶を差し出す三越に、南海は恐縮して頭を下げる。
「それにしても意外ですね、南海様が怪談を苦手だなんて。でも何故苦手な怪談を聞きに?」
「…お奉行の命令でして」
「あの人はまったく……」
三越が憐れむように南海を見つめた。
「三越さん、お客人の様子はいかがですか?」
そういって先程まで壇上にいた優男が部屋へ入ってくる。舞台を降りてまじまじと見ると、先ほどより血色は良いもののひょろひょろとしたひ弱な印象は変わらない。猫背で黒眼鏡をかけた男は人のよさそうな笑みを浮かべている。
「ああ、もう大丈夫のようですよ。東武さん」
「それは良かった。初めまして、東武と申します。僕の舞台、お客さんが倒れることは珍しくないんです。今回のは新作だったんで反応を心配していたのですが、倒れるくらい怖いのなら大成功です。よかったよかった」
南海的には全然よくないのだが、怪談というのはそもそも聞き手を怖がらせてなんぼなので、そういった意味で東武は安心したようだ。
「初めまして、南海と申します。失礼ですが、東武殿は怪談を生業としているのですか?」
怖いものが苦手な南海だが、あれほど小屋を埋める人気があるのならば、どこかで名くらい聞いていてもおかしくないようなものだ。だが、不思議なことに東武の名を見聞きしたことは一度もなかった。
「いえいえ、僕の仕事は…そうですね。民俗学者とでもいえばわかりやすいですかね。地方を巡って、地域伝承を文章化することなんです。仕事で見聞きしたものの中にはこういった怪談話の基みたいなものもありますから、それを怪談に仕立てて小遣い稼ぎをしてるわけです。普段はこういったものが好きな方のお屋敷などで披露しているのですが、ちょうどこの時期、調査の報告書を提出しに江戸に戻ってくるものですから。ここの小屋を借りての小遣い稼ぎは渡りに船だったんです。小屋も格安で借りられましたし」
なるほど、芝居をするにはせいぜい七つまで。暮れ六つ以降ともなれば先程のように舞台は闇に包まれる。到底、蝋燭の明かり程度では薄暗くて役者の所作などわからない。借り手がつかぬ時間の小屋の賃料は確かに格安だろう。ついでに芝居には不向きでも、この暗がりは怪談にはもってこいだった。舞台の中心にうすぼんやりと浮かび上がる語り部。客は見えないことで想像力が働き、恐怖が増幅される。
「ご神木、菊理(くくり)の桜は本当に見事でした」
「菊理の桜?」
「この噺の題材になった桜の木です。縁結びの神である菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っているんですよ。高尾山の一角にこのご神木に続く一本道があるのですが、それはもう見事な桜並木でして。菊理峠と地元では呼ばれているようです。最も、山道ですから修験者や地元でも慣れた者以外はあまり近づかないようですけど」
「本来なら、この菊理峠にほど近い村々に行く予定だったのですよ。残念ながらお上の許可が下りませんでしたけど」
「そうだったんですか。もし次に巡業の申請をするなら春をお勧めします。ついでに花見をされるといい。噂では雷さん、音さんお二人共、舞も得意と聞きます。篝(かがり)火(び)を焚き、桜の下で舞うお二人はさぞかし美しいでしょう」
一歩後ろに控える雷音に東武は微笑みかける。
「噂の『福重』を見ることができず、残念です」
一度くらい見たかったな、と口にする東武に、南海は眉を顰める。
「東武殿は二人の舞台をご覧になったことはないのですか?」
「ええ。昨年の夏はゆっくり芝居見物をしている暇がなかったものですから」
いくら仕事で様々な地域の習俗を知識として蓄えているとはいえ、あの舞台を見ずして雷音二人とこうも普通に接することができるものだろうか。
「それにしても、お二人は本当に瓜二つですね。僕、生きている多産児に会うの初めてなんですよ」
弾む声とは裏腹に、物騒な内容を口にする東武にぎょっとする。
「お二人にいいものを差し上げましょう」
そういって東武は胸元から黒と赤の守り袋を取り出した。
そうや、お奉行に流行りの怪談がどんなものか見て来いと命じられて、いやいや小屋に来たんやった。
そして想像以上におどろおどろしい雰囲気のまれ、緊張が頂点に達したときに噺のオチがきて耐え切れずに意識を手放したのだ。
「それにしてもよく僕が音だってわかりましたね。旦那様以外で僕等を見分けられた人って初めてです」
「まあ僕もうまくは説明でけへんのやけど…」
顔も形も同じだが、何となく身に纏う雰囲気が違うのだ。強いて言えば雷の方が少し幼く、音の方は落ち着いた印象を受ける。
「南海様、よかった。お目覚めになられて。ご気分はいかがですか?」
「大丈夫です。ご迷惑をおかけして、ほんますみません」
いたわるように麦茶を差し出す三越に、南海は恐縮して頭を下げる。
「それにしても意外ですね、南海様が怪談を苦手だなんて。でも何故苦手な怪談を聞きに?」
「…お奉行の命令でして」
「あの人はまったく……」
三越が憐れむように南海を見つめた。
「三越さん、お客人の様子はいかがですか?」
そういって先程まで壇上にいた優男が部屋へ入ってくる。舞台を降りてまじまじと見ると、先ほどより血色は良いもののひょろひょろとしたひ弱な印象は変わらない。猫背で黒眼鏡をかけた男は人のよさそうな笑みを浮かべている。
「ああ、もう大丈夫のようですよ。東武さん」
「それは良かった。初めまして、東武と申します。僕の舞台、お客さんが倒れることは珍しくないんです。今回のは新作だったんで反応を心配していたのですが、倒れるくらい怖いのなら大成功です。よかったよかった」
南海的には全然よくないのだが、怪談というのはそもそも聞き手を怖がらせてなんぼなので、そういった意味で東武は安心したようだ。
「初めまして、南海と申します。失礼ですが、東武殿は怪談を生業としているのですか?」
怖いものが苦手な南海だが、あれほど小屋を埋める人気があるのならば、どこかで名くらい聞いていてもおかしくないようなものだ。だが、不思議なことに東武の名を見聞きしたことは一度もなかった。
「いえいえ、僕の仕事は…そうですね。民俗学者とでもいえばわかりやすいですかね。地方を巡って、地域伝承を文章化することなんです。仕事で見聞きしたものの中にはこういった怪談話の基みたいなものもありますから、それを怪談に仕立てて小遣い稼ぎをしてるわけです。普段はこういったものが好きな方のお屋敷などで披露しているのですが、ちょうどこの時期、調査の報告書を提出しに江戸に戻ってくるものですから。ここの小屋を借りての小遣い稼ぎは渡りに船だったんです。小屋も格安で借りられましたし」
なるほど、芝居をするにはせいぜい七つまで。暮れ六つ以降ともなれば先程のように舞台は闇に包まれる。到底、蝋燭の明かり程度では薄暗くて役者の所作などわからない。借り手がつかぬ時間の小屋の賃料は確かに格安だろう。ついでに芝居には不向きでも、この暗がりは怪談にはもってこいだった。舞台の中心にうすぼんやりと浮かび上がる語り部。客は見えないことで想像力が働き、恐怖が増幅される。
「ご神木、菊理(くくり)の桜は本当に見事でした」
「菊理の桜?」
「この噺の題材になった桜の木です。縁結びの神である菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っているんですよ。高尾山の一角にこのご神木に続く一本道があるのですが、それはもう見事な桜並木でして。菊理峠と地元では呼ばれているようです。最も、山道ですから修験者や地元でも慣れた者以外はあまり近づかないようですけど」
「本来なら、この菊理峠にほど近い村々に行く予定だったのですよ。残念ながらお上の許可が下りませんでしたけど」
「そうだったんですか。もし次に巡業の申請をするなら春をお勧めします。ついでに花見をされるといい。噂では雷さん、音さんお二人共、舞も得意と聞きます。篝(かがり)火(び)を焚き、桜の下で舞うお二人はさぞかし美しいでしょう」
一歩後ろに控える雷音に東武は微笑みかける。
「噂の『福重』を見ることができず、残念です」
一度くらい見たかったな、と口にする東武に、南海は眉を顰める。
「東武殿は二人の舞台をご覧になったことはないのですか?」
「ええ。昨年の夏はゆっくり芝居見物をしている暇がなかったものですから」
いくら仕事で様々な地域の習俗を知識として蓄えているとはいえ、あの舞台を見ずして雷音二人とこうも普通に接することができるものだろうか。
「それにしても、お二人は本当に瓜二つですね。僕、生きている多産児に会うの初めてなんですよ」
弾む声とは裏腹に、物騒な内容を口にする東武にぎょっとする。
「お二人にいいものを差し上げましょう」
そういって東武は胸元から黒と赤の守り袋を取り出した。
更新日:2016-04-10 23:05:34