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菊理桜怨嗟の憑代
「秘子(ひめこ)?」
「元々は『姫子』この国では七つになるまで、子供は神の子としているのはご存知ですよね?」
「ええ」
我が国において、子供の死亡率は昔に比べ改善されたとはいえ、まだまだ高い。その為、産まれてから七歳になるまで幕府への出生の届出は行われない。仮の処置として近隣の寺へ届けておき、七つまで生き残った時点で正式に国へ届けられるのだ。
「幕府の管轄下での出産ではありえませんが、正式に結婚している夫婦間にできた子が女児だった場合、幕府預かりになるのを嫌がり、七つになる前に死亡したとの虚偽の申し出を行いこっそり育てる事例が起こっているのです」
「なんでそないなことが?」
「種付けの為です」
「種付け?」
「はい。そもそも実子が欲しい場合、幕府公認の種付けを行う必要がありますが、その料金は非常に高額で、貧しい村や町ではまず無理でしょう。その為、何らかの理由で貧村で嫁をもらい、女児が産まれた場合、まず間違いなく秘子とされます。その子が幸せな婚姻を結べば問題ありませんが、大抵は村の共有財産とされます」
共有財産、それは村の男衆全員の花嫁になることを意味する。
「共有財産、聞こえはいいですが要は村の男衆の慰み者です。国における出産管理は子が孕みやすい期間のみ、異性との性交渉を持ちます。相手もその期間に一人のみ。でないと誰の子を身ごもったかわかりませんから。しかし、秘子は違います。出産に関する知識もなく、またその教育もされぬまま、子を身ごもれる体になった途端、それまで父とも兄とも慕っていた男達に何の心の準備もなく凌辱されるのです」
それは貧しさのあまり遊郭に売られた陰間と同じ境遇である。なまじそれまで大切にされていただけに、惨さは陰間以上であった。ある日突然、村中の男たちに訳も分からず凌辱される。日に何人もに、何度も。想像しただけで背筋が寒くなり、ぞっとする。
「まるで、東武殿の怪談噺みたいや」
「あの噺の元になったのが雷さんと音さんの母御の事ですから」
「え?」
「菊(くく)理(り)桜(ざくら)怨嗟(えんさ)の憑代(よりしろ)。あの噺の題名です。高尾山の一角にある、今では廃村となった小さな村。それが彼らの故郷です。対外的には菊理媛を祭っていることになっているご神木も、本当は二人の母御、英さんの霊を封印していたものなんです。事件の当事者たちは呪殺され、事実を知る者もごく僅かですから」
「いくらなんでも悪霊を封じた桜を縁結びの神様を祭ったものにするのは無理があるんやないですか?」
「あの桜が何故『くくり』と言われたか。南海様、それはあの桜の木の下で英さんが首を括り、怨霊に呪われた村人たちもまた、あの桜に続く一本道の桜並木で首を括ったからなんですよ」
「伝承というものは、大抵都合の悪い事実をそうでないものにすり替えるんです。この菊理桜伝説を検証している最中、封が解けかかっていることがわかりましてね。封じ直すには漏れ出した霊の一部を回収しなくちゃならない。そんな中、当の悪霊が憑いた憑代一行が事件の起きた因縁の地にやってくるというじゃないですか。そんなことになったら完全に封が破られ、かなり厄介なことになる。焦りました」
巡業間際になって許可が下りなかったのはそういうわけやったんか。
「でもなんで音殿に呪符を渡したんです?霊がついているなら護符にすべきやったんじゃ?」
「悪霊は負を呼び寄せ、力にします。憑代と分離させるには霊が憑代の意思とは関係なく動けるくらい強力な方がやりやすい。ちょっと憑代を傷つければ簡単に噴き出てきますからね。だからなるたけ早く負の力を蓄積して欲しかったんです。逆に音さんの傍にいる雷さんは、強力な護符を持たせておかないと悪霊の気に中(あ)てられて死んでしまいますから」
東武は雷と音の区別ができていて、最初から目的に見合った符を渡していた。本来の名付けられた順に名を呼んだので南海としては取り違えて渡されたのだと勘違いしたのだが。
護符で守護されていてあれだけ弱ったのだ。音に憑いていた霊の強力さは尋常ではなかったのだと改めて思い知らされる。
「お前だったら音の腕の皮一枚斬るくらいで済んだのに、私にやらせるから見ろ、こんなことになった」
剣術はさほど得意ではないのに、と髙島屋はつまらなそうに横たわる音の腕を持ち上げる。
骨に達するほど深く切れた腕は、あの後診療所で急遽二幸によって縫われた。包帯でぐるぐる巻きにされているのが痛々しい。本来ならそのまま暫く診療所預かりになるところだが、音の体内に悪霊が残っている可能性も加味して幕府の菩提寺の一室に安置されている。
「元々は『姫子』この国では七つになるまで、子供は神の子としているのはご存知ですよね?」
「ええ」
我が国において、子供の死亡率は昔に比べ改善されたとはいえ、まだまだ高い。その為、産まれてから七歳になるまで幕府への出生の届出は行われない。仮の処置として近隣の寺へ届けておき、七つまで生き残った時点で正式に国へ届けられるのだ。
「幕府の管轄下での出産ではありえませんが、正式に結婚している夫婦間にできた子が女児だった場合、幕府預かりになるのを嫌がり、七つになる前に死亡したとの虚偽の申し出を行いこっそり育てる事例が起こっているのです」
「なんでそないなことが?」
「種付けの為です」
「種付け?」
「はい。そもそも実子が欲しい場合、幕府公認の種付けを行う必要がありますが、その料金は非常に高額で、貧しい村や町ではまず無理でしょう。その為、何らかの理由で貧村で嫁をもらい、女児が産まれた場合、まず間違いなく秘子とされます。その子が幸せな婚姻を結べば問題ありませんが、大抵は村の共有財産とされます」
共有財産、それは村の男衆全員の花嫁になることを意味する。
「共有財産、聞こえはいいですが要は村の男衆の慰み者です。国における出産管理は子が孕みやすい期間のみ、異性との性交渉を持ちます。相手もその期間に一人のみ。でないと誰の子を身ごもったかわかりませんから。しかし、秘子は違います。出産に関する知識もなく、またその教育もされぬまま、子を身ごもれる体になった途端、それまで父とも兄とも慕っていた男達に何の心の準備もなく凌辱されるのです」
それは貧しさのあまり遊郭に売られた陰間と同じ境遇である。なまじそれまで大切にされていただけに、惨さは陰間以上であった。ある日突然、村中の男たちに訳も分からず凌辱される。日に何人もに、何度も。想像しただけで背筋が寒くなり、ぞっとする。
「まるで、東武殿の怪談噺みたいや」
「あの噺の元になったのが雷さんと音さんの母御の事ですから」
「え?」
「菊(くく)理(り)桜(ざくら)怨嗟(えんさ)の憑代(よりしろ)。あの噺の題名です。高尾山の一角にある、今では廃村となった小さな村。それが彼らの故郷です。対外的には菊理媛を祭っていることになっているご神木も、本当は二人の母御、英さんの霊を封印していたものなんです。事件の当事者たちは呪殺され、事実を知る者もごく僅かですから」
「いくらなんでも悪霊を封じた桜を縁結びの神様を祭ったものにするのは無理があるんやないですか?」
「あの桜が何故『くくり』と言われたか。南海様、それはあの桜の木の下で英さんが首を括り、怨霊に呪われた村人たちもまた、あの桜に続く一本道の桜並木で首を括ったからなんですよ」
「伝承というものは、大抵都合の悪い事実をそうでないものにすり替えるんです。この菊理桜伝説を検証している最中、封が解けかかっていることがわかりましてね。封じ直すには漏れ出した霊の一部を回収しなくちゃならない。そんな中、当の悪霊が憑いた憑代一行が事件の起きた因縁の地にやってくるというじゃないですか。そんなことになったら完全に封が破られ、かなり厄介なことになる。焦りました」
巡業間際になって許可が下りなかったのはそういうわけやったんか。
「でもなんで音殿に呪符を渡したんです?霊がついているなら護符にすべきやったんじゃ?」
「悪霊は負を呼び寄せ、力にします。憑代と分離させるには霊が憑代の意思とは関係なく動けるくらい強力な方がやりやすい。ちょっと憑代を傷つければ簡単に噴き出てきますからね。だからなるたけ早く負の力を蓄積して欲しかったんです。逆に音さんの傍にいる雷さんは、強力な護符を持たせておかないと悪霊の気に中(あ)てられて死んでしまいますから」
東武は雷と音の区別ができていて、最初から目的に見合った符を渡していた。本来の名付けられた順に名を呼んだので南海としては取り違えて渡されたのだと勘違いしたのだが。
護符で守護されていてあれだけ弱ったのだ。音に憑いていた霊の強力さは尋常ではなかったのだと改めて思い知らされる。
「お前だったら音の腕の皮一枚斬るくらいで済んだのに、私にやらせるから見ろ、こんなことになった」
剣術はさほど得意ではないのに、と髙島屋はつまらなそうに横たわる音の腕を持ち上げる。
骨に達するほど深く切れた腕は、あの後診療所で急遽二幸によって縫われた。包帯でぐるぐる巻きにされているのが痛々しい。本来ならそのまま暫く診療所預かりになるところだが、音の体内に悪霊が残っている可能性も加味して幕府の菩提寺の一室に安置されている。
更新日:2016-04-30 23:47:07