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地方巡業許可致しかねる
南町奉行所預かりの強面(こわもて)の同心、南海という男は母の腹より出でてこのかた、一度もかわいいと言われたことがない。それどころか、物心ついた時には自分の周りにはひきつる様な笑みを浮かべるか、あからさまに眉をひそめる者ばかりであった。年を経るにつれ人相が悪くなり、黙っていれば怒っている、視線を向ければ睨んでいると恐れられる。見た目とは裏腹に繊細な南海はその都度、深く傷ついていた。そんな傷ついた彼の心を癒すものが世の中には二つある。一つは甘味。もう一つは芝居である。とりわけ、南海は恋物語を好んだ。このような容姿では現実には幸せな恋愛など望めるわけもなく、なればせめて舞台の上だけでも、と忙しい中、暇を見つけてはせっせと芝居小屋に足を運んだ。
最近、最も南海の心を癒してくれるのが、元越後屋の太夫で今は伊勢屋の紺屋職人に嫁いだ三越が立ちあげた福屋で興行される演目だった。
その福屋に今、上司の言伝を届けに向かう南海の足取りは重い。
「わざとや、絶対わざとや」
綺麗な外見とは裏腹に底意地の悪い上司は時折わざと南海に嫌がらせのような仕事を押しつける。今回のも南海が福屋に入れ上げているのを知っての所業だと思うと、思わず半泣きになる。
うだる暑さの中、帰りには疲弊しているだろう心を癒す為、山のように葛菓子を買おうと、横目で店を眺めるのだった。
*
*
*
「どういうことです?今になって巡業の許可を出せないなんて」
福屋の主(あるじ)、三越が形の良い眉をきりりと吊り上げる。普段温和な彼がこのような顔をするのも珍しい。が、怒るのも無理はない。 三月(みつき)も前に地方への巡業の届けを出していたのに、興行十日前になって急に「先の申し出、江戸より外にての興行許可いたしかねる」との沙汰が通達されたのだから。
「正しくはそちらに所属している役者、雷・音両名揃っての巡業、および演目『福重(ふくがさね)』の上演の禁止です。どちらか一人を連れて行く分には構わないと聞いてます」
「うちの二枚看板です。一人だけというわけにはまいりません。また『福重』は両名の十八番であり、我が福屋にとっても大事な演目です。それを禁止するなど、巡業に行くな、と申しているのと同じこと。江戸ではよくてよそでは駄目だという、理由を説明していただきたい!」
険しい顔で詰め寄る三越に、南海の眉間の皺が深まる。
だから嫌やったんや。
誰よりも福屋の芝居が好きなのは自分だ。福屋が巡業先で初披露する芝居は、雷と音、両役者の出世作であり、代表作でもある『福重』以外に考えられない。そもそも、この一座は自身に仕えていた雷音二名を役者として活躍させるために三越が設立したという。二人が同時に役者として活躍するには、どうしても旧き多産児の風習、いわゆる先に産まれた鬼子を殺し、後に産まれた菩薩子を縁起物として崇める現実とそれに伴う価値観を覆さなくてはならない。誰もが知っている筋立て、最後に面を取った時に現れる同じ顔が二つというオチを利用して、忌み嫌う鬼子の存在を菩薩子にしてしまうなど、あれほど見事に旧き価値観を覆せる作品は『福重』以外にないだろう。あの作品を見る前に二人そろって舞台に上げようものなら、縁起が悪いと客が騒いで芝居どころではなくなるはずだ。
そういった意味でも、二人を舞台に上げるために初巡業先では必ず『福重』を上演する必要があるのだ。福重の上演禁止は同時に雷音両名揃って舞台に上がることの禁止を意味する。そういった意味では何故、雷音両名揃っての巡業の禁止をわざわざ通達する必要があったのか、首をかしげてしまう。
そもそも、お上は何故、福屋の地方巡業を禁ずるのか。演目が風紀を乱すというような理由なら、巡業どころか江戸での興行も当然禁止されるはず。わからないことだらけである自分ができることと言ったら、立腹する麗しき眼前の男に上司からの言葉を伝えることだけだ。
「三越殿の御立腹はごもっともです。が、うちの上司曰く、上の許可が下りぬ以上諦めてほしい、とのことです」
正しくは『よくわかんないけど、上がダメっていうんだからしょうがないじゃない。おとなしく諦めてね』だが、その通りに伝えることなどできるわけがない。意訳を伝えた途端、三越が表情を無くす。奇麗な顔が能面のようになり、心底恐ろしい。部屋の温度が急激に下がっていくのを肌で感じた。
三越さんめっちゃ怒ってはる!当然や!お奉行~!だから僕、嫌や言うたのに!
最近、最も南海の心を癒してくれるのが、元越後屋の太夫で今は伊勢屋の紺屋職人に嫁いだ三越が立ちあげた福屋で興行される演目だった。
その福屋に今、上司の言伝を届けに向かう南海の足取りは重い。
「わざとや、絶対わざとや」
綺麗な外見とは裏腹に底意地の悪い上司は時折わざと南海に嫌がらせのような仕事を押しつける。今回のも南海が福屋に入れ上げているのを知っての所業だと思うと、思わず半泣きになる。
うだる暑さの中、帰りには疲弊しているだろう心を癒す為、山のように葛菓子を買おうと、横目で店を眺めるのだった。
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「どういうことです?今になって巡業の許可を出せないなんて」
福屋の主(あるじ)、三越が形の良い眉をきりりと吊り上げる。普段温和な彼がこのような顔をするのも珍しい。が、怒るのも無理はない。 三月(みつき)も前に地方への巡業の届けを出していたのに、興行十日前になって急に「先の申し出、江戸より外にての興行許可いたしかねる」との沙汰が通達されたのだから。
「正しくはそちらに所属している役者、雷・音両名揃っての巡業、および演目『福重(ふくがさね)』の上演の禁止です。どちらか一人を連れて行く分には構わないと聞いてます」
「うちの二枚看板です。一人だけというわけにはまいりません。また『福重』は両名の十八番であり、我が福屋にとっても大事な演目です。それを禁止するなど、巡業に行くな、と申しているのと同じこと。江戸ではよくてよそでは駄目だという、理由を説明していただきたい!」
険しい顔で詰め寄る三越に、南海の眉間の皺が深まる。
だから嫌やったんや。
誰よりも福屋の芝居が好きなのは自分だ。福屋が巡業先で初披露する芝居は、雷と音、両役者の出世作であり、代表作でもある『福重』以外に考えられない。そもそも、この一座は自身に仕えていた雷音二名を役者として活躍させるために三越が設立したという。二人が同時に役者として活躍するには、どうしても旧き多産児の風習、いわゆる先に産まれた鬼子を殺し、後に産まれた菩薩子を縁起物として崇める現実とそれに伴う価値観を覆さなくてはならない。誰もが知っている筋立て、最後に面を取った時に現れる同じ顔が二つというオチを利用して、忌み嫌う鬼子の存在を菩薩子にしてしまうなど、あれほど見事に旧き価値観を覆せる作品は『福重』以外にないだろう。あの作品を見る前に二人そろって舞台に上げようものなら、縁起が悪いと客が騒いで芝居どころではなくなるはずだ。
そういった意味でも、二人を舞台に上げるために初巡業先では必ず『福重』を上演する必要があるのだ。福重の上演禁止は同時に雷音両名揃って舞台に上がることの禁止を意味する。そういった意味では何故、雷音両名揃っての巡業の禁止をわざわざ通達する必要があったのか、首をかしげてしまう。
そもそも、お上は何故、福屋の地方巡業を禁ずるのか。演目が風紀を乱すというような理由なら、巡業どころか江戸での興行も当然禁止されるはず。わからないことだらけである自分ができることと言ったら、立腹する麗しき眼前の男に上司からの言葉を伝えることだけだ。
「三越殿の御立腹はごもっともです。が、うちの上司曰く、上の許可が下りぬ以上諦めてほしい、とのことです」
正しくは『よくわかんないけど、上がダメっていうんだからしょうがないじゃない。おとなしく諦めてね』だが、その通りに伝えることなどできるわけがない。意訳を伝えた途端、三越が表情を無くす。奇麗な顔が能面のようになり、心底恐ろしい。部屋の温度が急激に下がっていくのを肌で感じた。
三越さんめっちゃ怒ってはる!当然や!お奉行~!だから僕、嫌や言うたのに!
更新日:2016-04-10 22:57:43