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アルペジョーネの衰退

6)アルペジョーネの衰退

 アルペジョーネは1823年から1832年までの楽器しか発見されておらず,世間から忘れられた幻の楽器となって現在に至る.ではなぜ衰退したのだろうか.
≪アルペジョネ・ソナタD821≫を作曲したシューベルトといえば,彼の新進気鋭の音楽仲間が主催した親密な音楽サロン「シューベルティアーデSchubertiade」が知られている.

 石井によると, シューベルトの友人であるショーバー(Franz von Schober, 1796-1882)が起こした「シューベルティアーデ」は, 詩と芸術の創造性を貴ぶ芸術活動であると同時に,メッテルニヒの保守反動政策に対抗する活動でもあった.シューベルトらは, 政治的な支配からの自由を若者の力と音楽によって訴えようとした.が,公開のコンサートはなく,密会のため記録も残っていない.10)

 またヒルマーは「若者文化への監視が厳しい環境はつづき,1828年にシューベルティアーデはシュパウン(Spaun, Josef von, 1788-1865)によってシューベルトの追悼をし,これが最後のサロンとなった」と述べている .11)
 このような背景からわかるように,衰退理由を示すような資料や文献は皆無に等しい.

 筆者はしかし, 楽器を復元した経験から衰退理由については以下のような推察をしている.楽器という側面から捉えると, 商品化が困難であったことが挙げられるのではないだろうか.
 当時は受注生産であったため,世間に大量には出回らなかった.製作段階では金属フレットの調整が難しい.
 その上ガット絃や部材の調達不足などが商品化の足かせになっていたのではないかと考えられる.
 また,ヴィオラ・ダ・ガンバのように宮廷音楽で庇護された「高級」楽器ではなく,一部のギタリストやチェリストたちの趣味として愛好されたマイナーな楽器であったため,大衆化しなかったのではないかとも考えられる.

更新日:2016-03-15 11:03:49

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シューベルトが愛した弦楽器・アルペジョーネ