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愛染

「太夫…するな、とは言いませんがほどほどにしてもらわないと困ります」
 もう太夫ではないのだが…。
 翌日、恨み節の大和に三越は苦笑いする。
「三越さんに失礼な事言うな!俺が悪いんだから」
「ええええ、そうでしょうよ。昨日僕、言いましたよね?なのになんです?そんなにやつれて。どんだけ精を放ったんですか!今日は倒れたって注文の品、染め上げて帰ってもらいますからね!」  
 伊勢丹に求められるがまま事に応じ、流石の三越も今朝は腰が立たなかった。これも良い機会、と今日は仕事を休み、伊勢丹の仕事っぷりを終日眺めようと決め込んだのだが……。
 若い伊勢丹も流石に昨日の営みで堪えたようだ。動きに切れがなく、染料を含む重い布を引き上げるのに先程から四苦八苦している。
「伊勢丹さん、腰に力が入ってません!」
 大和の金切り声が響く中、ちとごめん、と暖簾をめくり、南部を筆頭にやんややんやと侍達が入ってくる。
「南部様に…桐生様?尾張様?皆様揃ってどうされましたか?」
 大黒屋にならいざ知らず、伊勢屋を訪れるには奇怪な面々。
「南部殿がな、そちの氷の面が見事に崩れた言うのでな。それはぜひとも拝みに行かねば、と連れだって来たわけだ。ん?そこの若いのが亭主か?三越」
「何やらやつれて…おお、さては早速長命丸を使ったな?どうだ、効いただろう?」
「あのようなもの、すぐに捨てました」
「なんと!?では三越、お主の亭主はあれ無しにお前を満足させると申すか!いやはや、羨ましい」
「おい亭主、主はあのねっとりと絡んで精を欲する媚肉の強請りを拒める持ち主か?それとも三越が音を上げるまで精をくれてやれるのか?」
「え?え?」
 半分驚き、もう半分は揶揄を含んだ笑みで男達は好き勝手に伊勢丹に話しかける。
 私の可愛い伊勢丹をおもちゃにされてはかなわない。
「皆様、いいかげんになさいませ!」
 三越の一喝に、一瞬ぽかんと口を開けたが、そこは酸いも甘いも噛みわけた手練。
「おお、三越が怒ったぞ!」
「そちのそのような顔、初めて見た!」
「三越、もう一度!もう一度叱ってくれぬか?」
 身分のある方々が童の様に無邪気にはしゃぎ出す。
「…南部様、お怨みいたしますぞ」
「そう申すな。皆、そちが幸せそうなのがちと妬けるが、それ以上に嬉しいのだ。それにしてもあの亭主、誰にも染まらぬお前の心を手に入れるとは。一体どのような手管を使ったのじゃ?後学の為、教えてはくれぬか?」
「南部様には無理でございます」
「そのようにつれぬことを申すな。儂とそちの中ではないか」
「手前の亭主は江戸一番の紺屋職人にございます。手前を愛(藍)で染め上げるなど、朝飯前にございましょう?」
「ふむ、これは一本取られた。おおい、皆の者、今度は三越が惚気おったぞ!」
「何?!どう惚気たのだ?」
「こやつ、自分は亭主の『愛染め』だと申しおった!」
「なんと!」
楽しげに笑うかつての馴染みは時間の許す限り自分と伊勢丹をからかい続けるに違いない。
いい加減、お引き取り願おう。
「もう!皆様、三越に塩を撒かれる前にお引き取り下さいませ!」

              *
              *
              *

 ひと月後、福屋では新しい演目が上演された。愛を知らぬ美しい男が、一人の若者の愛に包まれ、幸せを掴む世話物『愛染(あいぞめ)』
 瞬く間に江戸で評判の演目となり、毎日溢れんばかりの客が押し寄せた。そして同じ名前の藍一色に染め上げられた着物もまた、大流行したのである。
「やあ愛染さん、今日は伊勢屋なんだ。珍しい」
「…お奉行、いいかげんその名で呼ぶのはやめてくれませんか?」
「どうして?南部殿が言ってたよ?三越は紺屋の『愛染め』だって」
 だから嫌だったのだ。
『愛染』は南部がお抱えの作家に書かせた演目だ。面白い話に仕上がったから、是非に、と強く押され断り切れずに受けたもの。本を読んでみれば、登場人物の身分は違えど、見る人が見れば伊勢丹と三越のことであることは明白だった。嫌な予感はしたものの、上演したのはこの本を雷と音がいたくに気に入ってしまったからだった。加えて、物語の要ともなる衣装も藍染め。伊勢丹の腕が大いに揮えるものだった。
染物の方もあまりの人気に、伊勢丹も休む暇なく働いていおり、ちっとも一緒に過ごせない。 
 太夫と呼ばれる代わりに一部に愛染とからかわれ、好きな男とろくに一緒にいられない。
「南部様には、少々熱いお灸が必要でございますね」
 どう責任を取って下さるのか、この三越、いたく楽しみにしておりますよ、南部様。

                           終

更新日:2016-01-11 15:50:26

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