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年増の引け目

 伊勢丹を、怒らせてしまった。あんなところで南部様がからかい始めるからだ。廓にいた頃、顔色一つ変えずに相手をしていたので、そうでない自分を見ての意趣返しのつもりだろうが、なにも伊勢丹の前で自分とのまぐわいを匂わせなくてもいいだろうに。傷のことも不問にしたし、南部様には商いにおいても随分便宜を図っているつもりだ。このような仕打ちをされる筋合いはないはずだ。
 ふうっと大きく溜息をつく。
 幼い頃より仕事に打ち込んできたせいもあり、伊勢丹は年頃の男よりうんとおぼこい。艶事の洒落などわからぬのに…。南部様のような遊び慣れたものであれば、やれ誰の具合はいいだの猥談に花も咲くだろうが、伊勢丹は違うのだ。
 伊勢丹は自分の他に男を知らない。それをいいことに、できれば艶事に興味を持って欲しくないと思っている。比較対象がなければ、伊勢丹は自分だけを好きでいてくれる。そうずるい事を考えているから、長命丸のことも教えてやれぬのだ。
 そもそも、初めての床入りの後から伊勢丹の態度がよそよそしい。やはり、あのような痴態を見せて汚らわしいと思われただろうか?そう焦ってまぐわうこともなかったのに、浅ましいと幻滅したのだろうか?事が終われば顔も見たくないと言わんばかりに一人、布団にくるまって背を向けられてしまった。やはり、想像と違って嫌になったのだろうか?
「嫌わないと…約束しただろうに…」
 どの口でそれを言うか?ふと三越に自嘲の笑みが零れる。
 廓では呼吸をするのと同じように嘘をつき続けた。約束など、破る為にするのが道理、そう十年間過ごしていたのは一体誰だ?それを今更、約束を破られて相手を詰るなど……。
「私には、詰る資格などないのにな」
 ぼんやりと間口を眺めていると、がしゃんがしゃんと割れる音やら、がたんがたんと倒れる音で何やら外が騒がしい。
「三越さん!」
 褌に着物を引っ掛けただけの姿で伊勢丹が部屋に飛び込んでくる。
「ど…どうした?追剥にでもあったのか?」
「よかった~」
 伊勢丹は三越を見るなり、へなへなと土間に座りこむ。
「とりあえず、水でも飲んで」
 湯呑に水を注いでやると、伊勢丹はがぶがぶと飲み干す。よほど急いで帰ってきたのだろう、額に玉のような汗がいくつも浮かんでいた。
「三越さんが怒って出て行ってたらどうしようかと思った」
「怒ってどこかに行ったのはお前だろう?私には、ここ以外に行く場所などありはしないのに」 
 とりあえず、帰ってきてくれたことに三越はほっと胸を撫で下ろす。
「どこに行ってたんだ?」
「ちょっと湯屋へ……」
 一緒に行こうと誘ったのに、一人で行ったのか。何故?嘘の一つもついてくれればいいものを。いや、これが伊勢丹のいい所なのだ。嘘などつかず、まっすぐで…でもそのまっすぐな心が、今の私には少し辛い。
 すっと視線を逸らし、畳の目をなぞる。
「そうか、さっぱりしたか?」
「あの…三越さん?怒ってる?」
「何故?」
「だって、湯屋に行こうって誘ってくれたのに、俺が一人で行ったから」
 怒ってるんじゃない。寂しいんだ。だってお前、私と一緒にいるのを見られるのが嫌なんだろう?以前一緒に湯屋に行ったときだって、様子がおかしかった。話しかけても上の空で、周囲ばっかり気にしていて…。
「気にしてないよ」
 気にしないわけがない。だけど、若くておぼこい男ならまだしも、私のような陰間上がりの年増が詰ったって疎ましいだけじゃないか。
「ああそうだ、伊勢丹、腹が減ったろう?私ときたら何をぼんやりしてたんだろう。すまない、すぐに支度をするから待ってておくれ」
 人より少しばかり長けているのは閨房術と商いだけ。こんなに気が利かぬ連れ合いでは、ますます伊勢丹に嫌われてしまう。
「三越さん」
 立ち上がろうとする三越を、伊勢丹はぎゅっと手を握って引き留める。
 「どうしたんです?なんか変ですよ?」
「そうか?」
「さっきから全然俺のこと見ないし…俺が馬鹿って言ったから嫌いになったんですか?」
「嫌いになったのはお前の方だろう?」
 飲み込み続けた言葉をひとつ、吐き出してしまえばもう止める事など出来なかった。
「床入りの日から、お前はずっとよそよそしい。今日とて、湯屋に独りで行ったのも、私と一緒にいるのを見られるのが嫌だからだろう?陰間上がりと一緒にいるのが嫌ならそう言えばいいではないか。お前がいくら嫌がっても過去は変えられぬ。他の男を知らなかった昔には戻れぬ。言ってくれればいくらでも気に触らぬよう配慮する。なれど、黙っていてはわからぬではないか」
 戻れるものなら戻りたい。男の肌など知らぬ十八の頃に。閨の術など覚えぬ頃に。艶事などとは無縁の綺麗なままでお前と出会いたかった。

更新日:2016-01-03 13:12:58

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