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かあちゃん 青砥だよ



アメリカに旅行する3日ほど前のこと
夫と行くはずの旅行なのに その夢の中で 私は母と旅行することになっていた
そこは駅でもあり デパートでもあり 空港でもあるような場所で 
母は私から離れてすっと消えてしまった

もう大人なのだし 搭乗券も持っているから 搭乗口で一緒になれるはずだ 心配することはないと思う
無表情の人波が切れることなく私の前を歩いていく
ふと 自分の旅支度のことに頭が動く
ああ 洋服はまだそろえていない
このままでは行けないから お家に戻ろう

そんなところで現実に戻った

海外旅行に行くときは新幹線で上野まで行き それから成田まで行かなければならない
最初娘と一緒に行っていたので 日暮里からスカイライナーを使って行っていた
駅構内から出ないで乗り換えることができるので便利なはずなのだが
夫と二人で行くようになってからは どうもうまく乗り換えることができなくなった
日暮里で階段を上ったり下りたりと うろうろするのである

今回も二人なので 上野で京成線に乗ってみようかということになった
夫は仕事をしているときこの線を使ったことがある
多分大丈夫だと言っている
・・・
私も・・・
そう私も若いとき乗ったことがある
まだ新幹線もなかったころ もう半世紀も前のこと 
東京なんて修学旅行以来行ったこともないのに 母を連れて行ったのである
特急に乗って 京成線に乗って 青砥まで・・・





話は飛ぶが
母には二人の姉がいた
次姉は若いころ画学生と恋に落ちた
絵を描くのが上手だといったって それで生計を立てるのは並大抵なことではない
子どもができ 生活に苦しくなったとき助けてくれたのが長姉である
長姉は第二次世界大戦で夫を亡くし ずっと小学校の先生をしていた
子どもがいなかったので 次姉の2番目の子を養子にした
そんなこんなで 長姉は退職した後は千葉の青砥に住んでいた次姉のところに行った

その長姉が入院したとの連絡が入り 母はお見舞いに行くことになったのだ
父は働いていたし 母を一人で東京にやるわけにはいかないので
私が一緒に行くことになった
まだ社会人になったばかりだったような気がする
それでも怖いものもなく東京に出かけた

当たり前のことだが 伯母の家を見つけることはできず
角のタバコ屋さんから電話を掛けた
1、2分も経たないうちに伯父さんが迎えに来てくれた
すぐそこだった

私は一晩泊まって帰ったが 母は何日かそこにとどまった
3姉妹で 心置きなくいろいろなことを話したんだろうなあと思う





いくら夫が京成線を使ったことがあっても どうなんだろう 大丈夫なんだろうか
と 前の日になってネットで上野駅を検索してみた
ああ ストリートビューなんていうものがあったなあと思い出して
見てみた

そのストリートビューは4月の桜の頃の映像だった
上野と言えば上野公園であり 花見の名所である
全部が全部花見をしているとは思えないが 上野駅の界隈は 人であふれていた
その映像の中の人々は あの母とはぐれた空港で歩いてい人たちと同じ顔をしていた
そう 皆 私に対しては全く無関心で前だけをむいて歩いていた





当日 飛行機は17時ころだったから のんびりと京成上野を探した
昨日ストリートビューで探した通り不忍口からすぐのところに駅はあった
スカイライナーだと特急より時間的には15分くらい早く着く
ふんふん でも今日は特急にしようと思う
母も一緒だから

そこに行ったのは半世紀も前のことだから街の雰囲気は全く覚えていないし 変わっているはずだ
でもゆっくりそこを感じてみたかった

列車は普通のお客様を乗せて上野駅を出た
街並みは働く建物群から 徐々に生活するそれに代わっていく
隙間なく並び建てられた家々
その一つ一つに物語があるのだと思う

二人の伯母さんも伯父さんも もういない
従妹の家ももう青砥にはない
色々なことが変わっていって それでいいのだと思う
青砥に着いた

青砥を出ると 不思議に母のことを感じなくなった
きっと青砥まで 私と一緒に来たかったのだろう






うん かあちゃん アメリカに行ってくるからね









更新日:2017-12-05 10:30:33

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おキンちゃん 追記  「かあちゃん 青砥だよ」