• 3 / 18 ページ

あれから3年

 それから三年間、伊勢丹は今まで以上によく働いた。もう二度と会えないと思っていたのが、三年すれば三越に会えるのだ。夜、瞼を閉じて三越を思い出しても苦しくなくなった。一日千秋の思いではあったが、伊勢丹はがむしゃらに毎日仕事に精を出した。その結果、伊勢屋の紺屋職人といえば伊勢丹の名が挙がる程になっていた。   
「伊勢丹。この三年間、本当によく働いてくれた。客の中にはお前さんに染めを依頼する人も大勢いるくらいだ。伊勢丹、ここに九両ある。お前がこの三年間、必死になって働いた給金だ」
 旦那は懐から包みを開き、金色に輝く小判を伊勢丹の目の前に置く。
「約束通り、ここに私からの一両だ。これで十両。この大金を目の前にして、お前はまだ三越に会いたいかい?」
「会いたいです。この三年間、三越太夫に会いたい、その一心で働いてきました。この金を見ても、その思いが揺らぐことはありません」
「伊勢丹さん、十両ですよ、十両!一日でこの金が吹っ飛ぶんですよ?」
 大和は信じられない、と金切り声を上げる。
「大和、そう騒ぐな。ここまでのぼせあがっちまってるんだ、諦めな。よし伊勢丹、お前の気持ちはよくわかった。約束通りこの金を持って太夫に会ってくるといい。だがな、いくら金を払うと言っても相手は太夫だ。紺屋の職人だなんて言ったら会っちゃくれねえから、そこは流山あたりのお大尽って事にしとくんだ。いや、いい。お前は何にも心配するこたねえよ。馴染みの医者でこういうのにめっぽう強い奴がいる。そいつに頼んでお膳立てしてもらうから。そうと決まればこうしちゃおれねぇ。伊勢丹、お前は今から湯屋に行って綺麗に体を磨いてきな。太夫に会うのに汗臭いんじゃ目も当てられねえからな」
 三越太夫に会える、三越太夫に会える!そのことで頭の中がいっぱいになり、足取りもおぼつかない。
「おい大和。おめえも一緒に行って洗ってやんな」
すでにふわふわ夢見心地なのを心配した旦那が、大和を供につける。
「もう伊勢丹さん、しっかりして!行きますよ!」
 すっかり腑抜けになった伊勢丹の腕を引っ張り、湯屋へと連れていく。
「伊勢丹さん、本当に行く気ですか?」
 旦那は恋の病じゃ仕方ない、ととうに諦めたものの、おさまりのつかない大和は伊勢丹の背中を擦りながら説得を続ける。
「遊郭の太夫ともなれば、昔の結婚のならってコトに及べるのは三日後ですよ、三日後!三日続けて通ってようやく想いを成し遂げるって言うのに、伊勢丹さんは一日しか通えないんですよ?せいぜい手を握っておしまいですよ?そんなものに十両もの大金払うって正気の沙汰じゃない。今ならまだ間に合いますよ?考え直したら…って聞いてます?!」
 大和の小言も今の伊勢丹には馬の耳に念仏、右から左へ実に風通し良く抜けていく。
「駄目だ…三年分の給金に旦那からの色が付いた十両が……ああもったいない」
 自分の金でもないのに、大和はもったいない、もったいないと零しながら伊勢丹の背中を流してやる。
「伊勢丹さん、指先は念入りに洗って下さいよ。すっかり藍で染まってしまってるんですから。いくらお大尽ぶってもその真っ青に染まった爪をみれば一目瞭然なんですからね。紺屋の職人ってばれたら太夫に嫌われますよ」
 大和の一言にはっと我に返ったのか、伊勢丹は持ってる手ぬぐいでごしごしと指先を擦り始める。
「みてくれも稼ぎも悪くないんだから、身の丈で手を打てばいいのに……」
 一途に三越だけを想い続ける伊勢丹の姿に、大和の口から溜息が洩れる。
「やっぱり……ああもったいない」

更新日:2015-11-30 21:48:24

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook