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四
梵天、独眼の竜と成りて天翔けよ。
最後に己を突き動かしたものは自らが描いた野望ではなく、自らこの背に負うと決めた、腹心が抱いた強い想い。
自身の勝利を視覚ではない、それ以外の全てで知り、政宗の意識は途絶えた。
あの瞬間からどれくらいの時が刻まれたのか、知れるはずもない政宗の瞳が、ようやく光を浴びた。
天井の木目すら見てとれる明るさを目視する。それに続いて、政宗の意識は完全に覚醒した。
横たわったまま、首だけをわずか左へ傾ければ、閉めきられた障子の向こう側からいくつもの人の気配が伝わる。
すぐ側にある訳ではなく、それぞれの空間で生まれる生活音。それら耳に流れ着く日常の雑踏が、政宗の身体から緊張の糸を抜き去っていった。
戻ってきたのだ……。慈しむ地、ここ奥州に。
ひとつ大きく息を吐き、政宗はゆっくりと身を起こした。
全身にはしる痛み。しかしそれは予想していた以上のものでもなく、政宗は自嘲の笑みすらも漏らす。
(我ながら、ずいぶん派手にやられたもんだな……)
しっかりと包帯が巻かれた自身の手に視線を落とし、政宗はふと、一冊の書の存在に気がついた。
布団の傍ら、置かれているというよりも『置き去られた』という風体のそれを目にした政宗の心が、ひとりの男の姿を描き出す。
障子に遮られ、やわらかな陽を映す畳に指先で触れる。すると、政宗の全身に、じわり……と、強い熱が広がった。
「小十郎……」
かの存在が今この場にないということは、ちょうど正午をまわった頃合いなのだろう。
殊勝な腹心はこの時分、きまって畑の様子を見に足を向けるのだ。
丹精込めて育てる作物たちが、どうしようもなく気にかかる。しかしながら、未だ目を覚まさない政宗の側を離れる訳には……と。
眉間に深くシワを刻む小十郎の顔が、政宗の脳裏に鮮明なタッチで描かれた。
どうするべきか……。激しく迷った結果、書を置き、しばしの間だけ……。と、席を立ったのだろう。指先から伝わる小十郎の残した体温が、それまで片時も離れず、政宗の身を案じていた彼のすべてを物語っていた。
「……ったく」
小さく溜め息を落とす政宗の顔に、穏やかな笑みが生まれる。
よりによって、というべきか。非常に間の悪い小十郎の行動は、案外そう珍しいものではない。
知勇ともに誰よりも秀でる小十郎だが、どういう訳か政宗に関してだけ、時折このような失態を演じる。
少々、考えすぎのきらいがある故なのだろうが、このことが此度の豊臣との戦において、政宗の身に余計な傷を増やしたのもまた事実だ。
「変わらねぇなぁ……」
目を細め、笑みを奥歯で噛み締める。そんな政宗にとって本来、懸念すべきこの片鱗。が、それもまた、れっきとした小十郎の一部なのだ。
完璧ではない。むしろムラがあるから面白い。
自身を退屈させない唯一無二の存在が、いったいどれ程わが身に浸透しているか、政宗は今回、あらためて強く自覚させられた。
奪いとられ、まるで半身をなくしたかのように自由がきかない現実。身体以上にきしむ政宗の心を、小十郎の愛刀・黒龍が、かろうじて腹心のもとへと繋ぎ止めてくれた。そんな気がした。
根拠なくそう思った政宗は、そろり……と床の間へと身を向ける。するとそこには、ひと振りの愛刀・景秀が置かれていた。
きちんと鞘に収められたそれは恐らく、豊臣 秀吉との激闘のさなか、失ってしまっていたひと振り。
わざわざ抜かずとも、しっかりと修復されていることが、佇まいでわかる。ならば、黒龍もまた同じように……。
動き出した政宗の思考は当然、行動へと伝染する。
小十郎に代わり、側にて自らを支えてくれたあの存在を、政宗はこの目で、しかと確かめたくなった。
もはや許容内だとばかりに、政宗は痛む身体を庇いもせず、その場にすっくと立ち上がる。
心配性の小十郎のことだ、いくら土いじりが趣味とはいえ、傷ついた主を、そう長々と放ってはおけまい。
(アイツが戻ると色々面倒だ……)
小さな鼻笑いを吐き出し、政宗は早々に自室を後にした。
最後に己を突き動かしたものは自らが描いた野望ではなく、自らこの背に負うと決めた、腹心が抱いた強い想い。
自身の勝利を視覚ではない、それ以外の全てで知り、政宗の意識は途絶えた。
あの瞬間からどれくらいの時が刻まれたのか、知れるはずもない政宗の瞳が、ようやく光を浴びた。
天井の木目すら見てとれる明るさを目視する。それに続いて、政宗の意識は完全に覚醒した。
横たわったまま、首だけをわずか左へ傾ければ、閉めきられた障子の向こう側からいくつもの人の気配が伝わる。
すぐ側にある訳ではなく、それぞれの空間で生まれる生活音。それら耳に流れ着く日常の雑踏が、政宗の身体から緊張の糸を抜き去っていった。
戻ってきたのだ……。慈しむ地、ここ奥州に。
ひとつ大きく息を吐き、政宗はゆっくりと身を起こした。
全身にはしる痛み。しかしそれは予想していた以上のものでもなく、政宗は自嘲の笑みすらも漏らす。
(我ながら、ずいぶん派手にやられたもんだな……)
しっかりと包帯が巻かれた自身の手に視線を落とし、政宗はふと、一冊の書の存在に気がついた。
布団の傍ら、置かれているというよりも『置き去られた』という風体のそれを目にした政宗の心が、ひとりの男の姿を描き出す。
障子に遮られ、やわらかな陽を映す畳に指先で触れる。すると、政宗の全身に、じわり……と、強い熱が広がった。
「小十郎……」
かの存在が今この場にないということは、ちょうど正午をまわった頃合いなのだろう。
殊勝な腹心はこの時分、きまって畑の様子を見に足を向けるのだ。
丹精込めて育てる作物たちが、どうしようもなく気にかかる。しかしながら、未だ目を覚まさない政宗の側を離れる訳には……と。
眉間に深くシワを刻む小十郎の顔が、政宗の脳裏に鮮明なタッチで描かれた。
どうするべきか……。激しく迷った結果、書を置き、しばしの間だけ……。と、席を立ったのだろう。指先から伝わる小十郎の残した体温が、それまで片時も離れず、政宗の身を案じていた彼のすべてを物語っていた。
「……ったく」
小さく溜め息を落とす政宗の顔に、穏やかな笑みが生まれる。
よりによって、というべきか。非常に間の悪い小十郎の行動は、案外そう珍しいものではない。
知勇ともに誰よりも秀でる小十郎だが、どういう訳か政宗に関してだけ、時折このような失態を演じる。
少々、考えすぎのきらいがある故なのだろうが、このことが此度の豊臣との戦において、政宗の身に余計な傷を増やしたのもまた事実だ。
「変わらねぇなぁ……」
目を細め、笑みを奥歯で噛み締める。そんな政宗にとって本来、懸念すべきこの片鱗。が、それもまた、れっきとした小十郎の一部なのだ。
完璧ではない。むしろムラがあるから面白い。
自身を退屈させない唯一無二の存在が、いったいどれ程わが身に浸透しているか、政宗は今回、あらためて強く自覚させられた。
奪いとられ、まるで半身をなくしたかのように自由がきかない現実。身体以上にきしむ政宗の心を、小十郎の愛刀・黒龍が、かろうじて腹心のもとへと繋ぎ止めてくれた。そんな気がした。
根拠なくそう思った政宗は、そろり……と床の間へと身を向ける。するとそこには、ひと振りの愛刀・景秀が置かれていた。
きちんと鞘に収められたそれは恐らく、豊臣 秀吉との激闘のさなか、失ってしまっていたひと振り。
わざわざ抜かずとも、しっかりと修復されていることが、佇まいでわかる。ならば、黒龍もまた同じように……。
動き出した政宗の思考は当然、行動へと伝染する。
小十郎に代わり、側にて自らを支えてくれたあの存在を、政宗はこの目で、しかと確かめたくなった。
もはや許容内だとばかりに、政宗は痛む身体を庇いもせず、その場にすっくと立ち上がる。
心配性の小十郎のことだ、いくら土いじりが趣味とはいえ、傷ついた主を、そう長々と放ってはおけまい。
(アイツが戻ると色々面倒だ……)
小さな鼻笑いを吐き出し、政宗は早々に自室を後にした。
更新日:2015-09-25 14:05:18