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参
代わりの存在などありはしない。
必ず取り戻すとそう決めた己の意思を、政宗は今一度心でなぞった。
予想にもあった結末を前に、政宗の心に黒い炎が灯る。
「やった事の始末はつけてもらうぜ……松永 久秀……」
政宗と元親。そして両者の部下たちの視線をも全身で受け止める松永の顔には、薄い笑みが浮かんでいる。
上弦の月を頭上に、崖上より皆を見下ろす松永の傍らへ、突然、影の気配が訪れた。
「ご苦労……風魔。それでは私はこれにて失礼するよ」
低く低速な響きを残し、漆黒の羽がつむじ風に乗って松永の全身を包み込むや、一瞬にして跡形なくその存在を消し去っていった。
「チッ……」
明確な主旨も掴めず、取り逃してしまった結末に、政宗の口から小さな舌打ちがついて出る。
と、次の瞬間……
「……政宗様!」
記憶の底に刻まれた音が今、たしかに政宗の鼓膜を震わせる。
感極まる部下たちの声をまとい、身を返した政宗の目に、他でもない自らの腹心の姿が映った。
「小十郎……」
ひづめの音と共に、それは走から歩へ。そしてようやく政宗の目前に立ち、停止した馬上より一筋の視線が注がれる。
一片の迷いもない顔。それを久しいと思わなかったのは、政宗自身の中に、その存在は常に息づいていた証拠だ。
『失ってなどいない』そう信じていた。
それだけを宿す隻眼をとらえた小十郎は、ただ小さく頷いた。
「オメェ、長曾我部 元親だな。大阪城でお前さんの弔い合戦が始まってるぜ。すくにでも駆けつけてやんな」
小十郎が口にした知らせに、傍らに立っていた元親の空気が変わる。
じっとりと湿ったように淀んでいたそれまでとは一変、カラリと心地よい、まさに船上で受ける潮風を思わせる爽快な口調。
「そいつぁ後回しに出来そうもねぇなぁ。野郎どもを助けた後、アンタを追って小田原へ……と、言いてぇところだが……」
相も変わらず先読みを含んだ元親の言葉に、政宗はもうひとつの目的を、今再び心に据え直す。
「察しの通り、アンタが駆けつける頃にゃ全部終わってるだろうぜ」
今度こそきっちりとおとしまえをつけさせる。奪われたものを取り戻した今、残るは豊臣の天下統一阻止だ。
きびすを返し、愛馬へと向かう政宗を元親の静かな声が呼び止める。
「独眼竜……くたばるなよ」
心配を色濃く宿す元親の言葉に、政宗は静かな笑みと共に短く返した。
長曾我部軍の怒号が遠ざかる。
日が昇り、落ち着きを取り戻した眼前を黙ったまま、ただ見据えていた政宗の名を、張りつめた小十郎の声が呼ぶ。
背後よりもやや左側のその場所から、言葉よりも先に、その心中が政宗のもとへと伝わっていた。
「政宗様、此度の失態……」
「そんなことはいい」
小十郎の言葉を遮り、政宗は変わらず目前へと心の声を放つ。
「……よく戻った」
多くの言葉など必要ではない。念頭にある想いと、今、共に在るという現実がすべてなのだと、政宗は自らの背で腹心へと伝えた。
引き裂かれた傷はけして消えはしない。けれど、今はもう、政宗の身に肌寒さはなかった。
「政宗様、西から毛利の要塞が迫っております」
聞き慣れた小十郎の語調が、眼前にある進路を明確なものへと変える。
「豊臣はその要塞を奪い、小田原へ向かった本隊、北に配した別動隊と共に、三方より関東を制圧する肚積もり」
水を得た魚。いや……在るべき場所に戻ったもう一匹の竜。その存在感が政宗の中に、言い表せないほどの安らぎを生んだ。
今この時になって、ひどく久しいと感じる……。政宗はそんな自身の心に、小さな笑みをもらした。
「数に劣る以上、線をとる以外に打つ手はねぇ。……そういうことか」
「左様。ここはお任せを……」
小十郎の行動を教える空気の流れ。
手綱を引くとともに、小十郎を背に負う馬が高い声を上げた。
「あなた様の背中、必ずやこの小十郎がお守りする!」
かけがえのない自らの腹心のその言葉は、遠ざかるひづめの音が消えてもなお、政宗の中に深く響き続けていた。
「All right.預けたぜ……小十郎」
必ず取り戻すとそう決めた己の意思を、政宗は今一度心でなぞった。
予想にもあった結末を前に、政宗の心に黒い炎が灯る。
「やった事の始末はつけてもらうぜ……松永 久秀……」
政宗と元親。そして両者の部下たちの視線をも全身で受け止める松永の顔には、薄い笑みが浮かんでいる。
上弦の月を頭上に、崖上より皆を見下ろす松永の傍らへ、突然、影の気配が訪れた。
「ご苦労……風魔。それでは私はこれにて失礼するよ」
低く低速な響きを残し、漆黒の羽がつむじ風に乗って松永の全身を包み込むや、一瞬にして跡形なくその存在を消し去っていった。
「チッ……」
明確な主旨も掴めず、取り逃してしまった結末に、政宗の口から小さな舌打ちがついて出る。
と、次の瞬間……
「……政宗様!」
記憶の底に刻まれた音が今、たしかに政宗の鼓膜を震わせる。
感極まる部下たちの声をまとい、身を返した政宗の目に、他でもない自らの腹心の姿が映った。
「小十郎……」
ひづめの音と共に、それは走から歩へ。そしてようやく政宗の目前に立ち、停止した馬上より一筋の視線が注がれる。
一片の迷いもない顔。それを久しいと思わなかったのは、政宗自身の中に、その存在は常に息づいていた証拠だ。
『失ってなどいない』そう信じていた。
それだけを宿す隻眼をとらえた小十郎は、ただ小さく頷いた。
「オメェ、長曾我部 元親だな。大阪城でお前さんの弔い合戦が始まってるぜ。すくにでも駆けつけてやんな」
小十郎が口にした知らせに、傍らに立っていた元親の空気が変わる。
じっとりと湿ったように淀んでいたそれまでとは一変、カラリと心地よい、まさに船上で受ける潮風を思わせる爽快な口調。
「そいつぁ後回しに出来そうもねぇなぁ。野郎どもを助けた後、アンタを追って小田原へ……と、言いてぇところだが……」
相も変わらず先読みを含んだ元親の言葉に、政宗はもうひとつの目的を、今再び心に据え直す。
「察しの通り、アンタが駆けつける頃にゃ全部終わってるだろうぜ」
今度こそきっちりとおとしまえをつけさせる。奪われたものを取り戻した今、残るは豊臣の天下統一阻止だ。
きびすを返し、愛馬へと向かう政宗を元親の静かな声が呼び止める。
「独眼竜……くたばるなよ」
心配を色濃く宿す元親の言葉に、政宗は静かな笑みと共に短く返した。
長曾我部軍の怒号が遠ざかる。
日が昇り、落ち着きを取り戻した眼前を黙ったまま、ただ見据えていた政宗の名を、張りつめた小十郎の声が呼ぶ。
背後よりもやや左側のその場所から、言葉よりも先に、その心中が政宗のもとへと伝わっていた。
「政宗様、此度の失態……」
「そんなことはいい」
小十郎の言葉を遮り、政宗は変わらず目前へと心の声を放つ。
「……よく戻った」
多くの言葉など必要ではない。念頭にある想いと、今、共に在るという現実がすべてなのだと、政宗は自らの背で腹心へと伝えた。
引き裂かれた傷はけして消えはしない。けれど、今はもう、政宗の身に肌寒さはなかった。
「政宗様、西から毛利の要塞が迫っております」
聞き慣れた小十郎の語調が、眼前にある進路を明確なものへと変える。
「豊臣はその要塞を奪い、小田原へ向かった本隊、北に配した別動隊と共に、三方より関東を制圧する肚積もり」
水を得た魚。いや……在るべき場所に戻ったもう一匹の竜。その存在感が政宗の中に、言い表せないほどの安らぎを生んだ。
今この時になって、ひどく久しいと感じる……。政宗はそんな自身の心に、小さな笑みをもらした。
「数に劣る以上、線をとる以外に打つ手はねぇ。……そういうことか」
「左様。ここはお任せを……」
小十郎の行動を教える空気の流れ。
手綱を引くとともに、小十郎を背に負う馬が高い声を上げた。
「あなた様の背中、必ずやこの小十郎がお守りする!」
かけがえのない自らの腹心のその言葉は、遠ざかるひづめの音が消えてもなお、政宗の中に深く響き続けていた。
「All right.預けたぜ……小十郎」
更新日:2015-09-24 18:51:09