• 105 / 139 ページ

目覚めの月

そこは、ただ、暗かった。だが、闇ではない。透過した月光に照らされる壁も、床も、硬質な煌きを放つ。四角錐状の部屋…空中楼閣は、意外に広く…何もなかった。

その部屋の中央に、小さな影が立っている。漆黒のローブ…ネコミミに見えなくもないフードの下、黒曜の瞳が一同を捉える。

「…待ってた」
「ラクサ…!」

駆け出そうとするヤジルを、アイリスが止める。

「な…何だよ!?」
「…よく見ろ」

ラクサは両手に小刀を抜く。闇の禍風がその身を包む。徐々に、変容する…ネコミミは、角に。華奢な体は隆起し、しなやかな筋を帯びて手足が伸びる。髪は広がり、腰まで長く体を覆う。最後に…小刀は、曲直二刀のサーベルに変わった。

「よくぞ、我が現世身をここへ導いた。褒めて取らす。後は、我が血肉となり、目覚めし我が力となれ」
「…魔神!」
「待てよ、オレ…お前、何するつもりだよ!?」
「何とな?笑止!傲慢にも我が身を封じ、安息に甘んじた人間どもを根絶やしにするのだ…他に何がある」
「そんな…!」
「貴様らは特別だ。我自らが喰ろうてやる、喜べ」

ヤジルはアイリスを振り返る。

「アイリス…オレ、そんなつもりじゃ…」
「わかってるよ。私はただ、逢わせてやると言っただけだ。その先は…自分で決める」

アイリスはヤジルを放し、エレメンタル・マスターを抜く。そして、レインに言った。

「悪いが頼むぞ。もう、形振り構っちゃいられないんでな」
「了解です!」
「あ。待って、俺がやる」

ジーノが踏み出す。眉を寄せたアイリスを、ジーノは…暫し鳴りを潜めていた、あの茫漠とした眼差しで眺める。

「実はさ、連携なら攻め手同士の方が取り易いって、知ってた?俺がフォローするわ」
「…ま、一理あるな。そうすれば、レインは後方支援に集中できる」
「その方がよくね?」
「ただ…私は融通が利かんぞ?お前が読めよ」

傲慢過ぎる言い分で、アイリスは魔神に向き直る。

「病める子よ 忌まわしき 馬蹄の音…」
「そなたをここへ到らしめるつもりはなかったのだがな。敵するに忌々しい魔術師め」

アイリスの呪文を遮って、魔神が言った。直後…

 ―ガキン!
 ―ザッ

アイリスの目前に、魔神が迫る。充分な間合いは取っていた筈、なのに…スレイプニルの加護を受けたジーノでも、やっと追いつける程の速度。

「アイリス…動けるか?」

魔神の刃を食い止めながら、ジーノは尋ねる。アイリスは眉を顰めただけ…エレメンタル・マスターに篭めてしまった魔力を、無駄にはできない…逃げられない。ジーノは頷き、渾身の力で魔神を押し返す。

「…蜘蛛の糸…」

アイリスは呪文を続ける。ジーノが押し戻される。

「そなたが初めから邪魔だった。何故折れぬ?人ならざる者が、何故我に刃向う?」
「…堕天使の…」
「同じ夢を担えるものを…それ故に、憎い」

魔神は剣を放す。

「…気鬱…!」

 ―ドッ

無手の拳がアイリスの側頭を殴る。その剛力に、アイリスは吹き飛ばされる。呪文は完成する直前…しかし、魔神の双の刃は砕けた。ジーノが振り切った剣が、魔神の胴を薙ぐ。

 ―ガィン!

生物の肌とは思えない感触…黒々とした生来の鎧に阻まれ、切り落とすことができたのは毛髪のみ。そして、魔神は片手で刃を、片手でジーノの頭を掴む。

「退いておれ。そなたは後だ」

力任せに投げる。それでも、ジーノは刃を返し、奪われることだけは避ける。アイリスを助けに駆け出したヤジルの前に、ジーノが叩きつけられる。

「ジーノ!」
「あ~…」

呻きながらも、ジーノはアイリスを指す。大丈夫そうだ…ヤジルは頷き、倒れているアイリスを抱き起こす。

「アイリス…!おい!!」
「は…ぁっ…」

起こしても、力は戻らない。ただ、息を漏らし…目を開いた。

「アイリス…」
「大丈夫…肩…貸せ」
「無理だって…!」
「無理でも…やるんだ。アレを…止めなきゃ…!」

魔神は、レインに向かっていた。

「ジュス=ディアの使徒か…我を封じし者の末裔よ、次は、そなただ」
「主よ、我が光よ。我が誇り、貧しき者の誉れよ」

レインは龍槍を構え、祈る。竜の剣が輝きを帯びる。レインは微笑む…ただ、それだけ。

「お前…」

ジーノはレインを見つめる…術と共に、レインの声が聞こえた気がした。

「後は、任せたよ」
「…馬鹿野郎…!」

 ―ゴッ

魔神の拳に、レインの体が浮く。転がされたレインは、だが、すぐに立ち上がる。魔神の攻撃…倒された数だけ、レインは立った。ジーノは振り返る。

「ヤジル…お前の腕輪、ちょっと貸せよ」
「腕輪?」
「ほら、ゴブリンのヤツ」
「ば…っ」

アイリスが目を剥く。止めようにも、体が動かない。

「よせジーノ!お前…これ以上呪いなんて…」
「しゃーねぇよ。俺さ…レインだけは守らねぇと、死んでも死に切れねぇから」

更新日:2015-09-11 11:50:15

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook