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家族との食事
甘じょっぱい香りがキッチンから漂ってくる。
私とその姉りかは、そのにおいにつられて子供部屋から食卓へ向かう。テーブルに置かれた醤油と砂糖で味つけされた焼いた牛肉。それをいきよいよく口に頬張る。醤油の香ばしい香りが口に広がっていく。皿に残るタレが特に好きだったのを覚えている。それを二人は取り合うようにご飯にかけて口一杯に頬張る。その瞬間がたまらなかった。
ただ肉を焼いただけの料理が毎回テーブルに並ぶ。ある日は豚肉、ある日は鶏肉、味付けは醤油と砂糖での味付けだった。
なので、私とりかの偏食は酷かった。特に姉のりかは、野菜の全般が食べられない、魚も白身魚が食べられず、フルーツも林檎意外が食べられなくなった。私も同様に野菜のほとんどが食べられず。(トマトとキュウリはたべれた)魚が全く食べれなかった。
給食は地獄だった。野菜いっぱいのスープに青豆の混ぜご飯におつけもの。私とりかはほとんど口にせずに、給食の時間が終わるのを待った。だが、中には残すのを許さない先生もいて、仕方なく鼻をつまんで食べていたが、咀嚼するたびに野菜のじゃきじゃき感が吐き気を催す。
牛乳で勢いよく流す。そんな繰り返しだった。小学校高学年になった辺りから、食べ物事態があまり美味しいと感じなくなっていった。その頃は親が仕事に出ていて、毎日の夕食は……あれ?何食べていたんだっけ?
菓子パンだっけ?炊いたご飯に生卵かけて食べていたっけ?
あまり覚えていないが、カレーとかグラタンとかそんな定番料理は食べていなかった。
学校から帰ると、炊飯器に炊けている(いつも親が仕事前に用意してくれていた)ご飯に海苔を巻いて食べていた、お腹は空くからね。
姉は中学の部活とかあったから、帰りはバラバラたった。
いつも一人で食べていたね。
ご飯と海苔をね。
あれ?いつから家族でご飯を食べなくなったんだっけ?
私が小学3年生までは、姉と母との3人で食べていたね。
テレビを見ながら、2歳年上の姉は習い事をしていたのでケータイを持っていて、ご飯の時にケータイをいじって良く怒られていた。
父が仕事を止めたのが5年生の時だから、母が働きに出掛けるようになったのはその頃ぐらい。
その頃からテーブルで囲む家族団らんの食卓は無くなったね。
母は強い人だった。私達を育てるために、就職と子育てに追われていた。父は不器用な人だった。自分の気持ちを上手く言えない人。だから、辛くて逃げてパチンコにはまった。
多額の借金を抱えた。
母もきっとたくさんストレスを抱えていたんだね。
どんどんネットのゲームにハマっていった。
母が休みのときは学校から走って家に帰ってた。
玄関を開け、「ただいま」ってそしたら「おかえり」って返事がかえって来るの。
乱暴に靴を脱ぎ、居間のドアを開けるの。
そしたら、パソコンの前に座る母の背中があったね。
すごく、その記憶が残っているね。
私とその姉りかは、そのにおいにつられて子供部屋から食卓へ向かう。テーブルに置かれた醤油と砂糖で味つけされた焼いた牛肉。それをいきよいよく口に頬張る。醤油の香ばしい香りが口に広がっていく。皿に残るタレが特に好きだったのを覚えている。それを二人は取り合うようにご飯にかけて口一杯に頬張る。その瞬間がたまらなかった。
ただ肉を焼いただけの料理が毎回テーブルに並ぶ。ある日は豚肉、ある日は鶏肉、味付けは醤油と砂糖での味付けだった。
なので、私とりかの偏食は酷かった。特に姉のりかは、野菜の全般が食べられない、魚も白身魚が食べられず、フルーツも林檎意外が食べられなくなった。私も同様に野菜のほとんどが食べられず。(トマトとキュウリはたべれた)魚が全く食べれなかった。
給食は地獄だった。野菜いっぱいのスープに青豆の混ぜご飯におつけもの。私とりかはほとんど口にせずに、給食の時間が終わるのを待った。だが、中には残すのを許さない先生もいて、仕方なく鼻をつまんで食べていたが、咀嚼するたびに野菜のじゃきじゃき感が吐き気を催す。
牛乳で勢いよく流す。そんな繰り返しだった。小学校高学年になった辺りから、食べ物事態があまり美味しいと感じなくなっていった。その頃は親が仕事に出ていて、毎日の夕食は……あれ?何食べていたんだっけ?
菓子パンだっけ?炊いたご飯に生卵かけて食べていたっけ?
あまり覚えていないが、カレーとかグラタンとかそんな定番料理は食べていなかった。
学校から帰ると、炊飯器に炊けている(いつも親が仕事前に用意してくれていた)ご飯に海苔を巻いて食べていた、お腹は空くからね。
姉は中学の部活とかあったから、帰りはバラバラたった。
いつも一人で食べていたね。
ご飯と海苔をね。
あれ?いつから家族でご飯を食べなくなったんだっけ?
私が小学3年生までは、姉と母との3人で食べていたね。
テレビを見ながら、2歳年上の姉は習い事をしていたのでケータイを持っていて、ご飯の時にケータイをいじって良く怒られていた。
父が仕事を止めたのが5年生の時だから、母が働きに出掛けるようになったのはその頃ぐらい。
その頃からテーブルで囲む家族団らんの食卓は無くなったね。
母は強い人だった。私達を育てるために、就職と子育てに追われていた。父は不器用な人だった。自分の気持ちを上手く言えない人。だから、辛くて逃げてパチンコにはまった。
多額の借金を抱えた。
母もきっとたくさんストレスを抱えていたんだね。
どんどんネットのゲームにハマっていった。
母が休みのときは学校から走って家に帰ってた。
玄関を開け、「ただいま」ってそしたら「おかえり」って返事がかえって来るの。
乱暴に靴を脱ぎ、居間のドアを開けるの。
そしたら、パソコンの前に座る母の背中があったね。
すごく、その記憶が残っているね。
更新日:2015-08-28 10:54:37