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~ 序章 ~

 蒼い月の夜だった。

 表通りの桜並木は、その花をすべて風に散らして若葉を茂らせているというのに、寮舎の裏庭に植えられた、一本の老木だけは、まだ桜色の衣を纏っており、月の光にほの白くその姿を浮かび上がらせていた。

 「おい、居るか?」

 舌ったらずな、子供の声が訊いた。桜の木の下から発せられた問いかけに、応えはない。

 「居るのは、わかってンだ。 ─── 姿を見せたらどうだ?」

 再び尋ねた声は、幼い子供のものだが、口調は大人顔負け・・・というよりも、大人のそれ。

 「 ─── やあ、ちび助。久しぶりだね」

 微かに揺れた枝の上から、柔らかな声が応えた。

 「久しぶりだな。お前にハナシがあるんだ」

 木の下から、小さな影が跳んだ。

 木の枝に、影はちょこんと腰掛け、月の明かりのもとにその姿を露にした。応えた声が『ちび助』と呼んだのにふさわしく、その姿はまだ幼い。その姿に呼応するかのように、もう一つの人影が姿を現した。

 「ちっとも、変わってねぇな・・・」

 『ちび助』がその姿を見上げ、唇の端をあげてみせた。

 年の頃は、15、6といったところか。桜色に染められた衣に身を包み、枝の上に優雅に立つその姿は、妖しいまでに美しい。

 額にかかる黒髪の間からのぞく双眸が、『ちび助』の姿を捉え、ほんの一瞬だが柔らかく笑んだ。

 「なんだい?ハナシって」

 シニカルな笑みに歪ませた真紅の唇が、吐息と共に醒めた言葉を呟く。

 「 ─── お前に、頼みがある」

 『ちび助』は微かに微笑み、口を開いた。

 「あいつの・・・守護者になってもらいてぇんだ」

 「・・・」

 少年は思案顔で月を振り仰ぐ。

 「お前の力が、必要なんだ」

 『ちび助』は言葉を重ねた。淡々としてはいるが、有無を云わせない口調に、少年は断り文句を探すのをあきらめたらしく、肩をあげて見せた。

 「君の頼みじゃ、断れないね」

 少年の言葉に、『ちび助』はにっこりと笑ってみせた。

 「ちょっと手がかかるが・・・よろしく頼むな」

 それだけ云うと、『ちび助』はぴょこんと枝からその身を躍らせた。

 少年は肩を幹に預け、再び月を仰いだ。

 丸く肥えた月の表面に、何かの姿を求めるように瞳を彷徨わせ、その唇をほろ苦く歪ませる。

 「・・・主さま」

 微かな呟きは、そう聞こえたが、確かめる術はなかった。

 そこには、人影もなく・・・ただ、月の光のみが差していた ─── 。
 

 

更新日:2015-07-19 18:37:53

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