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「なんなの、ムカつく。」

 気づけば視界の端に映る女。
 俯き、猫背で長い黒髪が垂れて顔を隠している。僅かに確認できるのは、銀縁眼鏡の鈍く光るフレームの輝きのみ。羨ましいくらい細い手足も、いつも怯えているみたいに縮こまっている。梅雨明けの初夏だというのに、ジーパンに七分丈の黒いシャツを纏っていて、見ていて大変暑苦しい。日々かわりばえしない暗色の服装は、女の雰囲気も相まって、そこだけが暗く暗雲低迷に続く梅雨空のようだ。性格はクソ真面目のようで、今も真剣にくだらない講義の内容を、必死にノートに書き込んでいる。時折女が取り出す蛍光色の付箋が、女に唯一の色彩を与えているようにも見えてくる。
 一目でわかるくらい、ヲタクくさく根暗な女だ。それが最近私の視界に入っては、私をひどく苛立たせる。
 なんなのだ、一体。

「今日の講義はここまで。来週までに今日の所までを4000字以上のレポートにまとめて提出。」
「えー。先生4000字は多いよ。2000字!」
「馬鹿言え、これでも俺は譲歩してんだ。そこのギャルども、ちゃんと出せよ。」
「ケチー!」

 課題は別に4000字でも構わない。けれどここで抗議するのが、ノリというものだ。イケてるグループにいるのなら、ノらなければ。先生は構えば喜び、名前を覚えて単位をくれる。テストの点がそれなりあれば、先生は甘やかしてくれる。あの女のように必死になるほどノートをとるほどでもない。
 ちらり。女がまた視界に映った。

「あ。」

 女を初めて、真正面で捉えた。やはり、長い髪で表情はあまり伺えない。しかし、女の眼鏡のガラス越しに、初めてその瞳を見た。明らかに私を睨みつけるその目に、ぞくりとるす。と、同時に苛立ちも増す。
 なんなのだ、一体。

「ちょっとー、次の講義行かないのぉ?」
「ごめん、ごめん。行くよぉ!」

 友達の呼びかけに、女との視線を逸らす。女を視界から外すためにも、さっさと次の講義に向かおうと、荷物をまとめて立ち上がる。
 教室を出る直前、一瞬だけ振り返り女を見た。荷物をまとめる後ろ姿は、いつものように暗く猫背だ。

 嗚呼、ムカつく。

更新日:2015-07-06 23:27:19

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