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受診 ~アルツハイマーとの共存~
ほぼ確信的に受診したのが、2007年4月の事です。
田舎ですので、ご近所で〝隣組〟と言うのを組んでいます。
年に一度くらい回ってくる月当番に当たると、町広報誌を配ったり、会費の集金などをする事になっています。月当番の配り物も、神社の清掃作業も、隣組のお付き合いも、ずっと義父がしてくれていました。
寝てばかりいる義父に、『広報配れる?』と訊ねると、
「うん、配れるよ」と返事が返ってきたので、運動にもなるだろうと、配ってもらう事にしました。
でも、暫くして帰ってきた義父の手には、殆ど減っていない広報の束が・・・。
「どうしたの?」と訊ねると「どうもせぇへんよ」との返事。
(どうもせん事ないやろう~)
明らかにおかしいのに、義父からは申し訳なさなど伝わって来ません。
結局、どの家のポストに入れたのか分からず、一軒一軒私が尋ねて回りました。
この分だと集金は無理だなと思い、義父に、
「集金は私がするから、じいちゃん行かんでええよ」と伝えておきました。
そして、数日後集金に回ると、
「あれ?昨日おじいちゃんが集めに来てくれたよ。
ウチは一回やったけど、お隣のお家には3回来はったらしいよ』
と言われてしまい、
(なっ!?なんですって~!!)
「それはすみませんでした。お隣のお家にも謝りに行ってきます」
赤っ恥です。信用問題です。
家に帰り、じいちゃんに、集金したお金はどこですか?と訊ねますと・・・
「お金?あ~八百屋で買い物してきたわ」
これが、実しやかに、何の悪びれた様子もなく言うのですから、びっくりです。
「隣組のお金やのに、遣ったらあかんやろ!何買ったん?」
呆れますわ。どう言うつもりなんでしょう。ご近所さんから預かったお金で買い物するなんて。
イライラする私にじいちゃんは、
「このズボンや」
ハンガーに掛けてある履き古したズボンを指差し、言い放ったのです。
(あっそうか。古着やったら八百屋でも売ってるもんな・・・って、ウソつけ!)
作話です。しゃーしゃーと言うものですから、嘘をついているとはなかなか気付けません。
この日の事が、受診を決断した大きな一つになりました。
他人さんに迷惑をかけてしまった事がショックでした。
義父を説得して受診しました。
脳に萎縮が見られ、医師の質問にも殆ど答えられないような状態で、アルツハイマー型認知症だと診断されました。
主人の姉に報告すると、
「失敗しても、怒ったりしたらあかんよ。間違ってても否定せんと、わからん様にやり直したらなあかんよ」
と、アドバイスを貰いました。
義姉も私も介護職で、その手の講習は沢山受けてきましたし、実際、その様に利用者さんに接してきました。それが正しい事もよく解っています。
でも、それは介護職の現場での事。介護が日常である家族にとっては、あまりにも辛い言葉でした。
他人なのに出来る事。他人だから出来ない事。
家族だから出来る事。家族なのに出来ない事。
今まで介護の仕事の現場で不思議に思っていた事が、やっと解ったような気がしました。
要介護者を持つ家族さんの複雑な気持ちにやっと気付けました。
認知症の家族と暮らすと言うのは、話しても話しても、決して伝えきれない苦悩があります。
身体的な苦痛。精神的な苦痛。金銭的な苦痛・・・。
そして、家族(我が家は5人家族です)それぞれに、別々の苦痛があるのです。
同じ苦悩であれば、寄り添い慰め合い、助け合う事も出来るのでしょうが外から見れば同じ問題のようでも、一人一人孤独に苦悩しているのです。
「誰か助けて!」と叫んでいます。
・・・と言う事で、
2007年4月アルツハイマーと診断され、我が家の介護生活が始まりました。
義父67歳。私は38歳でした
田舎ですので、ご近所で〝隣組〟と言うのを組んでいます。
年に一度くらい回ってくる月当番に当たると、町広報誌を配ったり、会費の集金などをする事になっています。月当番の配り物も、神社の清掃作業も、隣組のお付き合いも、ずっと義父がしてくれていました。
寝てばかりいる義父に、『広報配れる?』と訊ねると、
「うん、配れるよ」と返事が返ってきたので、運動にもなるだろうと、配ってもらう事にしました。
でも、暫くして帰ってきた義父の手には、殆ど減っていない広報の束が・・・。
「どうしたの?」と訊ねると「どうもせぇへんよ」との返事。
(どうもせん事ないやろう~)
明らかにおかしいのに、義父からは申し訳なさなど伝わって来ません。
結局、どの家のポストに入れたのか分からず、一軒一軒私が尋ねて回りました。
この分だと集金は無理だなと思い、義父に、
「集金は私がするから、じいちゃん行かんでええよ」と伝えておきました。
そして、数日後集金に回ると、
「あれ?昨日おじいちゃんが集めに来てくれたよ。
ウチは一回やったけど、お隣のお家には3回来はったらしいよ』
と言われてしまい、
(なっ!?なんですって~!!)
「それはすみませんでした。お隣のお家にも謝りに行ってきます」
赤っ恥です。信用問題です。
家に帰り、じいちゃんに、集金したお金はどこですか?と訊ねますと・・・
「お金?あ~八百屋で買い物してきたわ」
これが、実しやかに、何の悪びれた様子もなく言うのですから、びっくりです。
「隣組のお金やのに、遣ったらあかんやろ!何買ったん?」
呆れますわ。どう言うつもりなんでしょう。ご近所さんから預かったお金で買い物するなんて。
イライラする私にじいちゃんは、
「このズボンや」
ハンガーに掛けてある履き古したズボンを指差し、言い放ったのです。
(あっそうか。古着やったら八百屋でも売ってるもんな・・・って、ウソつけ!)
作話です。しゃーしゃーと言うものですから、嘘をついているとはなかなか気付けません。
この日の事が、受診を決断した大きな一つになりました。
他人さんに迷惑をかけてしまった事がショックでした。
義父を説得して受診しました。
脳に萎縮が見られ、医師の質問にも殆ど答えられないような状態で、アルツハイマー型認知症だと診断されました。
主人の姉に報告すると、
「失敗しても、怒ったりしたらあかんよ。間違ってても否定せんと、わからん様にやり直したらなあかんよ」
と、アドバイスを貰いました。
義姉も私も介護職で、その手の講習は沢山受けてきましたし、実際、その様に利用者さんに接してきました。それが正しい事もよく解っています。
でも、それは介護職の現場での事。介護が日常である家族にとっては、あまりにも辛い言葉でした。
他人なのに出来る事。他人だから出来ない事。
家族だから出来る事。家族なのに出来ない事。
今まで介護の仕事の現場で不思議に思っていた事が、やっと解ったような気がしました。
要介護者を持つ家族さんの複雑な気持ちにやっと気付けました。
認知症の家族と暮らすと言うのは、話しても話しても、決して伝えきれない苦悩があります。
身体的な苦痛。精神的な苦痛。金銭的な苦痛・・・。
そして、家族(我が家は5人家族です)それぞれに、別々の苦痛があるのです。
同じ苦悩であれば、寄り添い慰め合い、助け合う事も出来るのでしょうが外から見れば同じ問題のようでも、一人一人孤独に苦悩しているのです。
「誰か助けて!」と叫んでいます。
・・・と言う事で、
2007年4月アルツハイマーと診断され、我が家の介護生活が始まりました。
義父67歳。私は38歳でした
更新日:2015-08-31 13:53:09