• 8 / 8 ページ

空からの声

H君が埋葬されたお墓は、実は私が幼少の頃から住んでいた
家からわずか百メートルくらいのところにありました。

自宅から近いこともあって、毎年9月8日は私ひとりでH君の
お墓参りに行きました。

お墓参りといっても、大仰に行くわけではありません。

サンダル履きのまま、普段着のままお墓まで歩いて行き、
手を合わせるだけです。

献花の代わりに缶コーヒーを供え、線香の代わりに、
火のついたタバコを上に向けて1本供えるだけでした。

過去に一度だけA君を同伴したこともありますが、
それ以外は私一人だけ、その後約20年間、毎年9月8日は
H君の墓参りに行きました。

しかし、かくいう私にもいろいろとあって、ここ十年ほど
昼から夜遅くまでの仕事に従事するようになりました。

つまり、9月8日が仕事休みでなかった場合は夜の23時過ぎに
一人でお墓参りに行かなければなりませんでした。

H君の命日だから…と思えばこそ、夜の墓場も特に怖いとは
思いませんでしたが、何かの書物で「日没後は神社仏閣には
行くべきではない」ようなことを知りました。

そのためここ5年~6年H君のお墓参りには行っていません。

H君の命日は忘れたりはしませんが、9月8日がたまたま仕事
休みでもない限り、夜は、お墓参りには行かないことにした
からです。


さて、どういういきさつか、昨年から少し仕事の割り当てが
変わり私は昼勤になりました。

ただ、昼勤といっても、朝9時から夕方6時までの拘束なので、
退勤してH君のお墓に着く頃には、やはり暗くなってしまう
のです…。

そして、今年、よくよく考えてみたら、昼間公用で出かける
ときにほんの数分だけ私用でお墓に寄ったとて咎められること
もないだろう…と思えてきたのです。

そんなわけで…、9月8日が近づくにつれて私は、
「今年は、公用外出する道すがら、H君のお墓に寄ろう」と
計画していたのです。

そうしたら…、
通常では起きえないことが起き、しかも雨に…。

あとは、冒頭に記したとおりです…。



その日の公用は翌日に延期してもOKでしたので、都合、
私は、ふだんのデスクワークに戻りました。

そして、昼食も行きそびれ、午後の2時半を回った頃だった
でしょうか…、誰か若手社員から私に連絡がありました。

社員 「Tさんと連絡とれました。やっぱりパチンコ屋に
いました…、でも車の鍵は持ってないそうです…」

私は、もはやその日は出かけるまいとアタマの中を切り替え
てしまったため、鍵があろうとなかろうと、どうでもいいと
さえ思っていました。

私 「あっ、そう…。じゃ、誰が犯人なのかねぇ…」

社員 「鍵はあったそうです」

私 「あった??」

社員 「ええ、Tさんは昨夜車を使ったあと、鍵掛けボード
ではなくて、キーボックスの方に入れたんだそうです。
たしかに、見たら、ありました…」

私 「あっ、そう。それはそれは、呆れたね…。まぁ、
見つかってよかったよ…」

私がいつも使う社用車はポンコツのリッターカーなので、
いつも鍵はボードに掛けていました。

でも、普通車でわりと新しい社用車の鍵は、別の場所(キー
ボックス)にしまうようにして、割とシビアに管理されていた
のです。

つまり、夜遅く、Tさんは鍵掛けボードから鍵を取ったにも
かかわらず、わざわざご丁寧に別の場所に返したということ
だったのです。

私は、半ば呆れて外の空気を吸いに出ました。


なぜか…、雨は止んでいました…。


私は、軽く煙を吐きながら、心の中で思いました。

「鍵はあったとさ…、でも、出掛けないと決めたんだから、
今年はもう出ないことにするよ…、また来年、な…」

というより、私が(お墓に)行かないと決めたから…、
疎ましい(九月の)雨が止み、突然姿を消してしまった鍵が、
何事もなかったかのように出てきた…、
そんなふうに思えてなりませんでした。

                          おわり

更新日:2015-07-12 17:32:31

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook