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回想  浪人時代

さて、都合、途中端折りますが、私たち仲間5人のうち3人は
それぞれH大、M大、K大に現役で合格し、私と残る1人は
1浪を決め込みました。

高3に入ってからほぼ1年間、受験受験で心身ともに気が張っ
ていたせいもあり、我々5人は悲喜交交、春先から夏場にかけ
て、かなり羽をのばしました。

我々5人は、幸か不幸か、いわゆる軟派ではなくどちらかと
いえば硬派で、土曜の夜は、面子さえ揃えばたいていは徹夜
麻雀をして過ごしました。

夏には海水浴にも行き、海辺の民宿に泊まったりもしました
が、夜はやはり麻雀でした。

麻雀は非常に奥の深い遊びであり、その面白さといったら、
他のどんな遊びをも凌駕、優越するでしょう。

その奥深さは、麻雀にとりつかれた経験のある人にしか、
絶対に理解できないでしょう。

でも、いつも同じ仲間の家で徹夜麻雀…というわけにもいか
ないので、昼間から私の家に集まったり、巷の雀荘に行った
り、いろいろでした。

また、仲間のうち、M大に入学したT君には美大に通う兄貴
がいて、当時T君の兄貴はC市のマンションから大学に通って
いました。

それが…、T君の兄貴が実家に戻ってくる日は、マンション
の部屋は無人となるため、名目は留守番ということにして、
我々5人はC市のマンションまで麻雀を打ちに行きました。

それは、当日の夕方から電車で行き、徹マンなので必然的に
一泊して翌日昼過ぎに帰ってくるというパターンでした。

そうなると、往きの電車内から既に男5人だけの「コンパ」
状態となり、C駅からてくてく歩いてマンションまで行くのが
常でした。

何の色気もなく、男5人で麻雀を打ちに行くだけなのに、なん
とも風情があって半ば小旅行気分に浸れるような不思議な感覚
でした。

そんな…、今にして思えば酔狂ともいえるような日々をすごし
ていたのが昭和52年頃のことです。


そして、その日、昭和52年9月7日も、例によって夕方からC市
のマンションまで麻雀を打ちに行きました。

翌日9月8日は、夕方近くにマンションを出て、いつものように
C駅までぷらぷらと歩いて行ったのですが、その日は存外強め
の雨が降っていました。

5人のうち誰が言いだしっぺだったかはわかりませんが、線路沿
いにあるパチンコ店に寄って「雨宿りして行こう」ということ
になりました。

ちなみに私は、18歳を過ぎても一人でパチンコ店に入ることは
ありませんでした。

つまり、当時はパチンコ店に入るのはいつも麻雀仲間といっし
ょのときだけでした。

私は、いつもは千円近く負けると「見学」していたものですが、
その日は不思議なくらいツイていて、チューリップ役モノで1台
打ち止めにしました。

店内には太田裕美の「九月の雨」が何度も何度も有線で流れま
した。

それは当時ヒットしていたからだと思いますが、パチンコ店内
で初めて耳にし、そして何回となく聴くうちに、サビの部分が
妙に耳に残りました。

その頃はパチンコで勝っても換金しようなんて考えはまったく
なく、いつもタバコかチョコレートをもらっていたものですが、
その日は(私にしてみれば)かなりの勝ちだったので、何か
景品と替えようと思いました。

そして、たまたま景品の中に「九月の雨」のシングルレコード
があり、これだ!と思い、交換しました。

あらためて自宅に帰ってから聴いてみると、ヒット中とはいえ、
ずいぶんと寂しい歌詞というか、結局は悲恋を唄った曲なんだ
な…と思いました。

更新日:2015-07-12 17:13:01

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