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回想  中学校時代 その2

しかし、中学2年になって、しばらく経ったある日を境に、
そんな生活が一変しました。

どういういきさつかは知りませんでしたが、県大会で準優勝した
ことのあるOBのYさんが私たちに卓球を教えにきてくれること
になったのです。

Yさんは二十代後半くらいで、いつもGパンに赤いTシャツ姿で
した。

私たちはいっちょまえに卓球シューズを履いていましたが、Y
さんはいつも来客用のスリッパか裸足でした。

それでもなお、Yさんはフル装備の私たちより数段速いフット
ワークでした。

Yさんは、上半身の動きも速く、中国の李富栄選手のような前陣
速攻型の卓球でした。

Yさんの前陣速攻型の卓球は、私の目指すところであり、正しい
打ち方やサーブ・レシーブの方法についていろいろ教わりました。

はたして私は、スマッシュのスピードをさらに上げ、ドライヴも
打てるようになりました。

しかし、私は、カットサーブに対する「ツッツキ」がことのほか
苦手でした。

なので、攻撃する以前に自滅してしまうことが多かったのです。

Yさんから個別に「ツッツキ」の方法論を教わり、自分なりに
練習を積んでも、どうにも上達できませんでした。

片や、U君は、Yさんに教わるようになってからずば抜けて上達
しました。

U君は、もともとひ弱な感じのするタイプで、私やH君のように
身体を鍛えるでもなし、スマッシュや強打にしても球威のない
ボールしか打てませんでした。

それは、訓練所で遊んでいた頃からずっとそうであり、私は内心
「U君にだけは負けるはずがない」と思っていたのです。

しかし、ある日のこと、部活の最中に、みんなで練習試合をしよ
うということになり、私はU君と対戦しました。

しかし、その時私の前にいたのは訓練所時代のU君ではありま
せんでした。

サーブにしろ、レシーブにしろ、U君はほとんどミスをしなく
なっていました。

どんなに切れているサーブを打っても確実にツッツキで返してき
ました。

そして、なぜか先制攻撃してこないのです。

つまり、守備を固めながら相手のミスを待っている、そういう
タイプの卓球でした。

おそらく、それはすべて指導者Yさんの戦法なのだろうと思いま
した。

球威のないスマッシュで攻撃するより、確実にレシーブして相手
のミスを誘う、まるで野球の「打たせて捕る」だと思いました。

さらに、U君はフットワークの練習をかなり積んだらしく、とに
かく速い動きをしました。

それゆえ、スマッシュを打ち込んでもコースを読まれているので、
か弱いボールが返ってきます。

自信をもって打ち込んだ球が戻ってくるというショックと、それ
に対する次の態勢が間に合わず、今度は私がミスをする番でした。

はたして、私はU君に惨敗しました。

そして、内心「あぁ、これはもう、追いつけないくらい先に行か
れてる…」そう思い知らされたのです。

その後私は、「でも自分にはスマッシュという武器がある。ツッ
ツキさえ上達すればもっと強くなれるはずだ…」とは思うものの、
依然としてツッツキは苦手なままで、少しずつ自信を失くしてい
きました。

そしてさらに、それからしばらくして、どうにも納得のいかない
事態が起きたのです。

我らが卓球部が、郡大会だか、何か大きい試合に参加できること
になり、ろくでなし顧問がこんなことを言い出したのです。

顧問 「団体戦は(どのみち)勝てないだろうなぁ。ただ、今の
実力からして、U君なら個人戦で行けるかもしれない。私からY
さんに頼んで、しばらくはU君にだけマン・ツー・マンの指導を
頼むことにするから」

子供ながらも、さすがにこれには腹が立ちました。

名目だけの顧問が、しかも卓球の何たるかを知らない者が言い出
しただけに余計に腹が立ったのです。

それは…、そう思ったのは私だけではありませんでした。

はたして、それからしばらく経ってから、A君・H君ほか、何人
かと連れ立って、私は卓球部を退部しました。

卓球は楽しいものでしたが、私には、その卓球部そのものがつま
らなくなってしまったからでした。

そうなると、かつての覇気はどこへ行ってしまったのやら、私に
しろH君にしろ、夜のトレーニングどころではなくなってしまい
ました。

はたして、夜のトレーニングはそれからぱったりとやめてしまい
ました。

更新日:2015-07-11 09:31:08

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