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水無月の旅
梅雨のさなかの時期、一瞬の晴れ間を期待して旅に出ようと思う。
この日、時々薄日が差すものの、大陸からの寒気が流れ込んで梅雨寒という言葉が当てはまる肌寒い一日となった。
前日から準備した道具はすでにオートバイに積み込んであり、出発する直前に食材をサイドバッグにしまえば良いという状態にしてある。
オートバイのキャンプに出る前は、いつも独特の緊張感が伴う。なぜなら、まず、たくさんの荷物を積み込んだオートバイに圧倒される。
こんなにたくさんの荷物を載せているということはそれだけ重いということだ。もしも倒してしまったら大変だろう。荷物を下ろしてから起こさなければならない。
そして、車での移動と異なり、何でも積んでいけるという余裕がない。
積載容量の限られたオートバイの場合、あれもこれも、という訳にはいかないからだ。車の時より厳選した荷物、つまり、不便があるかもしれない、ということだ。
これまで、何度も経験してきたことではあるのだけれど、毎回、なぜか、緊張してしまう。
忘れものがないだろうか、そんな心配が出発前には必ず付きまとう。
それでも頭の中である程度シュミレーションして、まあ、大丈夫だろうというところまでくれば、あとは出発するだけだ。
荷物を積み込んでから、玄関を出る瞬間も緊張する。戸を開けた幅は荷物の幅とほぼ同じ。荷物をひっかけないように慎重に押し,やっとの思いでインドアからアウトドアに移動する。
そこで荷物満載のオートバイをもう一度チェックする。
緩みはないか。バランスが崩れはしないか。
この時点で、大事なものを忘れていることに気付く場合もある。
頭の中ではものすごいスピードでチェックしているのかもしれない。
エンジンをかけ、しばらく暖機し支度を整えていると、少し離れたところで、近所の主婦が二人、立ち話をしていることに気付いた。
別に隠している訳ではないけれど、どんな風に見られているのだろうと少し気になったりもする。
女性が一人で、オートバイでキャンプに行くという行為は、大抵の女性からすると、想像すらできないことではないだろうか。
危なくないの?怖くないの?
そんな質問は何度もされたことがあるけれど、いつも私はこう答える。
「楽しいし・・・大丈夫です!」
危険や心細さは無い訳ではないけれど、それにひるんでしまうことはない。
そして、多少奇異の目で見られるとしても構わない、という変な潔さをすでに持ってしまっている。それは、初めから覚悟の上だから。
出発してしまえば、もう、そうした心配や懸念は置き去りになる。
梅雨という時期は、単に鬱陶しい嫌な季節、と以前はずっと思っていたけれど、キャンプをするようになってからは、春から夏に代わるとても大切な季節と思えるようになった。田植えの季節が過ぎ、稲の成長にはとても大切な雨の恵み。アジサイの花が美しく水滴に囲まれる季節。
立ち込めた霧が森の中で幻想的な風景を見せてくれる季節なのだ。
まっすぐな田舎道の両脇に、風になびく稲が行儀よく植えられた田んぼが続いていて、雲間から差す太陽の光を反射している。
気温は確かに低めで太陽が隠れてしまうと、夏用のジャケットでは少し肌寒いほどだ。
いつもの高原道路を通り、標高1000mを超える峠では気温15度という表示が出ていた。
陽射しが欲しい。
峠からしばらく行くと広々とした牧場に差し掛かる。ちょうど放牧されているたくさんの牛たちが、元気よく草を食んでいる最中だった。
オートバイを止めてカメラを取り出し、彼女たちの食事風景を観察することにした。
まだ若い雌牛たちは大きなシャリシャリという音を立てながら片っ端から青々した草を刈りとり、自身の栄養にして行く。
可愛らしい大きな目でこちらを興味深く、じっと見つめている。人を怖がる様子もなく、しばらく見ていたかと思うと、次に地面の青草に執着し始める。
夏の間だけ、彼女たちはここで自由に過ごし、寒くなるころにまたトラックに乗せられて戻って行くのだ。
この日、時々薄日が差すものの、大陸からの寒気が流れ込んで梅雨寒という言葉が当てはまる肌寒い一日となった。
前日から準備した道具はすでにオートバイに積み込んであり、出発する直前に食材をサイドバッグにしまえば良いという状態にしてある。
オートバイのキャンプに出る前は、いつも独特の緊張感が伴う。なぜなら、まず、たくさんの荷物を積み込んだオートバイに圧倒される。
こんなにたくさんの荷物を載せているということはそれだけ重いということだ。もしも倒してしまったら大変だろう。荷物を下ろしてから起こさなければならない。
そして、車での移動と異なり、何でも積んでいけるという余裕がない。
積載容量の限られたオートバイの場合、あれもこれも、という訳にはいかないからだ。車の時より厳選した荷物、つまり、不便があるかもしれない、ということだ。
これまで、何度も経験してきたことではあるのだけれど、毎回、なぜか、緊張してしまう。
忘れものがないだろうか、そんな心配が出発前には必ず付きまとう。
それでも頭の中である程度シュミレーションして、まあ、大丈夫だろうというところまでくれば、あとは出発するだけだ。
荷物を積み込んでから、玄関を出る瞬間も緊張する。戸を開けた幅は荷物の幅とほぼ同じ。荷物をひっかけないように慎重に押し,やっとの思いでインドアからアウトドアに移動する。
そこで荷物満載のオートバイをもう一度チェックする。
緩みはないか。バランスが崩れはしないか。
この時点で、大事なものを忘れていることに気付く場合もある。
頭の中ではものすごいスピードでチェックしているのかもしれない。
エンジンをかけ、しばらく暖機し支度を整えていると、少し離れたところで、近所の主婦が二人、立ち話をしていることに気付いた。
別に隠している訳ではないけれど、どんな風に見られているのだろうと少し気になったりもする。
女性が一人で、オートバイでキャンプに行くという行為は、大抵の女性からすると、想像すらできないことではないだろうか。
危なくないの?怖くないの?
そんな質問は何度もされたことがあるけれど、いつも私はこう答える。
「楽しいし・・・大丈夫です!」
危険や心細さは無い訳ではないけれど、それにひるんでしまうことはない。
そして、多少奇異の目で見られるとしても構わない、という変な潔さをすでに持ってしまっている。それは、初めから覚悟の上だから。
出発してしまえば、もう、そうした心配や懸念は置き去りになる。
梅雨という時期は、単に鬱陶しい嫌な季節、と以前はずっと思っていたけれど、キャンプをするようになってからは、春から夏に代わるとても大切な季節と思えるようになった。田植えの季節が過ぎ、稲の成長にはとても大切な雨の恵み。アジサイの花が美しく水滴に囲まれる季節。
立ち込めた霧が森の中で幻想的な風景を見せてくれる季節なのだ。
まっすぐな田舎道の両脇に、風になびく稲が行儀よく植えられた田んぼが続いていて、雲間から差す太陽の光を反射している。
気温は確かに低めで太陽が隠れてしまうと、夏用のジャケットでは少し肌寒いほどだ。
いつもの高原道路を通り、標高1000mを超える峠では気温15度という表示が出ていた。
陽射しが欲しい。
峠からしばらく行くと広々とした牧場に差し掛かる。ちょうど放牧されているたくさんの牛たちが、元気よく草を食んでいる最中だった。
オートバイを止めてカメラを取り出し、彼女たちの食事風景を観察することにした。
まだ若い雌牛たちは大きなシャリシャリという音を立てながら片っ端から青々した草を刈りとり、自身の栄養にして行く。
可愛らしい大きな目でこちらを興味深く、じっと見つめている。人を怖がる様子もなく、しばらく見ていたかと思うと、次に地面の青草に執着し始める。
夏の間だけ、彼女たちはここで自由に過ごし、寒くなるころにまたトラックに乗せられて戻って行くのだ。
更新日:2015-06-29 13:56:32