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甘いひと時を
「神尾が怪我?」
話を聞けば5時限目の体育の時間はバスケットボールだったそうだ。レイアップシュートを華麗に決めて、戻ろうとした時に落ちていたバスケットボールに足を取られ、転んだらしい。
橘の顔が一瞬、青ざめた。
不動峰テニス部は部員の数はギリギリ、試合に出るには誰一人として欠けてはいけない状態にある。それに神尾は・・・思うより体が動いた。
「橘さん!まだ話が・・・」
石田の言葉など届いていなかった。
保健室へ走る。6時間目のチャイムが鳴るが、それを無視して。
3階から1階の保健室まで、階段を一気に駆け下りて廊下を走った。
『こら!橘!6時間目始まってるぞ!』
という教師の声は無残にも廊下を響かせるだけだった。
「神尾!」
ガラッと保健室のドアを開けると、保健の先生と一緒にお茶を飲んで菓子を食べている神尾がそこにいた。全身を見つめて、どこにも治療をした形跡がないことに少しだけ安堵したが、当の神尾は、突然の橘の入室にチョコレートを持ったまま、固まってしまっていた。保健の先生は、この状況を予想していたかのように、たいして驚きもしないで橘を見て言う。
「どこも異常ないわよ。足も捻ってないし手だってなんともない。しいていうなら転んだ時に顔から入ったらしくて唇の横、擦りむいただけね。もうすぐ大会も近いし、ケガしたら大変だものねぇ。特にテニス部は」
橘のテニスへの情熱、また、部員に対する思いは校内でも有名で、その強固な信頼関係には先生方も驚くばかりだ。その大事な部員が大会を前に保健室に運ばれたら、橘が来るのは、至極当たり前なことなので、先生も不思議がらない。
本当は、まったく違う意味で血相変えて走ってきたのだが・・・
先生は手にしていた湯呑のお茶を飲み切って立ち上がると、首を左右に動かし、橘のいるドアへ進む。
「先生、職員室に呼ばれてるから、何もなければ二人とも教室に戻らなきゃだめよ。何もなければ・・・ね」
そういうと橘のおでこに手を置いて、ニコッと笑った。
「橘君、顔色悪いわ、少し休んでいきなさい。神尾君、先生、職員室に行かなきゃならないから、このまま、ついていてもらっていいかしら?部活の先輩なんだし、掃除の時間までには戻るわ、いいわよね」
橘があんまり心配そうな顔をしているので、先生は気を利かせてくれたのだろう。神尾の了承も聞かずに、手をひらひらさせて行ってしまった。
しばらく沈黙が流れるが、この状況を打ち破ったのは橘だった。
「ホントに、なんともないんだな?」
鼓動が早くなっているのは、走ってきたからだけではない。それは自分でも分かる。神尾の両頬を両手で包みこむと、そのまま顔を近づけて、そっと傷口をなめた。鉄のような味がしたが構わない。
「た・・・たち・・ばなさん?」
神尾は恥ずかしいやら嬉しいやらで、顔が赤くなるのを感じた。
「ほんっとに、お前は。心配ばかりかけて」
今度は傷口ではなかった。
きちんと唇に落とされた口づけは、優しく、ついばむように何度も何度も神尾に与えられる。こんなに積極的な橘は初めてだったから、少し驚いた。なぜなら、いつもは何をするのも自分から行動を起こすことのほうが多い。
会話をする時も、手を繋ぐ時も、もちろんキスをする時も・・・。
自分だけが、橘のことをとても好きなのだと思い始めてさえいた。だから、神尾は嬉しかったのだ。橘からの口づけが。
「んっ・・・ぅん・・たちば・・・・なさっ」
目を閉じた神尾の顔が幸せそうにしているのを見ていたら、いつの間にか口づけが深くなっていたらしい。
「すっ・・・すまん、苦しかったか?」
神尾の声で我に返り、その体を思い切り抱きしめた。
「お前が悪い、俺に心配かけて。石田から話を聞いたときは、心臓が止まるかと思ったぞ」
頭の上から響く、自分を心配してくれる橘のセリフに心が幸せになる。
「とにかく・・・よかった」
体は離れたが、でも至近距離で安堵した顔を向けられ、神尾の心臓は大きく跳ねた。
やべっ・・・橘さん、カッコ良すぎだし。
あまりの男前っぷりに、神尾は直視できず、真っ赤になって俯くしかなかった。
「あまり、心配かけないでくれよ・・・アキラ・・・」
不意に名前を呼ばれて顔を上げると、そこには自分以上に顔を赤くした橘の姿があった。実は、神尾は橘に名前で呼ばれたことが一度もなかった。
「橘さん・・・もっかい」
神尾の唇の傷を撫でながら、橘が口を開こうとした瞬間、保健室のドアが開いて
「戻りました~」
と先生が顔を出した。慌てて手をひっこめ、橘は神尾を見て笑う。そして小声で、
「・・・またな」
と言った。
教室に戻る道すがら、神尾は心に決めていた。この距離が少しでも縮むように、次に名前で呼んでもらったら、自分も名前で呼んでみよう・・・と。
話を聞けば5時限目の体育の時間はバスケットボールだったそうだ。レイアップシュートを華麗に決めて、戻ろうとした時に落ちていたバスケットボールに足を取られ、転んだらしい。
橘の顔が一瞬、青ざめた。
不動峰テニス部は部員の数はギリギリ、試合に出るには誰一人として欠けてはいけない状態にある。それに神尾は・・・思うより体が動いた。
「橘さん!まだ話が・・・」
石田の言葉など届いていなかった。
保健室へ走る。6時間目のチャイムが鳴るが、それを無視して。
3階から1階の保健室まで、階段を一気に駆け下りて廊下を走った。
『こら!橘!6時間目始まってるぞ!』
という教師の声は無残にも廊下を響かせるだけだった。
「神尾!」
ガラッと保健室のドアを開けると、保健の先生と一緒にお茶を飲んで菓子を食べている神尾がそこにいた。全身を見つめて、どこにも治療をした形跡がないことに少しだけ安堵したが、当の神尾は、突然の橘の入室にチョコレートを持ったまま、固まってしまっていた。保健の先生は、この状況を予想していたかのように、たいして驚きもしないで橘を見て言う。
「どこも異常ないわよ。足も捻ってないし手だってなんともない。しいていうなら転んだ時に顔から入ったらしくて唇の横、擦りむいただけね。もうすぐ大会も近いし、ケガしたら大変だものねぇ。特にテニス部は」
橘のテニスへの情熱、また、部員に対する思いは校内でも有名で、その強固な信頼関係には先生方も驚くばかりだ。その大事な部員が大会を前に保健室に運ばれたら、橘が来るのは、至極当たり前なことなので、先生も不思議がらない。
本当は、まったく違う意味で血相変えて走ってきたのだが・・・
先生は手にしていた湯呑のお茶を飲み切って立ち上がると、首を左右に動かし、橘のいるドアへ進む。
「先生、職員室に呼ばれてるから、何もなければ二人とも教室に戻らなきゃだめよ。何もなければ・・・ね」
そういうと橘のおでこに手を置いて、ニコッと笑った。
「橘君、顔色悪いわ、少し休んでいきなさい。神尾君、先生、職員室に行かなきゃならないから、このまま、ついていてもらっていいかしら?部活の先輩なんだし、掃除の時間までには戻るわ、いいわよね」
橘があんまり心配そうな顔をしているので、先生は気を利かせてくれたのだろう。神尾の了承も聞かずに、手をひらひらさせて行ってしまった。
しばらく沈黙が流れるが、この状況を打ち破ったのは橘だった。
「ホントに、なんともないんだな?」
鼓動が早くなっているのは、走ってきたからだけではない。それは自分でも分かる。神尾の両頬を両手で包みこむと、そのまま顔を近づけて、そっと傷口をなめた。鉄のような味がしたが構わない。
「た・・・たち・・ばなさん?」
神尾は恥ずかしいやら嬉しいやらで、顔が赤くなるのを感じた。
「ほんっとに、お前は。心配ばかりかけて」
今度は傷口ではなかった。
きちんと唇に落とされた口づけは、優しく、ついばむように何度も何度も神尾に与えられる。こんなに積極的な橘は初めてだったから、少し驚いた。なぜなら、いつもは何をするのも自分から行動を起こすことのほうが多い。
会話をする時も、手を繋ぐ時も、もちろんキスをする時も・・・。
自分だけが、橘のことをとても好きなのだと思い始めてさえいた。だから、神尾は嬉しかったのだ。橘からの口づけが。
「んっ・・・ぅん・・たちば・・・・なさっ」
目を閉じた神尾の顔が幸せそうにしているのを見ていたら、いつの間にか口づけが深くなっていたらしい。
「すっ・・・すまん、苦しかったか?」
神尾の声で我に返り、その体を思い切り抱きしめた。
「お前が悪い、俺に心配かけて。石田から話を聞いたときは、心臓が止まるかと思ったぞ」
頭の上から響く、自分を心配してくれる橘のセリフに心が幸せになる。
「とにかく・・・よかった」
体は離れたが、でも至近距離で安堵した顔を向けられ、神尾の心臓は大きく跳ねた。
やべっ・・・橘さん、カッコ良すぎだし。
あまりの男前っぷりに、神尾は直視できず、真っ赤になって俯くしかなかった。
「あまり、心配かけないでくれよ・・・アキラ・・・」
不意に名前を呼ばれて顔を上げると、そこには自分以上に顔を赤くした橘の姿があった。実は、神尾は橘に名前で呼ばれたことが一度もなかった。
「橘さん・・・もっかい」
神尾の唇の傷を撫でながら、橘が口を開こうとした瞬間、保健室のドアが開いて
「戻りました~」
と先生が顔を出した。慌てて手をひっこめ、橘は神尾を見て笑う。そして小声で、
「・・・またな」
と言った。
教室に戻る道すがら、神尾は心に決めていた。この距離が少しでも縮むように、次に名前で呼んでもらったら、自分も名前で呼んでみよう・・・と。
更新日:2015-06-24 00:58:02