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エスプレッソのシングルショット

「すべての子育ては、【単に母親が自分自身を欺いている行動】だと仮定すると、関数群の生成が、とってもシンプルになるわけで」
イトウはエージェントだ。取引名は「レックス・ムンディ(世界の王)」、取扱商品は「ライトソウル(埋込身体意識感覚)」。

彼女は、雇ったベビーシッターに自作のライトソウルを埋め込んだ上で3ヶ月間住み込んでもらっては”長期出張”をかませる。

「子供の側がそれを正しく”お母さん”と認識できて、安心できていれば、子供側の要件はクリア。母親側が罪悪感で自滅しないのなら、代理養育者は針金に毛布を巻いたものでいいの」

優しい小さな声で説明を続けるイトウだが、実は復帰したのは、つい4ヶ月前。
3ヶ月ものの長期出張プログラムは、ほんとうは自宅へちょくちょく帰って授乳しているので、オンオフを繰り返している。

子供たちがかわいいからとか、自分の気がとがめるからとかではなくって、単純に母乳パッドがしみしみにぬれちゃって、おっぱいが張るから。それだけの理由だ。だから、購買者が手放しで恩恵にあずかるほど、イトウは、自分の作品の恩恵にあずかってはいない。

イトウは、オレンジジュース。〔ボク〕はイトウの分と自分の飲み物を、カウンターで注文する。

「エスプレッソ」

〔ボク〕は、その飲み物しか頼まない。苦くてちろちろ舌をつけただけで、半分は残してしまう、その飲み物。エスプレッソ好きはきっと、怒るだろう。でも、飲んでいるときも、残すときも、エスプレッソ好きと〔ボク〕は、出くわさない。たぶん。


イトウも〔ボク〕も、天然木の大きな楕円テーブルがあるこの喫茶店が、好きだ。

こういう仕事に、ラボは必要ない。街なかのどこかの飲食店で、茶飲み話をしながら、仕事を進めることが多い。

6年前に約3%の人間が、5年前には約24%の人間が、人生への意味づけや事実と解釈の自動連結を捨てることに成功した。つまり意味づけや解釈の自動連結解除、というトレンドは、そろそろ「終わったコンテンツ」になりつつある・・・あとはロングテールをどうアレンジして売り続けるかの問題、になりつつある。22世紀日本、ここは完全に「あの世国この世島」という共通認識の上に成り立っている。意識がボディに入ったらこの世的存在、ボディから意識を取り出したらあの世的存在、構造はとてもシンプル。相変わらず合衆国とは同盟関係にあり、相変わらず奇妙なサービスが売買されるスパイ天国だ。

イトウはいつも〔ボク〕に機械パートを任せて、自分の持ち物は最小化している。イトウが上司で〔ボク〕が部下、というわけではない。お互いがフリーで、一緒に仕事をしたりしなかったりする。でもイトウは、〔ボク〕のリマインダに仕事道具の一式をリクエストするし、〔ボク〕はそのとおり仕事道具の一式を持ち歩く。

イトウの持ち物は自分の小物と、関数群やパッケージへの”紐付け(link-index:リンキンデックス)”と、クリスマスイブに母親殺しをしたサイグサ先輩のライトソウルのリンキンデックス。それらは、レトロなメモ帳に貼りつけてある。インデックスアドレス群とサイグサ先輩の情報とが別々に格納されているのはなぜか、〔ボク〕は質問したことはない。特別なのだろうな、という憶測しか、したことはない。

「人間は意味とか解釈とか物語を、粘土細工のようにこねまわして楽しみ続けることを、やめられないんだよきっと。何だかそう思う」
業務説明をさえぎって、〔ボク〕はイトウにそんな風に言ってみる。なぜそう言いたくなったのかを追いかけることはしない。本来なら指示されたコンパクタイズと納品のスケジュールについて話し合っていないといけないときだから。

521名分の「ボディソース」=人生および身体意識感覚に関する記憶と関数群というのは、いったいどう圧縮可能なんだろうか。

ちなみに、魂と身体意識感覚とは、微妙に違う。

魂は傷ついたり破損したりはしない。成長もしない。変化もしない。
一般人は身体意識感覚のことを、魂と呼んでいる。
身体意識感覚は、赤ん坊が生まれてくるときに持ち越す情報群のことを指す。だから例えば、前世がアスリートだった赤ん坊は運動能力の低い両親から生まれても陸上の日本新記録をたたき出したりすることができる。過去世にバイオリンの名手だった情報を持ち越してくれば、8歳でバイオリンの神童と呼ばれる腕を披露したりする。持ち越し可能であるということは、加工・削除・コピー・移植も可能な情報関数群であるということだ。情報空間の関数群が物理空間の諸状況を規定する。ブレイン・ファンクション=脳機能学は、そこらへんを扱っている。

更新日:2015-04-15 05:25:29

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