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13.博多②

 依頼人が、静かに話し始めた。

 向井孝三、63歳。石垣島から来たと言う。ここに来たのは、自分のことじゃなく、博多に居る兄のことだと言った。

 兄は九州地区のテキヤ一家の総元締めで、博多三大祭りの利権の件でヤクザともめており、チンピラに刺されて入院したと言う。

 表面的には、兄に対して個人的に恨みを持っていたチンピラの仕業だということになっていて、犯人はすぐに自首したが、向井は、そのシナリオを描いたのは、九州最大暴力団の龍藤会に違いないという。利権をめぐっての争いは数年続いていたが、向井の兄が一歩も譲らないためしびれを切らした龍藤会が行動に出たのだ、と。

 兄は昔ながらのテキヤで、ヤクザとは違い真面目に商売をしている。龍藤会の横やりには我慢できない、と言った。

 向井の声は、興奮を抑えたものだった。それだけ高揚しているのだ、と雄大は思った。

「ところで向井さん、私どもにはどういったご用件で?」

 おおよその話はわかったが、探偵事務所に何を依頼しに来たのかが読めなかった。テキヤと暴力団の抗争に、探偵事務所が介入する余地などないからだ。

「それは、直接、田川さんに申し上げます」

 そう言って、向井は固く口を閉ざした。そして、夕実が持ってきたお茶には手を出さず、明日また来ますとだけ言って、雨の中に出ていった。

 どこに泊まっているのか聞き漏らしたことに、雄大は後で気づいた。

「夕実ちゃん、どう思う?」

 向井が帰った後で、雄大は夕実に訊いてみた。

「応対話法は、まあまあってとこね。以前のユーちゃんに比べたら、別人みたいよ」

 夕実は、わかっていてわざと言った。

「おいおい、誰もそんなことを訊いてねえだろ」

「あら、そうなの?」

 この半年間、雄大は頑張っていた。夕実のマナー教室を1ヶ月で卒業し、同時に始めた英会話も、昂胤や夕実のようにはいかないまでも、かなりのレベルに達しており、簡単な日常会話ならできるようになっていた。今は、パソコン教室にも通っているし、最近また空手道場にも通いだした。

「向井さんの依頼の件だよ。何しに来たんだろ」

 雄大は夕実を見て言った。

「わかるわけないわよ。それに、よく聞こえなかったし。ヤクザ同士のケンカじゃないの?」

 夕実はそっけない。

「テキヤはヤクザじゃねえ!」

 そう言う雄大はやくざじゃなかった。なりたがっていたのだが、佐々木が許さなかったのだ。

「その話し方、なんとかしなさい。せっかく応対マナーをマスターしたんだからさ」

「これが俺なんだよ」

「はいはい。それにしても、思い切り暗かったね、今の人」

 夕実は話題を替えた。

「明日、所長は?」

 思い出したように雄大が言った。

「うん。だいじょうぶ。明日は出勤予定よ」


更新日:2017-05-12 22:48:59

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《田川昂胤(こういん)探偵事務所❷「ウォンジャポクタン」》