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神様のスプーン

貴方が微笑んで頷くから、わたしも微笑んで応える。
1、2、3――。
さぁ、はじめましょう。
貴方が竪琴を奏でるから、わたしは舞う。

貴方の竪琴だから、わたしは舞える。



アイシャは寂れた港町の芝居小屋で踊っていた。
いつからかなど、彼女自身だって知らない。
物心ついた時にはリズム感もステップも叩き込まれていた。
踊ることで日々の糧を与えられる彼女に、選択権などありもしなかった。
そして、なにより恐ろしいことに、彼女はそれになんの疑問も抱いていなかった。

彼に出逢うまでは。

レンは街から村を、村から街を詠い歩いていた。
いつからか、そう問うたアイシャに、ただ微笑んで首を傾げた。
ひとたび竪琴を構えれば、あらゆる感情を抱いた詩を詠い上げる。
アイシャは、どこまでも自由な彼に心を奪われた。
そうしてはじめて、自らが籠の中の鳥であることに気がついた。

だから彼女は、レンに乞う。

「一緒に行きたい。貴方の竪琴に合わせて、舞いたいの」

レンは柔らかく微笑んだ。

「愛してくれるのかい?」

どきりとした。けれどレンはこう続けた。

「僕の音楽を――。」

そんな不器用なふたりだったけれど。
心が通い合うのに、そう時間はかからなかった。



月灯りの下で、詩が生まれる。

僕達は、神様のスプーンからこぼれた、魂のしずく。
そうやって誰もが生まれてきた。
僕達は、神様のスプーンにすくい上げられて、再び還って逝く。
そうやって誰もが死してゆく。

それはレンがアイシャだけに囁く寝物語。

 神様はときどき、本来すくうべきでない魂も、
 間違えてすくい上げてしまうけどね。

はじめてそれを聴いたとき。
わけもなく頬を涙が伝っていた。

「ごめん。悲しませたいわけじゃなかったんだけど」

レンは困ったように笑い、アイシャの涙を拭って、まぶたにくちづけた。

「でも、アイシャの濡れたまつげは、すごく綺麗だ」

そう、レンはそんなことを真顔で言うひとだ。



きょうもレンは詠っていた。
だからアイシャは舞っていた。

目を閉じて聴き惚れていた聴衆が、はっと目を開けた。
アイシャが振り向いた。

不意に咳き込んだレンは、済まないと笑って、もういちど続けた。



「お願い。もう、詠うのは止めて」

なぜレンが好んであの寝物語をするのか。

はじめてそれに気がついたとき。溢れる涙を抑えることができなかった。

「それだけは、きけない」

たとえ命を縮めても。

「アイシャ、お願いだ」

まぶたに、くちづけ。

「なんで、あなたが……」

どうして。
あのひとをすくい上げるにはまだ、早すぎるよ?――神様。



日に日にかすれてゆく声。
竪琴を弾く指が、わずかに遅れ、またわずかに早まる。

それでもわたしは、舞いつづける。
貴方の竪琴だから、貴方の詩だから――。



「わたしが愛してるのは、あなたなのよ」

言外のその意味を、レンは履き違えない。
賢いひとだから。

「うん、わかってる。最初からわかってたよ」

けれど、いちど決めたことを、レンは決して違えない。
すべてに真剣なひとだから。



アイシャ。

あの詩には、続きがあるんだ。

すくいあげられた魂は、いつかもういちどしずくになって、
神様のスプーンからこぼれ落ちるから。

だからもし僕にそのときが訪れたら。

どうか、僕を探し出して。

僕も、もういちど、君を探すから。

更新日:2014-09-14 23:28:07

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