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プロローグ むずかしい現代長屋住まいのせめぎあい

●張り紙の抑止効果は一日限り
 一般的に言って、掲示板や壁、エレベータ等に警告文を書いた張り紙の多いマンションは、管理が行き届いていない。
というより、住民のマナーがなっていない。しかも、その警告文が何年にもわたって掲示してあるマンションほど性質が悪い。この業界に初めてご厄介になったとき、研修させていただいた管理員さんに言わせれば、そういうのは管理員の怠慢以外のなにものでもないのだそうだ。
 たとえば、自転車置場――。大抵の駐輪場には、ここはバイクの置場です。自転車は所定の場所に置きましょう、他のひとの邪魔にならないよう整理整頓しましょう、などと書いてある。
つまり、住民さんに注意を促すことによって、使い勝手のよい駐輪場にしようとしているのだが、その管理員さんに言わせれば、それがそもそもの間違い。
張り紙は一度読めば、そのあとは無視されるものであって、抑止効果にはならない。あって一日程度。むしろ、管理員の駐輪場管理の仕方が悪いことの証左になるのだそうである。
では、どうするか――。
管理員さんは言う。まず張り紙の類いは一切しない。その手のものはすべて外す。そして誰かが変な停め方をしていても、見て見ぬふりをするのだ。
「そんなことをすれば、ますます酷くなるじゃないですか」
どちらかといえば、人間性悪説を認めているわたし。人間、根本的にはラクをしたくて生きていると思っている。
「いやいや、そんなことはありません。ただし、ふんぞり返っていては駄目です。自分が率先して整理整頓に勤めるのです」
「ほう」
「そうしていると、きちんと入れてくれる人が現れます。いまではご覧のとおり、立派なもんです。そしてきちんと入れてくれたひとには、必ず礼を言うようにしています」
「なるほど。率先垂範。山本五十六の《やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ》という、あれですね」
「入れちゃ出され、出されちゃ入れ……。まるでイタチごっこでした。ただし、ここまでくるのに半年かかりました。なんだってそうですよ。○○しないようにしましょうでは、ひとは動いてくれないのです」
いいお話ですねぇ。わたしも着任先で早速、使わせていただくことにしますよ。そういえば、トイレの張り紙も、昔とは随分変わっていますよね。
その昔は《するときは、そっと静かに手を添えて、左右に散らすな松茸の露》なんて風流なのがありましたが、いまでは、《いつも綺麗に使ってくださって、ありがとうございます》ですからね。そんな風に言われると、つい姿勢を正してしまいますもんね。
そうですそうです。人間、強要されるとつい、なんだこの野郎、と反発心を覚えてしまいますから。いい方向での気持ちを持ってもらうほうがいいのです。
わかりました。われわれは管理員は、よい住環境づくりのお手伝いをする存在。上から命令するのではなく、組合員さんの良識を下から刺激する黒衣に徹しなければならないということですよね。
 と、まあ、アタマでは理解したものの、実際にそのようなシーンに出くわすと、ついカラダが反応して不埒な感情が顔面に出てしまう自分であった。持って生まれた性格が歪んでいるのかも知れないが、その管理員さんのようにふっくらとした笑みが湧いてこないのである。

更新日:2014-08-22 17:19:24

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おばかフロントマンとぐうたら管理員(試読版)