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『世界歴史』と書かれた分厚い本を閉じると、キャンディは、店のある一階へと降りて行った。
「おや、今日の勉強はもう終わりかい」
店の厨房では、妙齢の女性が朝の仕込みをしていた。
「うん。世界歴史は記憶するだけだもの。自分で考えなくていいから、すぐ終わっちゃう。今日は、あの戦を止めた偉大な悪魔の王と大いなる妖精の母の話。もうすぐ近代史ね。ねえ、マーマ、大いなる妖精の母は、今どこで何をしているのかしら」
ぺらぺらとおしゃべりをしながら、キャンディはシンクにある片づけものに手を伸ばす。
「キャンディ、そこはアタシがやるから、庭に水をまいておくれ。植物の世話は、あんたのほうがうまいからね。それから、妖精の母は多分、どこかで好きに生きているさ。妖精は悪魔よりも長生きだからね」
「それなら、素敵ね。さ、お花に水をあげてくる」
エプロンドレスを翻して庭に出たキャンディの背中を見つめながら、マーマはそっと手をシンクにある調理器具にかざした。
すると、調理器具達はたちまちピカピカになり、元の配置場所へと帰っていく。
「さて、朝ごはんを食べたら、開店準備をしないとね」
いつも通りの独り言をつぶやくと、マーマは、フライパンを手招くのだった。
マーマの鼻歌を背に、キャンディは庭でホースを握り、水を撒いていた。庭の半分以上の面積を占めいているミントローズは色づき、真っ赤な葉も柔らかな緑色を拡げる花びらも、盛りをむかえている。ふと、足元に目をやると、真っ赤な茎の根元に、緑色の花が落ちていた。かわいそうにと、キャンディが花を拾おうとした瞬間、花がごそごそと動き始めた。
「きゃ」
キャンディが小さく悲鳴を上げると、花がこちらにむくりとおきあがった。
「きゅぅぅぅ……」
花が弱々しく啼いたので、キャンディはおそるおそる花を観察する。花弁だと思っていたのは生き物の鱗で、本でしか見たことはないが、きっとドラゴンだ。ドラゴンは幼少期なら、魔物の中でも比較的妖精に害を及ぼさない。しかもこのドラゴンは、ところどころにやけどを負い、かなり魔力を消耗しているようだった。
キャンディは迷わずスカートでドラゴンを抱え、部屋へと戻った。
「マーマ大変! ドラゴンが怪我をして庭にいたの」
「触っていないかい」
「平気。それにしても、どうしましょう。このこ、弱っているけれどどうしてあげたら……」
「ベッドに寝かせて、キャンディは氷水をたらいいっぱいに持ってきておくれ。手当はアタシがするよ」
キャンディは頷き、マーマの指示通り二階のマーマのベッドへと運んだ。そしてすぐさま一階のキッチンへと戻る。残ったマーマは、ドラゴンのこどもにそっと顔を近づけた。
『痛むか』
その声にドラゴンのこどもはうっすらと目を開ける。
『お腹が空いたかい、それとも、口が渇いているかい』
『……妖精、私たちの言葉がわかるのか』
『まあ、長生きだからね。それよりも質問に答えな』
『……偉そうに。いや……礼を言おう。何か、栄養になるものを。今は知識は要らないから、動かぬもので良い』
『わかった。キャンディに花の蜜でも持ってこさせるよ』
「キャンディ、氷水と、ミントローズの花も持って来ておくれ」
キャンディの元気の良い返事を聞くと、ドラゴンはもう一度目を閉じた。
『あの娘……キャンディと言ったか。あの娘にも礼を言う。私たちの鱗を触れば、妖精の皮膚は焼けただれるというのに。怖いもの知らずで無知だったことが幸いした』
『違うよ。あのこは知っていて、お前を助けたのさ』
『お前……だと。妖精が私たちを愚弄するなど』
『弱っているお前など、怖くないね。それにお前、妖精にしてみれば、キャンディとあまりかわらないこどもだろう』
『こどもと、見くびるな。私たちは……』
ドラゴンが怒りのあまり、起き上がろうとしたところで、キャンディがバタバタと二階へ駆けあがってきた。
「マーマ、氷はこれで足りるかしら。花も、きれいなものを積んできたけれど」
スカートに土をつけたままのキャンディにマーマは笑顔で頷いた。
「ねえ、マーマ。このこに、花の蜜をあげても良いかしら」
「噛みつかれたら毒のあざが一生残るからやめておきな」
「マーマに残るのも嫌。大丈夫、このこは噛んだりしないわ。だって、ドラゴンは頭が良くて、弱い者は決して傷つけない誇り高い生き物だもの」
「きゅぅきゅぅ……」
『私たちを褒めるとは……妖精のくせに、変な娘だ。だが……』
キャンディがミントローズの花をドラゴンに近づけると、ドラゴンはおとなしく花の蜜を吸い始めた。
(この娘をもっと知りたい。この娘の知識が……欲しい)
「おや、今日の勉強はもう終わりかい」
店の厨房では、妙齢の女性が朝の仕込みをしていた。
「うん。世界歴史は記憶するだけだもの。自分で考えなくていいから、すぐ終わっちゃう。今日は、あの戦を止めた偉大な悪魔の王と大いなる妖精の母の話。もうすぐ近代史ね。ねえ、マーマ、大いなる妖精の母は、今どこで何をしているのかしら」
ぺらぺらとおしゃべりをしながら、キャンディはシンクにある片づけものに手を伸ばす。
「キャンディ、そこはアタシがやるから、庭に水をまいておくれ。植物の世話は、あんたのほうがうまいからね。それから、妖精の母は多分、どこかで好きに生きているさ。妖精は悪魔よりも長生きだからね」
「それなら、素敵ね。さ、お花に水をあげてくる」
エプロンドレスを翻して庭に出たキャンディの背中を見つめながら、マーマはそっと手をシンクにある調理器具にかざした。
すると、調理器具達はたちまちピカピカになり、元の配置場所へと帰っていく。
「さて、朝ごはんを食べたら、開店準備をしないとね」
いつも通りの独り言をつぶやくと、マーマは、フライパンを手招くのだった。
マーマの鼻歌を背に、キャンディは庭でホースを握り、水を撒いていた。庭の半分以上の面積を占めいているミントローズは色づき、真っ赤な葉も柔らかな緑色を拡げる花びらも、盛りをむかえている。ふと、足元に目をやると、真っ赤な茎の根元に、緑色の花が落ちていた。かわいそうにと、キャンディが花を拾おうとした瞬間、花がごそごそと動き始めた。
「きゃ」
キャンディが小さく悲鳴を上げると、花がこちらにむくりとおきあがった。
「きゅぅぅぅ……」
花が弱々しく啼いたので、キャンディはおそるおそる花を観察する。花弁だと思っていたのは生き物の鱗で、本でしか見たことはないが、きっとドラゴンだ。ドラゴンは幼少期なら、魔物の中でも比較的妖精に害を及ぼさない。しかもこのドラゴンは、ところどころにやけどを負い、かなり魔力を消耗しているようだった。
キャンディは迷わずスカートでドラゴンを抱え、部屋へと戻った。
「マーマ大変! ドラゴンが怪我をして庭にいたの」
「触っていないかい」
「平気。それにしても、どうしましょう。このこ、弱っているけれどどうしてあげたら……」
「ベッドに寝かせて、キャンディは氷水をたらいいっぱいに持ってきておくれ。手当はアタシがするよ」
キャンディは頷き、マーマの指示通り二階のマーマのベッドへと運んだ。そしてすぐさま一階のキッチンへと戻る。残ったマーマは、ドラゴンのこどもにそっと顔を近づけた。
『痛むか』
その声にドラゴンのこどもはうっすらと目を開ける。
『お腹が空いたかい、それとも、口が渇いているかい』
『……妖精、私たちの言葉がわかるのか』
『まあ、長生きだからね。それよりも質問に答えな』
『……偉そうに。いや……礼を言おう。何か、栄養になるものを。今は知識は要らないから、動かぬもので良い』
『わかった。キャンディに花の蜜でも持ってこさせるよ』
「キャンディ、氷水と、ミントローズの花も持って来ておくれ」
キャンディの元気の良い返事を聞くと、ドラゴンはもう一度目を閉じた。
『あの娘……キャンディと言ったか。あの娘にも礼を言う。私たちの鱗を触れば、妖精の皮膚は焼けただれるというのに。怖いもの知らずで無知だったことが幸いした』
『違うよ。あのこは知っていて、お前を助けたのさ』
『お前……だと。妖精が私たちを愚弄するなど』
『弱っているお前など、怖くないね。それにお前、妖精にしてみれば、キャンディとあまりかわらないこどもだろう』
『こどもと、見くびるな。私たちは……』
ドラゴンが怒りのあまり、起き上がろうとしたところで、キャンディがバタバタと二階へ駆けあがってきた。
「マーマ、氷はこれで足りるかしら。花も、きれいなものを積んできたけれど」
スカートに土をつけたままのキャンディにマーマは笑顔で頷いた。
「ねえ、マーマ。このこに、花の蜜をあげても良いかしら」
「噛みつかれたら毒のあざが一生残るからやめておきな」
「マーマに残るのも嫌。大丈夫、このこは噛んだりしないわ。だって、ドラゴンは頭が良くて、弱い者は決して傷つけない誇り高い生き物だもの」
「きゅぅきゅぅ……」
『私たちを褒めるとは……妖精のくせに、変な娘だ。だが……』
キャンディがミントローズの花をドラゴンに近づけると、ドラゴンはおとなしく花の蜜を吸い始めた。
(この娘をもっと知りたい。この娘の知識が……欲しい)
更新日:2014-08-08 23:14:15