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葵サイド

「もしかしたらあの包丁があなたに不運をもたらす可能性があるんです。あなただけじゃありません。ご家族にまで及ぶこともたくさんあります」

先ほど櫂君に言われたことを思い出してみる。
市場から戻ると、千尋さんが強張った顔で俺の帰りを待っていた。もしかしたら面接での嘘がばれたのかと心配になったが、改まって話された内容はまったく違うことだった。

神社の息子である櫂君の話を聞いて、もしかしたら本当に何か憑いているのかもしれないと思った。と言うのは前に勤めていた店で、不安になって心揺らぎ始めたのはあの包丁を譲り受けてすぐのことだったのだ。
確かにその前もその出来る奴を変に意識していたのだが、不安になることはなかった。

もちろんそれは俺の心の弱さで、都合良く霊のせいにしてるだけかもしれないけど、何かが憑いてるのならちゃんとお祓いをしてもらった方がいい。俺は別に見える訳じゃないけど、まったく信じない訳でもない。

「お待たせしました。行きましょう」
千尋さんが俺をチラリと見て憂鬱そうに腰をあげた。
彼は霊感があるのだと先ほど聞いた。俺が来たことで見たくもないものを見たのかもしれない。
「すみません、ご迷惑おかけして・・」
「え?!っ迷惑なんてとんでもないっす!俺本当嬉しいんですよ?あなたが来てくれて」
彼は慌てて言って、最後大きな目を細めて優しげに微笑んだ。そこまで言われるとなんだか照れくさい。
「いえ・・俺の方こそチャンスを与えてくれて感謝してますから」
俺は頭をかきながら、素直な気持ちを伝えた。

「大丈夫っすか?千尋さん」
バスに揺られて20分くらいたった頃、櫂君が千尋さんの顔を覗きこんで言った。
隣の千尋さんを見ると顔が強張っている。小麦色の肌なのでわかりにくいが、顔色が少し悪いようだ。
「・・・おう」
「なんかいるっすか?」
「おう、目の前にな」
そう言われてギクリとして、咄嗟に彼の前の方を見るが誰もいない。

俺たちは一番後ろの席に彼を真ん中にして座っているのだが、ずっと前の方のシルバーシートにお年寄りが一人座っているだけで、他には誰もいなかった。
「ちなみにどの辺りに?」
「え?」
そんなに変なことを言っただろうか?彼は目を丸くして俺を見た。

「・・・中継しましょうか?」
「はい、その方がわかりやすいので。生憎俺にはまったくそうゆう能力がないし」
「・・能力?」
「はい」
「面白いね、秋山さんて。怖くないんですか?」
「ええ、見えないので。ただ興味深いと言うか・・」
「それなら教えますけど・・きっとそう言ったことを後悔しますよ?」
「本当に?」
「ええ。今俺の前の席あるでしょ?」
「はい」
俺たちの前には二人掛けの席がある。もちろん誰も座っていない。
「そこに女性がいるんです。んで、不思議なことに首が360度回るんです」
「っっうおっもういいっす!やめましょ!!」
向こう隣の櫂君が両手で顔を覆っている。
「なんでですか?お亡くなりになる時に首の骨を折ったとか?」
「・・あ、消えた」
「え?」
「・・恥ずかしいのかな?」
「なるほど。他には?」
「え?!」
千尋さんが嫌そうな顔で俺を見る。次の瞬間そのまま目を見開いた。
「っいるよ・・・。あんたのすぐ後ろ・・!そこ!」
と言って俺の後ろの窓を指差した。すぐにそっちを見てみるが、やはり何も見えない。試しに窓に手をやりペタペタ触ってみたが、普通の窓だった。
「逃げた」
「え?」
またかと思って千尋さんを見ると、大きな目で俺をジッと見つめている。
う・・彼にこうして見られると緊張する。

「あなた・・もしかして幽霊に嫌われてるのかな?」
「ハハ・・そうなんですか?そしたらあなたのそばにいれば幽霊は逃げて行くかもしれませんね」
「・・・なるほど!試してみる価値ありますよ、それ!」
「ええ?そんな上手くいくっすか?」
櫂君が怪訝そうな顔で言った。

「っものは試しだ!秋山さん」
「っはい」
「神社に行くまで手を繋いでもらっていいっすか?!」
千尋さんが大きな目を見開いて言った。
「・・・はい」
今邪な気持ちを抱いてしまったのは、今までの職場にゲイが数人いたせいだ。千尋さんには絶対に言えないが、一度だけ男を抱いたことがある。
意外と悪くなかった。その時の奴も可愛い顔をしてたが、千尋さんほどじゃない。
もちろん好きになるのは女の方だが、セックスは可愛いければどちらもいける。

次の停留所のアナウンスを聞きながら、俺は邪な気持ちを振り払った。

更新日:2014-07-15 14:52:51

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