• 8 / 42 ページ

7

予想通り秋山さんは朝早く起きて市場に向かった。早めに来てくれるよう頼んでいた櫂が入口から現れて言った。
「っはようごさいます。・・もう出掛けました?」
「うん」
と言った俺の顔は少しだけ強張っている。上手くいくかわからないからだ。

「婆ちゃんが、無理しねぇで持って来いって言ってました」
「うん・・ダメならそうする」
「はい、どんぐらいのもんだかわからないでやるのは危険だって」
「・・・そうかもね」

霊には強いやつと弱いやつがいる。
情念が深ければ強く危険なのだ。そんなのは俺の手には負えない。幼い頃から取り憑かれそうになると、父が俺の手を引いて一目散に櫂の婆ちゃんのとこに連れて行った。
櫂の婆ちゃんは強い。
ただ見えやすい憑かれやすい俺と違って、相手を説教で静める力がある。噂ではそれで結構稼いでるらしい。

厨房に入って包丁保管庫の前に二人で立った。
「ヤバかったらすぐに閉めるっす。いいっすか?」
「おう」
櫂が取っ手に指をかけ、少しずつ手前に引いていく。外の明かりに照らされて中が見えてきた。
半分ほど開けたところで、櫂がその手を止めて俺に聞いてきた。

「どうっすか?なんともないっすか?」
「・・・・こりゃ無理だわ」
俺は“それ”を見つめて言った。

包丁は全部で6本、綺麗に縦に並んでいる。
その中でそのいわくつきの包丁を探す必要はなかった。一目でわかるからだ。
その幽霊さんの手が、これだと教えている。
そう、手だけが包丁の柄を握っているのだ。手首より先はぼんやりと霞んで見えない。

「・・・閉めていいよ」
俺は櫂に言って扉を閉めてもらった。

そっとその場を離れて俺は談話室に座り込んだ。
「やっぱヤバかったっすか?」
櫂には見えないのだろうか?
設楽家は皆そこそこ霊感が強いと、櫂の兄の洋に聞いているのだが。それに以前櫂も少しだけ見えると自分で言ってなかったか。

「すんません、俺怖くて見れなかったっす」
「はあ?!」
「無理っす。ホントすんません!」
「てめぇそれでもあの婆ちゃんの孫か?あ?」
「それとこれとは別っす!」
俺は溜息を吐いて、この根性なしにどんな状況だったか説明した。あの手の上から包丁を握ることは絶対に出来ない。そんなことしたら自分がどうなるかわからないからだ。その行為自体が取り憑いてくださいって言ってるようなもんだから。

「そうっすか・・見なくて良かったっす」
櫂は顔面蒼白になって、二の腕を両方の手でさすっている。
「ならやっぱ婆ちゃんの言う通り持って行きましょ?」
「・・だな」
おそらくそれしか残された道はない。秋山さんに事実を伝えるしかないのだ。

「心霊なんて信じませんとか言うかな?あの人」
「その辺は俺に任してください。だてに神社の息子やってる訳じゃねぇっすから!」
「へー・・言うな、三男坊」
今さっき血筋は関係ねぇって言ってなかったか?

「それより千尋さんは平気っすか?神社行けそうっすか?」
「あ?俺は別に行かなくたっていいだろ?」
「だめっすよ、たぶん。お祓いしに行かなきゃ婆ちゃんに怒られるっすよ?」
「チッ・・面倒くせぇ」
出来れば行きたくない。別に櫂の婆ちゃんが嫌いな訳じゃない。櫂の神社が安全地帯の外にあるせいだ。

霊感の強い俺が幽霊にほとんど遭遇しなくて済むのは限られたエリアだけなのだ。そこに線が引いてある訳じゃないのだが、長年住んでいる場所なのでほぼ正確に把握している。中学生の時から地図に記入しているのだ。

例えば右はあそこの止まれの標識からは危険地帯、左はあのコンビニの真ん中までは大丈夫とか。
その範囲はこのペンションを中心に、だいたいバス停10個分くらいだ。境界線を線で繋ぐと、県境のようにいびつな形をしている。今は普通に生活する分には特に困ることはない。ネットで何でも買えるし、役所も範囲内にある。
高校だけが範囲外で辛くて、そのせいでちょっと荒れたのだが。
なので旅行にも一度も行ったことがない。修学旅行とか遠足は、体が丈夫じゃないと嘘をついて行かなかった。

「今日行きましょう。早い方がいいですよ、絶対」
「えー・・マジかよ・・」
早い方が良いのは俺が一番良くわかってる。でも櫂の実家、豊海神社は危険地帯の中でも特に行きたくない場所の一つだった。

更新日:2014-05-07 13:23:33

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook