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コロコロコロコロ・・
キャリーバッグを引く音がしてお客さんかと思い顔を上げると、開け放してあった入口から入って来たのは秋山さんだった。今日も爽やかな笑顔で彼は微笑んで言った。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「うー・・・・」
「ん?」
「はい?」
唸り声がする。
この人には聞こえねぇのか?

どこから発せられているか、ハッと気付いてそれを見た途端、ぞわっと背筋が寒くなった。
声がするのは秋山さんの黒いキャリーバッグの中からだったのだ。

「うーーー・・」
苦しそうな声だった。まさかここに人が入ってるとは思えない。それくらい小さめなバックだ。
幼い頃から霊感が強く、何度かこうゆうのに遭遇したことはあるのだが、慣れるものではない。
今だって自分の心臓が早く動いてるのがわかる。

厄介なもん連れて来やがって・・。
本人に言う訳にはいかないから、その言葉を飲み込むしかない。これじゃ気になって試食どころじゃねぇ。

舌打ちしたい気分だったが、それを我慢して俺は精一杯の笑顔で秋山さんに言った。
「ではまず厨房に入ってもらう前に、お清めしましょう」
「え?」
「まぁ、うちで代々伝わってる形式的なもんなんですけど、お付き合いいただけますか?」
「はあ・・何をするんですか?」
彼が不安そうな顔で聞いてきた。
「対したことじゃないです。裏に鳥居があるんでそこを潜ってもらうだけです」
俺がそう言うとほっとして顔の緊張が解けたようだ。

すると、彼はキャリーバッグを談話室の端に持って行こうとした。
それじゃ、意味がねぇんだ!と心の中で叫び、彼を止め慌ててそれも一緒にお願いしますと言った。

外に出てペンションの壁沿いに裏の方へ二人で向かった。その幅が一メートルくらいの小道は、毎朝歩いているので地面が踏み固められている。そこを秋山さんは大事そうにキャリーバッグを抱えて俺の後について来た。すぐ後ろで唸り声がするので、背中の鳥肌が凄い。こうゆうものに背中を見せるのはあまり良くないのだ。俺は逃げるようになるべく早足で鳥居を目指した。

「ここです。こっちからその鞄と一緒に潜ってください」
「うーー・・」「はい」
嫌がってもダメだぞ、と心の中で強気に霊に言った。
秋山さんが腰を屈めて頭を突っ込むんだ時、その声は止んだ。

本当は俺が持って潜ればこいつはいなくなるのだが、今そんなことしたら秋山さんに気味悪がられて、このチャンスが無くなるかもしれない。だからこの場しのぎにしかならないけど、一度幽霊さんに何処かへ行ってもらったのだ。俺以外の人が持って入っても彼らはすぐ逃げてしまう。だからまたしばらくすると戻って来てしまうだろう。

時として霊は人ではなく物に宿ることがある。
宿りやすいものは人形をしているものや、皮製品、ポスター、鏡などだ。他にはその人が生前大切にしていた物・・。

厨房に立った彼の鞄から出て来る物を、さり気なくチェックした。プラスチック容器に入った様々な調味料。ジップロックには鰹節が、濡れたキッチンペーパーの中には、こごみやぜんまい、その他にも旬の食材が揃っている。これは楽しみだ。

それから最後に取り出した黒い縦長のケース。
これだ。間違いない。
それは不穏な空気を纏ってる。
なぜわかるかと聞かれてもなんとなく、としか答えようがないのだが。
おそらく形状から考えて包丁だろう。

さっきの声は秋山さんの前にこれを使っていた人のものかもしれない。当然彼は今は亡き人で、その人の情念があれに乗り移っている可能性が高い。

「随分古い包丁ですね?」
「え?ああ、これは師匠に譲り受けたものです」
秋山さんはその包丁の黒い柄を握って言った。
「へー・・・」
ありがちな話だ。

面倒なことになったが仕方ねぇ。
彼が引っ越して来た後で、本人には内緒であれを持って鳥居を潜るしかない。
一人じゃ怖いから櫂に付き合わせるかと考えながら、俺は厨房から離れた。

更新日:2014-05-05 22:51:13

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