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「懐石のマット、黒じゃダメっすか?」
「ダメってことはないけど、年配の人には特に法要の食事会に見えちゃうかもね」
「あー・・そっか」

今日はこれから実際にお客様に食事を出すことを想定して、秋山さんの試作品を頂くことになっている。
前日泊まっていたお客さんのチェックアウトを済ませてから、雪、月、花の三部屋あるうちの一つ、月の部屋だけザッと片付け、ネット通販で試しに買った懐石マットを前にして俺は悩んでいた。

「黒にこだわりますね?」
「そりゃ黒猫ですから」
「ここは白にした方が無難かもしれませんね」
「真っ白?」
「うーん、入れるとしたら緑かな」
「あー!それ良いですね!」
「青は食欲落とすし赤だとありきたりだし、俺のお勧めは緑」
「良いんじゃないですか?爽やかだし。まぁ黒から外れちゃうけどいっか」

そう言って頬杖をついて溜息を吐くと「黒い器が多いからちょうど良いですよ」と言われた。
それもそうだとわかってはいるけど、何かが物足りない。
半露天風呂付きで高級懐石、それだけならその辺の旅館と変わらないのだ。

「うーん、足りない。もう少し黒猫っぽさが欲しいんだよなー」
「こだわるねぇ」
「はい。妥協はしねぇっす」
「こんな話はあれだけど予算は大丈夫?」
「大丈夫じゃないんで金はかけません。でも何か食事に黒猫ならではのこだわりがほしいんですよ。お客さんが、あ、可愛いって思うような」
「うーん・・なるほど」
秋山さんが腕を組んで眉間に皺を寄せた時、部屋の襖が突然開いた。

「なんでぇ、まだ準備してねぇのか?」
試食をお願いしていた関田さんだった。
「あ、そうだ。すいません、そしたらお願いします!」
「はい」

「うめえなこれ、中は魚か?」
「メバルです。これからの時期はアイナメなんかでも美味しいんですよ」
「・・・俺も勉強しなきゃいけねえ」
「そうだぞ、客に聞かれて答えらんねぇんじゃ話になんねえぞ」
「だよな」
「こんなおフランス料理みてぇじゃ、ぜってえ聞かれるぞ。」
「おフランス・・」
「聞き捨てなりませんね。フランス料理のように香辛料は使ってませんよ?それもだしと醤油だけで、素材が良いから美味いんです」
「お・・おう。すまねぇ」

関田さんはどうやら失言をしたらしい。温和な秋山さんが珍しくムッとした。料理の世界は複雑なのだろう。俺も気を付けようと心に誓った。

「おい、鳥居塗ってくれる職人はみつかったのか?」
「ああ、市内の業者に頼んだ。一週間後に来る」
「自分でペンキで塗ったらダメなんですか?」
「いや、俺もよくわかんないっすけど、神聖なものなんでプロに任せようかと思って。なんか聞いたら使う色は真っ黒じゃないらしいんで」
「へー」

思わぬ出費だが仕方ない。俺が無事生きて行くための必要経費だ。また同じようなことがないとは言えない。今度は自分だけで帰ってこれるように、道を作っておけば安心出来る。それにあの猫にとってもその方が好都合な気がした。

更新日:2014-05-19 16:50:38

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