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秋山 葵 34歳。
イニシャルがA・Aだな、この人。

そんなどうでも良いことを頭に浮かべながら、目の前にいる一見爽やか系に見えるその男性を見つめた。
短髪で眉が太い、なかなかの男前だった。緊張しているせいか表情が固いが、笑えば確実にモテそうなタイプだ。

経歴はまったく文句なし。
俺の歴史と比べたら素晴らし過ぎる。
調理師学校卒業後は日本橋、銀座と有名料亭に長期在籍している。

志望動機は、自分の店を持つのが目標で、うちの条件と合っていたから。もしそれが本当ならぜひぜひ来て欲しいのだが、何か別の理由がありそうな気がした。うちみたいな小さなペンションに来るには経歴が良すぎるのだ。もしかしたら一癖ある変わり者かもしれない。

「 ご結婚は・・されてないんですね」
「はい」
俺がそう聞くと彼は恥ずかしそうに眉をハの字にして苦笑した。
いいんじゃね?一人もんじゃん!

「もしここに勤めることになったらお家の方は・・・」
住所が東京になってる。もしかして通うつもりなのか?
「出来ればなんですが、住み込みが可能なら・・」
!!
「あー・・っ可能です!」
ちょっと考える振りをしてみた。
けどぜんっぜんOKよ?!むしろ来て来てっっ!と心の中で彼にお願いした。
今まで面接した人は5人。皆家族持ちで独身の人は初めてだった。そう聞いて俺のテンションが急に上がってきた。

キターーーっ!
これもしかしたらイケるんじゃね?!
これぞ俺が待ち望んでいたタイプっ
顔がにやけてくる。
でも問題はまだある。

「給与の件なんですが・・
正直・・あまり満足いく金額ではないかもしれないんですが・・始めはこれくらいでいかがでしょうか?」
俺はA4を二つ折りにした用紙をそっと遠慮がちに差し出した。
そこには、他にも今後の俺の夢計画の短縮バージョンが事務的に書いてある。

彼、秋山さんがそれに目を落として読んでいる間、胃が潰れそうだった。ふと彼の眉間に皺がよった。
ダメか?やっぱりダメか?!
なんかこいつプライド高そうだし!
でもどうか頼む・・!お願いします!と心の中で叫んだ。

その叫びが聞こえたのか、彼は言ってくれた。
「・・・まぁ、決して良くはありませんが悪くないですよね?住み込みなら」

「っ本当ですか?」
嬉しいっ
嬉しいっっ
俺はどんな顔をしていたのだろうか?「そんなに?」と彼に笑われてしまった。
「っええ、本当に、嬉しいです」
恥ずかしくて俺は下を向いた。
けど浮かれてる場合じゃないのだ。
話を進めなければ・・!
夢への第一歩を踏み出すんだっ!

「お料理なんですが、僕の希望は・・」
僕、とか言って超引くーっと思いつつ、俺は夢中で彼に話した。
浮かれた気持ちのまま今の現状と、もし二食付きにした場合の値段設定などを伝えた。

三日後に一度腕前を見せてもらい、その時に正式に返事をすることになった。いくらこちらの条件を飲んでくれる貴重な人でも、俺の希望に沿わなければ意味がない。

帰り際に秋山さんがうちのフロントの前の談話室にある、少し珍しい楽器を見つけて聞いてきた。

「どなたか弾かれるんですか?」
「あれは母の形見です。今は希望があれば俺が少しだけ弾きます」
「弾けるんですか?凄いなぁ」
「本当に少しだけですよ。子供が喜ぶんで、ホームページにも載せて売りにしちゃってます」

お客さんも普段は滅多に目にすることはないだろう。
俺が20の時に事故で他界した母はハープ奏者だった。開店当時ペンションの経営が厳しい時は、教室を開いてうちの家計を助けたらしい。

母が亡くなってすぐに、ずっと倉庫で眠っていたこのグランドハープを自分の部屋に持ち込んで、独学で少しだけ弾けるようになった。
それを改装と同時にこの談話室に移したのだ。
普段は大きな白い布をかけて下で縛ってある。
その布に弾いてみたい方はフロントまで、と言う張り紙を付けている。これが思いの外好評なので、俺は暇な時に練習しなきゃいけない羽目になっているのだが。

「本当は色白の綺麗なねーちゃんが弾きゃいいんですけどね、生憎そんな予定もないんで」
そう言って俺は苦笑した。
「・・いえ、あなたは十分綺麗ですよ?」
「え?」
「いや、では3日後に」
「はい、よろしくお願いします。楽しみにしてます」
俺はそう言って秋山さんを見送った。

とりあえず今言われたことは聞き流そうと思った。彼がゲイだろうとたらしだろうと、そんなことは今どうでもいいのだ。

更新日:2014-05-01 08:30:02

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