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葵サイド

先ほど俺はケースに入れた包丁を、渋々千尋さんに渡した。

「途中で様子を見に行きます。おかしいと思ったら起こしますから。それでもダメなら連絡します」
「すみません、よろしくお願いします」

そう言って千尋さんが部屋へ入ってから、俺は彼のことが気になって仕方ないのだ。
千尋さんはどうやら霊に憑かれやすい。それなのに大丈夫なんだろうか?千尋さんもそれくらいわかっていて、勝算があるからチャレンジするのだろうけど。けどそのお父さんが身に付けていたお守りがどれくらい効くのか、きっと彼にもはっきりはわからないはずなのだ。

「すみませーん!」
お客さんの呼ぶ声がして出て行くと、大きな虫がいて困っていると言う。時計を見ると、千尋さんが部屋に入って30分たとうとしている。

とりあえずティッシュをとってお客さんの部屋に向かうと、20代の女性のお客様が二人いた。
失礼します、と言ってその虫をむんずと捕まえると、すごーいと賞賛された。
「いえ、また何かあったら声かけてください」
「はいっ♡」
なかなか美人な二人だったが、今それどころではない。俺はいそいそと、部屋を出て行き、そのまま千尋さんのところへまっすぐ向かった。

扉を軽くノックしてドアノブに手をかけ、回そうと捻るのだがそれは回らない。
「?」
おかしい。
鍵はかけていない筈だ。
嫌な予感がして俺は眉を潜めた。何度か回そうと試みるが、びくともしない。

これはまずいと思って俺は焦って階段を駆け下りた。フロントで電話を取り、千尋さんに教わった短縮ボタンを押して、櫂君の携帯電話にかけた。眠そうな声で出た櫂君に事情を説明すると、すぐにお婆さんを連れて行くと言ってくれた。

電話をきり、俺はまた階段を駆け上った。ドアノブをもう一度回してみるが、やはり回らなかった。
「っ・・くそっ」
この人の身に何かあれば、俺は折角掴んだチャンスを逃すことになる。
もう一度、懐石を作りたい。
それには今この人の協力が必要なのだ。
ドアノブを回そうと力を入れて何度も捻ってみる。

佐藤さんっ!!
どうか開けてくれ!
俺は心の中でそう強く叫んでみた。

開け!
開け!と強く念じてみるが、ビクともしない。
扉に耳を当てて中の音を聞いてみるが、外の波の音しかしなかった。
俺には霊に対抗出来る力などない。
とりあえず櫂君たちが来るのを待つしかないのか・・?!

・・すぐ近くにいるのに俺には何も出来ない・・。
そう思ったら無力感に襲われ、俺は溜息をついてしゃがみ込んでしまった。

しばらくそうして不貞腐れていると、ふと波の音に混じってチリンっと鈴の音がした。
ハッとして、ドアノブに手をかけて思い切り回してみると、それはなんと簡単に回った。

すぐに扉を押し開けて中に入ると薄暗い室内の中、スタンドライトに照らされてスヤスヤとベットで眠る千尋さんがいた。
彼を揺さぶってから、呼吸をしているか彼の口元に耳を持っていき確認してみた。スースーと温かい息を耳に感じる。とりあえずちゃんと息はあるようで一安心した。

「千尋さん!っ千尋さん!」
俺は彼を起こそうと、肩を掴んで揺さぶってみたが、いくらそう叫んでも全然起きなかった。
やはり普通ではないのだと思った途端、背筋にスゥっと寒気が走った。

「っくそっ」
でもなんとか彼を助けたいと強く思った。
俺に霊能力はないけど、何もせずに待ってるなんて出来ない。
見ると俺がさっき渡した包丁のケースが、布団の上に乗っている。とりあえず彼の手からその包丁のケースを取り上げて、床に置いた。

その手を握ったり、時々肩を揺さぶって俺は彼の名前をひたすら呼び続けた。
頼むから起きてくれ、と。
俺の包丁のせいで死なないでくれと。

揺さぶるたびに横に落ちた千尋さんの前髪が揺れた。長い睫毛は動くことなく、その大きな瞳を隠したままだ。
その半開きの唇を見て、なんとなくある有名なストーリーが頭に浮かんだ。キスで目覚めるお姫様の話だ。自分で浮かべておいて違うだろ、と苦笑した。彼はお姫様じゃない。

でも、・・確かに彼は男だけど、それで目覚めるのなら俺は喜んでするだろう。それくらい千尋さんは可愛いかった。ふとこんな時にいやらしいことを考えてる自分に気付いて、俺は自分の頬を叩いた。

その時“秋山さーん”と千尋さんの声が聞こえて、ハッとして彼の顔を覗いた。でも千尋さんは変わりなくスヤスヤと眠っているようだ。

気のせいか?
いや、待て。
「千尋さん、今どこにいるんですか?!」
試しに声が帰ってくるか叫んでみた。
“え?!つか、あなたこそどこにいるんです?!”
やっぱり・・!
千尋さんの口は閉じているのに声だけが聞こえる。どこからともなく聞こえるのだ。こんな不思議な体験は初めてだった。
千尋さんのピンチなのに、不謹慎に俺の胸が高鳴った。

更新日:2014-05-13 21:21:34

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