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都会式殺人

 これは、2004年の話である。
夜の帳が辺りを暗く染め、ネオンが景色を鮮やかに照らし出す頃。【私】は、今日の仕事が終わり店を後にした。明らかに理不尽な言い掛かりで、年下上司に嫌味を言われた私は、普段であれば真っ直ぐ帰宅の徒についている所を、明日が休みという事もあり何処ぞで酒でも飲もうかと、駅とは反対方向の歓楽街へと足を向けた。
 この大阪は京橋という街は、キタやミナミと云った都会の雰囲気を醸し出してるようでいて、下町独特の匂いが漂う大阪を代表する風俗街だ。夜ともなれば、学校帰りの学生や仕事終わりのサラリーマンやOL、食事の後はホテルへでも直行するのだろう若いカップルその他諸々が、砂糖に群がる蟻の如く何処からともなく湧き出て来る。
今日も変わらず店の外は、大勢の人の洪水で溢れ返っていた。
 私は、そんな笑いさざめく人の群れに背を向けると、暗く闇が淀んだような裏通りへと足を向ける。私のように、闇の世界に片足を入れたような者には、華やいだネオンの街は似合わない。それに、私は人が多い場所は苦手だ。幼少の頃、交通事故の後遺症でほとんど見えない私の左目は、時に厭なモノを私に見せつけるのだ。怒りは赤い色、怯えは青い色、欺瞞に満ちた黄色い色。そして、俯く“奴ら”は黒い揺らめきで、死が近い者には白い靄が掛かって【視える】のである。
私の左目が見せる世界については、また今度の機会に話すとしよう。兎に角、人混みは厭なモノが視える。だから私は、人通りのほとんど無い裏通りを歩いて行った。

 今、私が歩いている所一帯は、中小企業が密集した地域で、5~6階建てのビルが肩を並べるようにして建っている。昼間であれば人通りも絶えないだろう街も、時折駅前へ遊びに行く連中が、路上駐車をしに車で通る以外、歩く人の姿は無い。大通りを隔てて向こうとこちら側では、街の様子が一変する。まるで街が、そのまま眠りに就いてしまったかのようだ。
 暫く道なりに歩いていた私は、前方に赤い提灯の明かりを見つけた。それはおでん屋の屋台で、温かそうな光に誘われた私は、屋台の暖簾を潜った。
「いらっしゃい!初めて見る顔やねぇ」
 屋台の主人が私を見るなり、人懐っこい笑顔を浮かべた。時間帯が早いせいか、客は私一人だけだ。私は長椅子の真ん中へ座ると、主人に返した。
「あんまり温かそうやったから、街灯へ吸い寄せられる蛾みたく、フラフラ~っとね」
 私の表現が余程珍しかったのか、主人は目を何度も瞬かせると、注文を訊きに私の顔を覗き込んだ。
「はぁー、あんたも森田君と同じでケッタイな物の例え方するなぁ。…何にします?」
「それと、これと、これを。チューハイって作れます?」
 私はおでんの具を指で指しながら、主人に訊いた。何せ私は、日本酒やビールは全くと言っていい程、口にはしないからだ。
「レモンか梅なら作れるよ」
「じゃあ、レモンで」
「はいよ!」
 愛想良くカウンターに置かれたチューハイを受け取って、私は場を繋ぐのに、先ほど主人の言っていた森田某なる人間の事を尋ねてみた。
「さっき親父さんの言うてた森田って人、俺と似てるん?」
「顔とかは全然似てないよ。何ちゅうか、雰囲気言うんか…彼も、あんたみたいに難しい事を、わしらに言いよるさかい。何て言うの?あんなん、哲学論いうんかな?サッパリ解らへんねん、彼の言葉は」
「へぇ…」
 出汁の良く染みた大根へ箸を入れながら、私は返事をする。誰かに似てるなどと言われた事は、私の三十数年の人生の中でも殆ど無い経験だったので、少しだけ浮かれてしまったらしい。私はついつい話の先を、大して興味もないのに促してしまう。
「それで、その人どうかされたんですか?」
 案の定、主人は彼の事を気に病んでいたらしく、初対面の私(しかも客)に、内情を吐露し始めた。
「森田君はなぁ、元々はウチの常連さんの立花さんの会社の後輩や言うて、いつも二人で店に顔出してくれててん。それが、二・三ヶ月くらい前から仕事が旨く行かんみたいで、森田君がえらい落ち込んでなぁ。元々大人しい性格やのに更に暗くなってもうて、ウチで立花さんとわしで随分と励ましたんや」
「それで?」
「それでも“はい、頑張ります”とか言うてくれるねんけど、一向に元気にならへん。とうとう立花さんが怒ってもうて、“森田とは二度と一緒に飲まん!”とかって大喧嘩よ。わしは、二人がこのまま仲悪いままなんは嫌なんや。何とか森田君が元気になってくれたらええねんけど」
 主人は深い溜息と共に、冗談ともつかない事を、真面目な顔で私に言う。
「あんたやったら、森田君と気が合う思うんや。なぁ!暫くウチに通って、森田君の相談相手になってくれへんやろうか?」

更新日:2014-04-24 14:29:47

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