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八 雨


(見識は広く、人生は楽しく、か…)

それは今や真澄の座右の銘だ。
座右の銘、といっても、そう生きているわけではなくて、必死でそう生きたいと願っている、というのが現実なのだが。

秋が始まった夜に初めてあの熱い体に触れて、多分、真澄は、拓哉の虜になった。
多分、というのは、拓哉はいるとじつにやかましいのだが、いないと泣けてくるのだった。

「俺衣装がえしてガス代払って掃除機かけてくるわ。」

と、獲物を釣りあげたとたんに自宅に戻っていった拓哉の掃除と衣装がえ等整理整頓は、そのあと二週間もつづいた。その間、真澄は二週間、毎晩泣いた。自分でも理由がよくわからないが、涙が出て止まらないのだ。
そして先日シフトが変わって、真澄と一日ズレ…つまり休みが一日重なる…になったとたん、平気な顔でまた地下鉄の駅からついてきた。

「ナニ平気な顔してついてきてんだよッ。」
「なに怒ってんだよ。」
「やり捨てされたと思っ…」
「わ、わ、でかい図体して泣くなよこんなところで…」
「でかくない標準だッ。」
「わーかったわーかった、俺がちっちゃかわいいんだよ、わあかったから!」

拓哉はあわてて真澄の手首を掴み、地下鉄の駅の階段を駆け上った。
その日も外は雨だった。
降りしきる雨粒の中を、真澄のマンションまで駆け抜けた。
真澄に鍵を開けさせてドアから押し込み、自分も飛び込んで、しばし二人ではぁはぁ息をついていた。

やがて拓哉が言った。

「…前の女のゴミついでに捨ててたら、まあでてくるわでてくるわで…
おかげでゴミ屋敷のようだった俺の部屋がまるでお前の部屋のようになったよ。
今度来いな。
…遅くなってごめん、真澄。」
「…」
言葉もなく濡れたまま佇んでいると、拓哉は言った。
「ますみタンだーっこ。ぎゅーってしよ。」
そして拓哉は自分の言葉どおり、真澄の胸に力いっぱい抱きついた。
真澄はおそるおそるその肩と背中を抱き、やがて顔を拓哉の肩にうずめると、小さな拓哉を抱きしめた。

あの雨の匂いを、今も覚えている。



更新日:2014-02-14 23:00:09

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