• 1 / 8 ページ

第一章 天の遣い

時は戦国。常陸に佐竹義昭という名の大名がいた。
1545年、父の死により家督を相続して第17代当主となる。この時僅か14歳。
この頃の佐竹氏は内紛を収拾して、常陸北部を支配する戦国大名に成長していた。このため、常陸統一に向けて勢力拡大に励んだ。
1546年、河越夜戦にて関東管領・上杉憲政が北条氏康に大敗した。
憲政は、当時常陸に勢力を拡大して勢いに乗る義昭に、関東管領職と(山内)上杉氏の家名を継承してもらう代わりに保護を求めた。
彼等には血縁関係があり、山内上杉氏から第12代当主である佐竹義人を婿養子に迎えて以降、佐竹氏は上杉氏の男系子孫となっていた。
しかし、義昭は関東管領職にこそ魅力を感じたようだが、清和源氏の末裔としての佐竹氏の誇りからか、上杉氏の家名を継承する気にはなれず、これを拒否したという。

1551年、彼と佐竹家の運命を劇的に変える事件が起こった。
佐竹家本拠の太田城。その日は激しい雷雨であった。
禅哲「殿、こちらにおられましたか。」
彼は岡本禅哲。僧体で義篤・義昭・義重の3代に仕え、外交官として佐竹一門に次ぐ地位を得た男である。
義昭「禅哲よ……雨というのは不可思議なものよな。」
禅哲「左様ですな。」
義昭「雨は我等に恵みを齎(もたら)すが、それも激し過ぎれば川の氾濫等の被害をも齎す。」
禅哲「雨に限らず、自然の力は人の及ぶものではないでしょう。」
義昭「儂は……叶うならば、天下人となってこの戦乱を鎮めたいと思っておる。」
禅哲「!」
義昭「だが、その為にはこれまで以上の戦いを強いられる事になる。この激しい雨を見て、かような切なさを感じておったところじゃ。尤も……常陸一国の統一すら覚束ない、地方大名の戯言に過ぎぬがな。」
禅哲「驚きましたな。殿がかような大望をお持ちであられたとは……。」
義昭「時が来れば皆に宣言しようと思っていたのだがな……。今日は、ちと感傷的になっているのやもしれぬ。」
禅哲「お体に障りまする。そろそろお戻りを。」
義昭「……しばし待て。後で参る。」
禅哲「はっ。」

禅哲の姿が見えなくなった直後、それは起こった。
凄まじい轟音が鳴り響き、城内は騒然となった。
禅哲「殿、ご無事で……殿っ!!」
禅哲が見たのはうつ伏せに倒れ、雨に濡れている義昭の姿であった。
彼の主が立っていた場所は火事でもあったかのような大きな焦げ跡があり、そこから煙が立ち上っていた。

義昭が雷に打たれたという報せは、城内の混乱に拍車を掛けた。
そんな中でも禅哲は的確な指示を出し、呼び寄せた医者の診察によって義昭の無事が確認された。
医者「しばらくすれば、じきに目を覚まされるでしょう。それでは手前はこれにて……。」
禅哲「……。」
医者の態度に違和感を感じた禅哲は、密かに彼を別室に呼んだ。
医者「まだ何か?」
禅哲「ここには拙僧しかおらぬ。……まことの事を話してくれぬか?」
医者「まことの事と申されましても……。」
禅哲「平静を装ってはおるが、何をそんなに慌てておる?」
医者「!……分かり申した。」
彼は雷に打たれた者を診察した事などなく、義昭が生きている事自体が不思議なのだと言う。
医者「お体に火傷の痕も無いですし、正直よく分からぬのです。ただ……」
禅哲「ただ?」
医者「お命は問題無いようですが、このまま目を覚まされないという事もあり得ますし……。」
禅哲「!!」
医者「九州の名のある武将などは、雷に打たれて半身不随になったとも聞き及んでおります。ともあれ、数日は様子を見られた方がよろしいでしょうな。」

医者が帰った後、禅哲は近習達を集めてこの事を話した。
禅哲「まず、この件は他言無用だ。内外にはご病気という事にして、一切の面会を禁止する。但し親族の方は通さぬ訳にも参らぬから、数日後に目覚められるとだけ伝えよ。それから、石岡城の義堅(義昭の父の従兄弟)殿や石塚城の和田殿には拙僧から文を送る。」

翌日に和田昭為が、三日後には義堅と、同じく佐竹分家の当主である義廉が到着した。そして、禅哲を加えた4人で今後の方針が話し合われた。
禅哲「もしもこのまま殿がお目覚めになられないのであれば、次期当主は誰におなりになって頂くか……。」
和田「若はまだ四つになられたばかりでしたな。そうなると……」
話し合いは当然ながら紛糾したものの、あくまで次期当主は嫡男の徳寿丸(のちの義重)とし、元服まで義堅と義廉が後見人となる事で決着した。

更新日:2014-01-13 19:07:38

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook