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(5)2011年春、そして神楽坂

懐かしいピエトロを出た。キッチン神楽坂が無くなっていたせいかもしれないが、大江の胸に寂寥感が少しだけ漂っていた。

いつもなら神楽坂の駅から地下鉄に乗って家に帰るところだが、今夜は早稲田通りを上り下りしながら飯田橋駅まで出ることにする。

早速左手に赤城神社へ続く通りに出くわす、暫く立ち止まって神社方向を眺めて見るが思い出は大江の頭の中で踊り出さない。すぐに歩き始めると、スーパーKIMURAYAのオシャレな看板が右手に見えてくる。

今でも十分にオシャレだが、当時大江たちみたいな若い学生たちには入ることさえ躊躇うほど敷居が高いお店だった。

何しろそのお店の中に置いてある商品は珍しいというか見たことも無い輸入品ばかりが、眩いばかりにあちらこちらに多く並べられていた。

あれから40年近くも経って大江が60歳になった今でさえ、彼には相変わらず敷居が高く感じられた。きっとそれは大江が、このお店に不似合いな齢の重ね方をしてきたからなのだろう。

その事をどう受け止めれば良いのだろう?それは素敵なこと?それとも惨めなこと?どうでも良いことばかり大江は考えている。

やがて神楽坂坂上の交差点を横切る。これから先これと言って記憶に残る建物はないが、善国寺だけははっきりと覚えている。

恐らく暫く行けば右手にみえてくるはずだ。それにしても40年近く前、夜明けまで話し合った細野、池谷、植木、皆それぞれ俗っぽい言い方になるが、まさしくあの夜から数奇な運命に翻弄されることになるなんて思ってもみなかった。

細野に大人しくサラリーマン生活が勤まるだろうか?その答えは意外と早く大江の耳に届いた。

細野は富と権力をしっかりと持ち合わせていた父親のお蔭で、大学時代のめり込んでいた劇団活動をあっさりと切り上げて大学卒業と同時にスポーツ新聞社に就職した。

新聞社入社後はずっと芸能記事担当で随分卑屈なことも強いられたらしく、あっさりと彼は仕事を変えた。もっとも彼が新聞社を退職した本当の理由を知ったのは少し後だったように記憶している。

安定志向の池谷もまさか卒業後金融機関を巡る経済環境があれほどまでに激変するとは、当時誰も予想していなかった。そしてその騒動に巻き込まれた彼が勤めていた安定したはずの生命保険会社はあっけなく倒産した。その追い込まれた状況下でも池谷は最後まで彼らしく行動した。

最後は植木だ。ミニコミ誌の編集を通して新しい文化を創り出すとその仕事に熱中していた植木が、あっさりと文化創造の仕事から離れて彼が忌み嫌っていたマネーゲームの世界という舞台に踊り出てくるとは誰が予想し得ただろう。本当にあれほど劇的に変身して大江の目の前に飛び込んで来るとは思いも寄らなかった。

気が付くと大江の右手に、善国寺いや神楽坂の毘沙門様の朱塗りの柱が目に映り始めていた。それほど歩いてはいなが、随分と大江は多くの想い出のファイルを開いたようだ。

街にぼんやりと拡がっている光と影の合間に大江は3人の姿を捜し求めたが、当然のことだが何処にも見当たらなかった。それでも彼の頭の中には、40年近くなったこの神楽坂の街を彷徨っている3人の姿がぼんやりと浮かんでいた。

更新日:2017-02-01 11:51:39

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