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慌てて謝る早夜に対して、
「こちらこそ、すみません。」
モデルか俳優でもやっていそうな背の高い優男。
年齢はおそらく、おれたちと変わらない。
端に寄っておれたちを通すと、レジの少女に紙袋を手渡す。
「おかえり。ありがと。」
「どういたしまして。お客様なんて、珍しいですね。」
やり取りを聞く限り、客ではなさそうだ。
いや。もうここへ来ることはないだろうから、関係ない。
二言、三言、少女と青年が話をしているのを背にして、おれと早夜は店を背にした。
何か言いたそうな早夜に謝ろうと口を開きかけて、おれの目の前は真っ暗になった。

白い壁。
同じ色の天井には、無愛想な蛍光灯が寒々と光っている。
チューブとコードが、縦横無尽に這い回る。
誰かが泣いている。
おれは謝らなければいけない。
声が出てこない。
もどかしい。

目を覚ますと、おれは柔らかいソファの上に横たわっていた。
「気がついたのね。まだ目覚めなかったらお医者さまを呼ぶとこだったけど、必要?」
レジにいた少女だ。
首を振って辞退する。
「飲み物はいる?ミネラルウォーターかコーラしかないけど。」
おかしな2択に「水」と答えると、500mlのペットボトルが低いテーブルにどん、と置かれた。
「レジ売ってたら急に倒れたからびっくりしたわ。」
違和感を覚える。
「早夜。えっと、連れは、帰っちゃったのか。」
もう、デジタルの時計は20時ちょうどを表示している。
少女が眉を顰める。
「連れ?お店にきた時から、あなた一人だったと思うけど。」
そんなはずはない。
おれは、意識をなくす直前まで早夜と一緒にいたし、少女もまた、早夜にストラップを売ったのだ。
「いや、うさぎのストラップを買った女の子だよ。おれと一緒にいただろう。黒くて長い髪の。このくらいの背丈の。」
「うさぎのストラップ?ああ、あなたが買って、その鞄の中にいれてたやつよね。」
おれが買うわけないじゃないか。
そう言いかけて、少女が指した方向を見た。
見覚えのある鞄に白いうさぎがぶら下がっていた。
おれは愕然とした。
鞄に見覚えはあるが、さっきまでおれが使っていた鞄ではない。
高校生の時に使っていた鞄だ。
傷の位置も、貼ったシールもそのままだ。
ありえない。
大学進学のため、一人暮らしを始める際に処分しているからだ。
「なんで、これをどこで。」
狼狽していた。
そんなおれを、少女が不審そうに見ている。
「なんで、って。あなたの持ち物でしょ。」
喉が渇く。
なにがどうなっているんだ。
おれはペットボトルを開封すると、一気に煽った。
あまり慌てすぎたものだから、ぼたぼたと水がワイシャツに零れた。
ワイシャツ?
おれが今日身につけていたのはタートルネックのセーターだったはずだ。
ワイシャツなんか着ていない。
それにこれは、学校の制服のようだ。
おれにコスプレの趣味はないし、おれの卒業した中学や高校の制服でもない。
この校章は、確か卯月と早夜の通っていた高校のものだ。
中学時代に遊び呆けていたせいで、おれはふたりとは同じ学校には進めなかったからよく覚えている。
それなりに楽しい高校生活を送れたし、大学は望むところに進学できたから後悔はしていない。
「昏倒したせいで、混乱しているのでしょう。」
店で少女に話しかけていた青年が、奥からタオルを持ってきた。
受け取って、濡れた制服の水気を拭き取る。
「やっぱり今からでも病院で診てもらう?それともお家に連絡する?」
少女はまるで子供相手の口調だ。
「いや。おれをいくつだと思ってるんだ。」
「どう見ても高校生でしょ。」
おれは童顔ではない。
高校を卒業したのは4年も前。
春からサラリーマンになるおれが、こんな格好をしていたらコスプレにしか見えないはずだ。
それなのに、少女は何のためらいもなく、高校生だと断じた。
ふざけているのだろうか。
こんなものを着せたのも、このふたりである可能性もあるのか。
だが、なんのために?
「トイレ貸してくれ。」
「出て右側。突き当たりよ。」
廊下の白い壁には、淡い紫色に塗られた羊の絵が掛けられている。
眠気を誘いそうな絵だが、芸術はよくわからん。
トイレで用を済ませて、洗面所で手を洗う。
大きな鏡の横の棚に、ピンク色の歯ブラシと歯磨き粉の立てかけられた赤いマグカップ。
良い香りのする液体石鹸。
化粧落としや化粧水は、あの少女のものだろう。
男の身支度に必要なものが何もないところを見ると、青年はここに住んでいるわけではないらしい。
柔らかな乾いたタオルで手を拭いて、妙なことに気がついた。
鏡に映っているのは、高校時代のおれだ。
おれが自分の頬に触れると、鏡の中のおれも同じタイミングで頬を触る。
これは間違いなく鏡のようだ。
では、おれは?

更新日:2013-05-31 11:22:55

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