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chapter.1 惑星リューデリッツ
――純銀で造られたバラの花だな。
安い酒と煙草の臭いが充満する店内に、いささか、どころかひどく場違いな少女の姿を見とめて、彼はそう思った。
少女の年齢は十七、八歳というところか。銀河連邦基本法でならぎりぎりでセーフだが、各惑星の自治法によってはまだ酒場に出入りできない場合もある。ここリューデリッツではいちいちそんなものを咎める人間はいないが、別の意味で彼女は人目を引いた。
飾り気のないダークブルーのジャンプスーツに包み込まれた、すんなりと細い、だがしなやかで躍動的な肢体。最上級の白磁器のような滑らかな肌。小さめに整った唇はみずみずしい淡紅色だが、メイクで差した色ではなさそうだった。
やはり化粧で強調されたものではない、ぱっちりとした大きな青い瞳と、癖のないまっすぐなプラチナブロンドの長い髪がきらきらと輝いて、彼女ひとりにだけピンスポットの照明が当たっているかのようである。どう見てもこんな辺境の――一応、このあたりでは環境的にも経済的にも最も豊かであるとはいえ、地球から一万光年以上も離れた惑星の――場末の酒場で夜半過ぎにお目にかかれる人間ではない。
その少女が、水晶づくりの鈴を転がすような愛らしい声で、何かただならぬことを言ったらしい。ざわめきが生じ、不躾な男共の視線が、あらためて彼女に集中した。
「本気かね、お嬢さん?」
話し相手の老バーテンダーが、カウンターにやや身を乗り出した。
「船を雇いたいって?」
「ええ。それに、腕のいい航宙士をね」
美しい少女は、無邪気に笑って言った。
「ここに来れば、手頃な船が見つかると聞いたわ。紹介してくださらないかしら?」
「どこへ行こうと言うんだね?」
「そうね……銀河連邦の外縁に沿って。とにかく地球から遠い星なら、どこでもいいわ。シャンファンでも、クレイトンでも」
――失笑しかけて、彼は寸前で踏みとどまった。今でこそこんな場面は珍しいが、昔はこういう冒険に憧れる少年や少女たちが、生まれた星を飛び出して、遠くへ、より遠くへ羽ばたこうとして、宙港の周辺でアストロノーツたちを捕まえては話しかけていた時代があったという。
乗せていってくれないか? 遠くの惑星へ行きたいんだ――。
失笑のはずが、純粋な微笑に変化する。取った手段こそ違うが、それは、少年時の彼の身体の裡に息づいた憧憬とまったく同質のものだった。星の大海の向こうには、無限の未来があると思った。その魂の欲求に突き動かされ、父や祖父と同じ途を選び、宇宙に飛び出し、最愛の艦(ふね)と出会い、別れ、そして――。
三人ほどの男の笑声が、彼の短い追想を破った。振り返った視線の先に、いかにも現場で叩き上げた、と言えば聞こえはいいが、その実は「典型的な与太者」と刷り込んである様相の、若い男たちが出現した。さして珍しい光景ではないし、そういう男が若い娘を値踏みする視線を彼女に向けるのも、当然といえば当然すぎるものではある。
「この程度のはした金で船を雇おうとは、ものの相場を知らねぇな、お嬢ちゃん」
「三十万クレジットが、はした金だとおっしゃるの?」
少女の反論に、周囲がふたたびざわめいた。三十万あれば、高性能のものは無理だが、単座の近距離用シャトルがひとつ、オートパイロットシステムつきで手に入る。
「けっこうよ。そうおっしゃるだけの船と技倆をお持ちということね。それでは五十万でいかが?」
男は舌を鳴らした。
「足りねぇ足りねぇ。それじゃ俺たちの《オネスト》号の燃料一ヶ月分にもならねぇな」
「では、いくらで私を運んでくださるのかしら?」
少女が尋ねた、その時だった。
「よすんだな、お嬢さん。そんな燃料食いのボロ船に乗っちゃ、ろくなことにならん。星間転移ストリングに乗る前にガス欠で立往生するのが関の山だ」
その声に、少女ははっとして、カウンター沿いに視線をすべらせた。カウンターの端で、彼――黒い髪と黒い服の若い男がひとり、グラスを傾けていた。
「てめえか? いま生意気な口を叩きやがったのは」
質問の声は少女からではなく、その側の、恰幅のいい男の口から発せられた。
彼は即答せず、グラスの中身を喉へ流し込んでから、ゆるやかに立ち上がった。その姿を見て、少女は青い大きな瞳をさらに大きく見張った。
すらりとした、ずば抜けた長身に、やや人工的な印象を与えはするが、彫りの深い端整な容貌。いくつもの惑星の太陽を浴びたであろう肌はやや小麦色に灼け、長めの、少し収まりの悪い髪も、もとは漆黒なのだろうが、そう表現するには艶を失っている。が、その、あまり手入れの良くない髪の下から覗く瞳の色は、氷河に削られた深いフィヨルドの海を連想させる、怜悧なブルーグリーンだった。その瞳に不敵な笑みが浮かんでいるようにも見える。
安い酒と煙草の臭いが充満する店内に、いささか、どころかひどく場違いな少女の姿を見とめて、彼はそう思った。
少女の年齢は十七、八歳というところか。銀河連邦基本法でならぎりぎりでセーフだが、各惑星の自治法によってはまだ酒場に出入りできない場合もある。ここリューデリッツではいちいちそんなものを咎める人間はいないが、別の意味で彼女は人目を引いた。
飾り気のないダークブルーのジャンプスーツに包み込まれた、すんなりと細い、だがしなやかで躍動的な肢体。最上級の白磁器のような滑らかな肌。小さめに整った唇はみずみずしい淡紅色だが、メイクで差した色ではなさそうだった。
やはり化粧で強調されたものではない、ぱっちりとした大きな青い瞳と、癖のないまっすぐなプラチナブロンドの長い髪がきらきらと輝いて、彼女ひとりにだけピンスポットの照明が当たっているかのようである。どう見てもこんな辺境の――一応、このあたりでは環境的にも経済的にも最も豊かであるとはいえ、地球から一万光年以上も離れた惑星の――場末の酒場で夜半過ぎにお目にかかれる人間ではない。
その少女が、水晶づくりの鈴を転がすような愛らしい声で、何かただならぬことを言ったらしい。ざわめきが生じ、不躾な男共の視線が、あらためて彼女に集中した。
「本気かね、お嬢さん?」
話し相手の老バーテンダーが、カウンターにやや身を乗り出した。
「船を雇いたいって?」
「ええ。それに、腕のいい航宙士をね」
美しい少女は、無邪気に笑って言った。
「ここに来れば、手頃な船が見つかると聞いたわ。紹介してくださらないかしら?」
「どこへ行こうと言うんだね?」
「そうね……銀河連邦の外縁に沿って。とにかく地球から遠い星なら、どこでもいいわ。シャンファンでも、クレイトンでも」
――失笑しかけて、彼は寸前で踏みとどまった。今でこそこんな場面は珍しいが、昔はこういう冒険に憧れる少年や少女たちが、生まれた星を飛び出して、遠くへ、より遠くへ羽ばたこうとして、宙港の周辺でアストロノーツたちを捕まえては話しかけていた時代があったという。
乗せていってくれないか? 遠くの惑星へ行きたいんだ――。
失笑のはずが、純粋な微笑に変化する。取った手段こそ違うが、それは、少年時の彼の身体の裡に息づいた憧憬とまったく同質のものだった。星の大海の向こうには、無限の未来があると思った。その魂の欲求に突き動かされ、父や祖父と同じ途を選び、宇宙に飛び出し、最愛の艦(ふね)と出会い、別れ、そして――。
三人ほどの男の笑声が、彼の短い追想を破った。振り返った視線の先に、いかにも現場で叩き上げた、と言えば聞こえはいいが、その実は「典型的な与太者」と刷り込んである様相の、若い男たちが出現した。さして珍しい光景ではないし、そういう男が若い娘を値踏みする視線を彼女に向けるのも、当然といえば当然すぎるものではある。
「この程度のはした金で船を雇おうとは、ものの相場を知らねぇな、お嬢ちゃん」
「三十万クレジットが、はした金だとおっしゃるの?」
少女の反論に、周囲がふたたびざわめいた。三十万あれば、高性能のものは無理だが、単座の近距離用シャトルがひとつ、オートパイロットシステムつきで手に入る。
「けっこうよ。そうおっしゃるだけの船と技倆をお持ちということね。それでは五十万でいかが?」
男は舌を鳴らした。
「足りねぇ足りねぇ。それじゃ俺たちの《オネスト》号の燃料一ヶ月分にもならねぇな」
「では、いくらで私を運んでくださるのかしら?」
少女が尋ねた、その時だった。
「よすんだな、お嬢さん。そんな燃料食いのボロ船に乗っちゃ、ろくなことにならん。星間転移ストリングに乗る前にガス欠で立往生するのが関の山だ」
その声に、少女ははっとして、カウンター沿いに視線をすべらせた。カウンターの端で、彼――黒い髪と黒い服の若い男がひとり、グラスを傾けていた。
「てめえか? いま生意気な口を叩きやがったのは」
質問の声は少女からではなく、その側の、恰幅のいい男の口から発せられた。
彼は即答せず、グラスの中身を喉へ流し込んでから、ゆるやかに立ち上がった。その姿を見て、少女は青い大きな瞳をさらに大きく見張った。
すらりとした、ずば抜けた長身に、やや人工的な印象を与えはするが、彫りの深い端整な容貌。いくつもの惑星の太陽を浴びたであろう肌はやや小麦色に灼け、長めの、少し収まりの悪い髪も、もとは漆黒なのだろうが、そう表現するには艶を失っている。が、その、あまり手入れの良くない髪の下から覗く瞳の色は、氷河に削られた深いフィヨルドの海を連想させる、怜悧なブルーグリーンだった。その瞳に不敵な笑みが浮かんでいるようにも見える。
更新日:2013-01-01 02:35:23