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うつ病
うつ病は、「心の風邪」と言われて久しいですね。
私自身もそれに罹った事がありました。
当時はその事はとても嫌でしたが、今になると、心と体の健康を扱うセラピストとしてとても貴重な体験だったと感じています。
私がうつ病を発症したのは、夫が亡くなり自分の力で医療法人の経営を切り盛りしていた時でした。
考えてみれば医師でもない若輩な自分が、あの規模の医療法人を経営していくことは力量を大幅に超えていたのです。
愚かにもその事に気付かないまま、必死でその立場にしがみついていた自分がありました。
それが発病の原因だったのは確かです。
以下は私が自分の病気に気付いていった過程です。
まず、消化器系の症状がありました。
食欲が全くありません。
ムリに食べると吐き気が襲ってきました。
元々胃が弱かったのでドクターに相談し、漢方薬を処方してもらいましたが、1ヶ月近くたっても全く良くなりません。
気がつくと、体重が2ヶ月で10キロ近く減っていました。
そこでドクターはあらゆる病気の可能性を探りました。
その中で、
「最近悲しくなったりすることはありませんか?」
という質問がありました。
そこで
「悲しくなることはありませんが、時々訳もなく涙が止まらなくなることがあります。」
と答ると、そのドクターは顔色を変えて、心療内科のドクターを呼びました。
食欲が無くなり始めた頃から、訳もなく涙が出てくるという事があったのに、それが異常なのだと気付いたのはこの時でした。
そしてその時の心療内科での診察のおおざっぱなやりとりです。
「夜は眠れますか?」
「眠れます。」
「朝は目覚めがスッキリしてますか?」
「朝は何故か4時頃に目が覚めます。」
「そんなに早く起きないとイケナイの?」
「いいえ、7時に起きれば十分なんですが、どうしても4時に目覚めるとその後は眠れないまま起床時間になってしまいます。」
「笑うことはありますか?」
「(あらためて考えてみると)最近はありません。」
「悲しいことは?」
「ありません。というか、感情がマヒしているというか・・・。」
「心がうつろな感じ?」
「そう、それがピッタリな感じです。」
「それなのに、涙がでるの?」
「ふと一人になると、ドッと涙が溢れてきます。自分でもどうしてなのか解りません。」
「体重がこんなに減ったことは今までにある?」
「ありません。服が緩くなったので体重を量ってみて気がつきました。吐き気で食べられないから、胃が悪いのだと思っていました。」
ドクターはとても心配そうな顔をして、私に告げました。
「これはうつ病ですよ。」
「私が?うつ病って動けなくなるんですよね?確かにしんどいけど、私は働けます。」
「仕事のミスはありませんか?」
「(良く考えてみると)そういえば、医療事務の仕事で考えられないような些細なミスが最近続いているかも知れません。気をつけて居るんですか、なかなか・・・。」
するとドクターは真剣な顔で
「とにかく専門の病院をご紹介します。すぐに行ってください。」
実際うつ病専門の心療内科は非常に混んでいて、1ヶ月待ちの状態でした。
が、私の状態はかなり重症だったのか、ドクターの人脈ですぐに診てもらえる所をお世話していただきました。
でも始めは自分がそういう病気だということは全く認められません。
優しくて丁寧な診察をされるドクターだったので、診察を受けると、間違いなく自分は危険な所に居るのだと言うことが解ってきます。
けれども、帰宅すると、どこかで違うんじゃないかと思いたい自分がいます。
正に葛藤の繰り返しでした。
また、薬の量が凄かったのも驚きでした。
抗うつ剤、精神安定剤、入眠剤、栄養剤など、1ヵ月分で1万円近い出費でとても大変でした。
中には意識がもうろうとする薬もありましたが、ムリを言って症状を抑えなるべく副作用の無い薬を模索しました。
仕事の無い日は、死んだように1日眠り続けました。
体重の減少は診察を受け始めたらすぐに止まりました。
液体の栄養剤が正に命綱で、これも摂れなかったら、おそらく入院になったでしょう。
やがて、ドクターの診察やお話から自分の状態を客観的に見ると、今の立場から退くべきだという結論が見えてきました。
実際には、医療法人経営が自分の力に有り余る重責、と言うことを認めるのは、当時の奢った自分にはとても辛い事でしたが。
何よりも逃げる様で嫌だと思いました。
夫が命がけで守ってきたクリニックを手放す事は、裏切りだから自分を許せないとも思いこんでいました。
きっとこういう思いが、自分を追い込み、やがて「自分は生きて居られない。」と言うところに到達していくのでしょう。
ギリギリの所で助かったのです。
私自身もそれに罹った事がありました。
当時はその事はとても嫌でしたが、今になると、心と体の健康を扱うセラピストとしてとても貴重な体験だったと感じています。
私がうつ病を発症したのは、夫が亡くなり自分の力で医療法人の経営を切り盛りしていた時でした。
考えてみれば医師でもない若輩な自分が、あの規模の医療法人を経営していくことは力量を大幅に超えていたのです。
愚かにもその事に気付かないまま、必死でその立場にしがみついていた自分がありました。
それが発病の原因だったのは確かです。
以下は私が自分の病気に気付いていった過程です。
まず、消化器系の症状がありました。
食欲が全くありません。
ムリに食べると吐き気が襲ってきました。
元々胃が弱かったのでドクターに相談し、漢方薬を処方してもらいましたが、1ヶ月近くたっても全く良くなりません。
気がつくと、体重が2ヶ月で10キロ近く減っていました。
そこでドクターはあらゆる病気の可能性を探りました。
その中で、
「最近悲しくなったりすることはありませんか?」
という質問がありました。
そこで
「悲しくなることはありませんが、時々訳もなく涙が止まらなくなることがあります。」
と答ると、そのドクターは顔色を変えて、心療内科のドクターを呼びました。
食欲が無くなり始めた頃から、訳もなく涙が出てくるという事があったのに、それが異常なのだと気付いたのはこの時でした。
そしてその時の心療内科での診察のおおざっぱなやりとりです。
「夜は眠れますか?」
「眠れます。」
「朝は目覚めがスッキリしてますか?」
「朝は何故か4時頃に目が覚めます。」
「そんなに早く起きないとイケナイの?」
「いいえ、7時に起きれば十分なんですが、どうしても4時に目覚めるとその後は眠れないまま起床時間になってしまいます。」
「笑うことはありますか?」
「(あらためて考えてみると)最近はありません。」
「悲しいことは?」
「ありません。というか、感情がマヒしているというか・・・。」
「心がうつろな感じ?」
「そう、それがピッタリな感じです。」
「それなのに、涙がでるの?」
「ふと一人になると、ドッと涙が溢れてきます。自分でもどうしてなのか解りません。」
「体重がこんなに減ったことは今までにある?」
「ありません。服が緩くなったので体重を量ってみて気がつきました。吐き気で食べられないから、胃が悪いのだと思っていました。」
ドクターはとても心配そうな顔をして、私に告げました。
「これはうつ病ですよ。」
「私が?うつ病って動けなくなるんですよね?確かにしんどいけど、私は働けます。」
「仕事のミスはありませんか?」
「(良く考えてみると)そういえば、医療事務の仕事で考えられないような些細なミスが最近続いているかも知れません。気をつけて居るんですか、なかなか・・・。」
するとドクターは真剣な顔で
「とにかく専門の病院をご紹介します。すぐに行ってください。」
実際うつ病専門の心療内科は非常に混んでいて、1ヶ月待ちの状態でした。
が、私の状態はかなり重症だったのか、ドクターの人脈ですぐに診てもらえる所をお世話していただきました。
でも始めは自分がそういう病気だということは全く認められません。
優しくて丁寧な診察をされるドクターだったので、診察を受けると、間違いなく自分は危険な所に居るのだと言うことが解ってきます。
けれども、帰宅すると、どこかで違うんじゃないかと思いたい自分がいます。
正に葛藤の繰り返しでした。
また、薬の量が凄かったのも驚きでした。
抗うつ剤、精神安定剤、入眠剤、栄養剤など、1ヵ月分で1万円近い出費でとても大変でした。
中には意識がもうろうとする薬もありましたが、ムリを言って症状を抑えなるべく副作用の無い薬を模索しました。
仕事の無い日は、死んだように1日眠り続けました。
体重の減少は診察を受け始めたらすぐに止まりました。
液体の栄養剤が正に命綱で、これも摂れなかったら、おそらく入院になったでしょう。
やがて、ドクターの診察やお話から自分の状態を客観的に見ると、今の立場から退くべきだという結論が見えてきました。
実際には、医療法人経営が自分の力に有り余る重責、と言うことを認めるのは、当時の奢った自分にはとても辛い事でしたが。
何よりも逃げる様で嫌だと思いました。
夫が命がけで守ってきたクリニックを手放す事は、裏切りだから自分を許せないとも思いこんでいました。
きっとこういう思いが、自分を追い込み、やがて「自分は生きて居られない。」と言うところに到達していくのでしょう。
ギリギリの所で助かったのです。
更新日:2012-11-25 13:39:27