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夫の医療法人を継承してから5年、会計士の先生のご意見を参考にしながら、ドクターや看護師、事務職員、関連薬局などを招いての経営会議を開いては、医療法人の経営を私なりに頑張っていました。


けれども、度重なる診療報酬の引き下げや、様々な縛りから年々経営は厳しくなり、ドクター8人、スタッフ含め20名近い所帯を守っていくのは難しくなってきました。


その様な中、私の子供達には医師になる子は無く、もはや私が継承するよりも、やる気のあるドクターに譲るのが妥当だろうという結論に達します。


当時理事長を引き受けてくださっていた先生は、私がどんなに辛いだろうかとねぎらいの言葉をかけてくださいましたが、その重責からうつ病まで発症していた私には続ける事が出来なかった事情をくんで承諾してくださいました。


理事長の許可を受けるとすぐ、私は様々なつてを使って医療法人を譲渡する人を探しました。


クリニックは横浜桜木町駅前のビルにあり、週間朝日などにもたびたび取りあげられるほど有名だったので、譲渡先はすぐに見つかるだろうと思いました。


が、時代が不透明性を帯びてきた時期だったので、なかなか買い手が付きません。


そうこうするうちに、職員の給与を支払うのが、診療報酬だけでは間に合わなくなってきました。


借り入れを起こそうにも、業績は悪化を辿るばかりで借りられそうにありません。


仕方なく、私は私財から応急処置的に不足分を貸し付ける形で乗り切る様に追い込まれていったのです。


その後も様々な経営的工夫をしても、経費を削減しても、一時は良いのですがますます悪化していきます。


気がつくと、私はかなりの金額を医療法人に貸し付けてしまう事になりました。


そこで、顧問会計士に相談すると、これまでの業績を見て、これ以上診療を続けても赤字を取り返すことは不可能だという見通しを言われました。


正に断腸の思いでしたが、とうとう閉鎖を決意したのです。


その当時、日々赤字が増えるため、事は一刻を争いました。


私は理事長を始めとするメインの医師を集め、事務長の父と共に閉鎖を提案しました。


ところが、医師達の猛反対に遭いました。


中には患者さんを放り出すのか!と罵倒するドクターも居ましたが、クリニックの資金繰りが付かなくなったら一番困るのもドクター達です。


当時の私は重度の鬱病を発症していたので、こういう話し合いも抗うつ剤を飲みながらの状態でした。


併行して、私は近隣の調剤薬局に、閉鎖する意志を伝えました。


すると、夫と親交の深かったある調剤薬局の社長さんが、医療法人の経営を引き受けるという人を紹介してくださったのです。


それは、医療経営研究所を経営しているという60代の女性でした。

更新日:2012-11-08 23:05:43

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