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その次の日からは、夫は急激に痛みが強くなっていき、食事もだんだん摂れなくなりました。

そして痛みに耐えきれず、痛み止めの注射を頻繁に打つようになっていきます。

昨日まではとっても元気だったのに、突然坂道を転がるように夫の容態は悪化していくのが信じられませんでした。

でも、これが癌の怖さです。

そして、注射の回数が限界を超えそうになったので、いよいよ持続点滴が始まりました。


ある日病室に行くと、点滴と血圧測定の機械が動き続けていているだけの静かな部屋で、夫は目が半開きの意識朦朧とした状態になってベッドに横たわっていました。

聞こえてますから話しかけてください、と医師やナースは言いますが、反応の無い相手に話しかけるのはなかなか難しかったです。


当時、長男と長女は全寮制の学校に居たので、しばらくぶりでこの病室に来たときはものすごく怯えていました。

手を握って話しかけるよう促しても、長女などは怖がって側に来たがりません。

それでも、夫の側に子供達が来ると、血圧計の数字が上昇しました。
唯一夫が反応しているという事が解るのがこのデータでした。



そして、子供達がまた寮に戻って数日後

夜中の12時過ぎに病院からの電話が入りました。

「心肺停止状態です。すぐ来てください。」

私は慌てて受話器を置くと、パジャマをジーンズに着替え、父に電話して車で飛び出しました。


私は何も考えず、猛スピードで高速道路を飛ばしました。

救急入り口に車を停め、「緊急の呼び出し○○号室の高島です!」と言うと、ガードマンが認識していて「車そのままでいいですから。」と言って、すぐに入れてくれました。

急いでレベーターを使い、病室まで走っていくと、遠くに心電図の異常警報器の音が鳴り響いています。夫の病室からだとすぐわかりました。


私が病室に飛び込むと、煌々とといくつものライトが照らされる中、当直のドクターが夫に心臓マッサージを施していました。

気付いた看護師さんが私を夫の側に連れて行くと、ドクターが
「奥さん、これ以上は可哀想です。」
と汗をぬぐいながら言います。

「解りました。ありがとうございました。」

そう言ってから、私は夫の手を握り

「パパ、ありがとう!ホントにありがとね。もう大丈夫だからね!」

と叫ぶように言ったので、夫は少し微笑みながらコクンとうなずきました。

すると私はひどいめまいに襲われたので、看護師さんに抱きかかえられながら、

「10月20日○○時○○分、ご臨終です。」

というドクターの言葉を聞いていました。


悲しいとか、辛いとか、そんな事を感じるよりも、ただ、

終わった・・・。

と思ったのを覚えています。


そして、骨の痛みがひどくて伸ばすことの出来なかった夫の手足を、ドクターが丁寧に伸ばしてくれると夫の顔はとても安らかに眠っているようになりました。

やっと肉体の痛みから解放されたんだ・・・。

そんな事をぼんやり考えていました。


結婚して17年と半年。
死が夫と私を分かちました。

偶然かも知れませんが、姑の命日は1991年10月21日。
夫の命日は2001年10月20日。
ちょうど10年目に、姑は夫を迎えに来たのだなぁと思っています。

更新日:2012-11-04 14:49:41

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