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レン、カイト~明けない冬~(1)
二月。
それは、黄国でも最も冬が厳しい月だった。
晴れる日はめったになく、朝から晩までどんよりと重い雲が国中の空を覆い尽くす。
雪が降る。
豪雪とまではいかないものの、朝晩と粉雪が吹き荒れ、日が昇ってもそれは氷雨やみぞれとなって、大地をぬかるませる。
空は灰色で、大地は黒い泥濘にところどころに溶け残った雪が染みのように残っている。
(陰鬱な景色だ)
と、キヨテルは自らの館の部屋から、城下街郊外の景色を眺めてそう思う。
この国の冬には、いつも胸を塞がれるような気持ちにさせられる。それほど冬は長く、暗い。
だがそれだけに、春の歓びが増すのも、また確かなのだろう。
今、この国は季節だけではなく、人心においても長い長い冬の中にあった。
季節以上に辛いこの冬が、けれど今年は、ついに終わるのだろうか。
つい先日、黄国の国政会議において例の三案件が、正式な法案となって施行されることが決定したとの報告が、キヨテルのもとにも届いていた。
現在はその法案策定の最中だそうだ。
黄国が国王の名のもとに改革に動き出した。
これは一見とても喜ばしいことに思えたが、キヨテルはそう思っていなかった。
改革を目指すこと自体は良いことであると思っている。
黄国の改革は、緑国の不利益になるどころか、むしろ両国にとって共通の利益の拡大をもたらすだろうとさえ思っていた。
現状のように、片方のみが収奪され続けるような関係など長続きしないものだ。
しかし、それは改革が上手くいった場合の話である。
レン国王は優秀だ。
人格、知性、決断力、個人として持ちうる資質の全てに秀でている。
だが、君主としてはまだ未熟だった。
あの国の国王であるにもかかわらず、
いや、
あの国の国王であるがゆえに、
ともに国を支えるべき家臣団から軽んじられ、挙句に利用されようとしていた。
あの権力争いと私腹を肥やすことのみに血眼になっている黄国の大臣や有力貴族たちだ。
優秀な国王など、むしろ彼らの利権の邪魔にしかならない。
そんな彼らが、レンの改革の足を引っ張りこそすれ、その意思に従うとは、キヨテルにはどうしても思えなかった。
しかし現実は、主流派の全面的な支持のもとに、改革が進められようとしている。
なにか裏があるとしか思えなかった。
その裏を仕掛けたのは、はたしてレンか、主流派か。
どちらにしろ、この改革は危うい。
政道とは、本来は正道であるべきだ。
謀略などという奇策を用いては、正しき改革などできるはずがない。
まして、レンは若い。
賢い彼のことだ。黄国があと数年もたないことを、誰よりも自覚しているだろう。
ゆえに強引な手法に打って出てしまったのかもしれない。
(あの少年が、あと五年早く生まれていれば……)
惜しい。
キヨテルは心中でため息をついた。
その気持ちは、彼のみならず、彼の主君である緑国大公もまた同じ思いだった。
その思いは同情であると同時に、諦めでもある。
だからこそ、緑国はこの事態を静観する構えでいた。
(この国の冬は、いったいどのように終わるか……)
本国が予想しているであろう絵図を思い描き、重いため息を一つ吐いたとき、
キヨテルの自室に従者が現れ、使者の来訪を告げた。
「早馬であると?」
「はっ、本国より緊急の使いであるとのこと」
キヨテルが急ぎ使者のもとに駆けつけると、控えの間には数人の男たちが待っていた。
緊急との口上に加え、複数の人数を一度によこすなど、まずありえない。
キヨテルはすぐに、これが尋常の使いではないことを悟り、自らの従者やメイド達をすべて退出させた。
彼らは相当の強行軍だったのだろう。氷雨と泥にまみれ、まだ肩で息を切らせていた。
しかもその男たちの中には、あのガクポの姿まであった。
昨年、レン国王の下からミク公女の護衛についた彼が、なぜここにいるのか。
「キヨテル候、一大事にございます」
使いの代表が、鬼気迫る表情で告げた。
「ミク様が、お行方をくらまされました」
「何っ!?」
「御部屋に書き置きがございました。そこには短くただ一文、“カイトのもとへ行く”……と」
代表が告げる後ろで、ガクポが、冷え切った表情をさらに凍りつかせながら、俯き、肩を震わせていた。
その夜。
粉雪が舞う暗闇の中、キヨテルの館から幾人もの男たちが、夜陰に乗じて城下街へと潜入していった。
それは、黄国でも最も冬が厳しい月だった。
晴れる日はめったになく、朝から晩までどんよりと重い雲が国中の空を覆い尽くす。
雪が降る。
豪雪とまではいかないものの、朝晩と粉雪が吹き荒れ、日が昇ってもそれは氷雨やみぞれとなって、大地をぬかるませる。
空は灰色で、大地は黒い泥濘にところどころに溶け残った雪が染みのように残っている。
(陰鬱な景色だ)
と、キヨテルは自らの館の部屋から、城下街郊外の景色を眺めてそう思う。
この国の冬には、いつも胸を塞がれるような気持ちにさせられる。それほど冬は長く、暗い。
だがそれだけに、春の歓びが増すのも、また確かなのだろう。
今、この国は季節だけではなく、人心においても長い長い冬の中にあった。
季節以上に辛いこの冬が、けれど今年は、ついに終わるのだろうか。
つい先日、黄国の国政会議において例の三案件が、正式な法案となって施行されることが決定したとの報告が、キヨテルのもとにも届いていた。
現在はその法案策定の最中だそうだ。
黄国が国王の名のもとに改革に動き出した。
これは一見とても喜ばしいことに思えたが、キヨテルはそう思っていなかった。
改革を目指すこと自体は良いことであると思っている。
黄国の改革は、緑国の不利益になるどころか、むしろ両国にとって共通の利益の拡大をもたらすだろうとさえ思っていた。
現状のように、片方のみが収奪され続けるような関係など長続きしないものだ。
しかし、それは改革が上手くいった場合の話である。
レン国王は優秀だ。
人格、知性、決断力、個人として持ちうる資質の全てに秀でている。
だが、君主としてはまだ未熟だった。
あの国の国王であるにもかかわらず、
いや、
あの国の国王であるがゆえに、
ともに国を支えるべき家臣団から軽んじられ、挙句に利用されようとしていた。
あの権力争いと私腹を肥やすことのみに血眼になっている黄国の大臣や有力貴族たちだ。
優秀な国王など、むしろ彼らの利権の邪魔にしかならない。
そんな彼らが、レンの改革の足を引っ張りこそすれ、その意思に従うとは、キヨテルにはどうしても思えなかった。
しかし現実は、主流派の全面的な支持のもとに、改革が進められようとしている。
なにか裏があるとしか思えなかった。
その裏を仕掛けたのは、はたしてレンか、主流派か。
どちらにしろ、この改革は危うい。
政道とは、本来は正道であるべきだ。
謀略などという奇策を用いては、正しき改革などできるはずがない。
まして、レンは若い。
賢い彼のことだ。黄国があと数年もたないことを、誰よりも自覚しているだろう。
ゆえに強引な手法に打って出てしまったのかもしれない。
(あの少年が、あと五年早く生まれていれば……)
惜しい。
キヨテルは心中でため息をついた。
その気持ちは、彼のみならず、彼の主君である緑国大公もまた同じ思いだった。
その思いは同情であると同時に、諦めでもある。
だからこそ、緑国はこの事態を静観する構えでいた。
(この国の冬は、いったいどのように終わるか……)
本国が予想しているであろう絵図を思い描き、重いため息を一つ吐いたとき、
キヨテルの自室に従者が現れ、使者の来訪を告げた。
「早馬であると?」
「はっ、本国より緊急の使いであるとのこと」
キヨテルが急ぎ使者のもとに駆けつけると、控えの間には数人の男たちが待っていた。
緊急との口上に加え、複数の人数を一度によこすなど、まずありえない。
キヨテルはすぐに、これが尋常の使いではないことを悟り、自らの従者やメイド達をすべて退出させた。
彼らは相当の強行軍だったのだろう。氷雨と泥にまみれ、まだ肩で息を切らせていた。
しかもその男たちの中には、あのガクポの姿まであった。
昨年、レン国王の下からミク公女の護衛についた彼が、なぜここにいるのか。
「キヨテル候、一大事にございます」
使いの代表が、鬼気迫る表情で告げた。
「ミク様が、お行方をくらまされました」
「何っ!?」
「御部屋に書き置きがございました。そこには短くただ一文、“カイトのもとへ行く”……と」
代表が告げる後ろで、ガクポが、冷え切った表情をさらに凍りつかせながら、俯き、肩を震わせていた。
その夜。
粉雪が舞う暗闇の中、キヨテルの館から幾人もの男たちが、夜陰に乗じて城下街へと潜入していった。
更新日:2013-06-22 19:34:19