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レン、リン~哀しき双子~
今から十四年前の冬。
当時の王女が、男女の双子を産んだのが、すべての始まりだった。
王族などの世襲制の世界において、世継ぎを確実に確保するためには子供は複数いたほうがいい。
しかし、それは同時に世継ぎ争いという危険と背中合わせでもあった。
世継ぎ争いは、大概が国を二分する権力闘争に発展する。最悪の場合は内戦すら引き起こしかねない問題だ。
特に双子、それも第一子で双子が生まれた時などは、どちらを第一継承者にするかだけでも大きな問題となる。
それを回避するために、生まれてすぐに人知れず消された双子の片割れは、歴史の裏に数多くいた。
その点、この双子は男女であっただけ幸運であった。
双子はどちらも消されずに済み、第一継承者は順当に、王子であるレンに、第二継承者はリンに決定した。
双子は姉弟仲良く、すくすくと育った。
しかし数年後、状況が変わった。
当時の国王が急死したためである。
まだ幼年であったレンに代わり、その母である王女が、女王として即位した。
問題はここから起きた。
もともと黄の国では男系優位が確立しておらず、歴代の王には女王も数多く存在していた。
このような歴史背景に加え、当時の大臣同士の権力争いが、国王の死をきっかけに一気に加熱し、レンとリンの継承者争いを再び蒸し返してしまったのだ。
権力闘争に世継ぎ争いが利用された形だった。
大切な子供たちが政治闘争の具に使われてしまうことに、女王はひどく心を痛めた。
そして女王は、悩んだその果てに、事態を解決するために非常手段に打って出た。
リンの、臣籍降下である。
リンを王位継承者から除外し、さらに王族からも外す。いわば勘当だった。これによって世継ぎ争いの原因そのものをなくそうとしたのだ。
すべては女王の一存で、強引に勧められた。
臣籍降下にリンが選ばれたのも、レンを第一継承者に選んだ亡き先王の意思を尊重してのことであり、大臣たちの権力争いの内実を考慮してのことではなかった。
リンは新たに領地と屋敷を得て、いち貴族となって王宮から出て行った。
これによって、リン派についていた大臣や有力貴族たちは権力闘争の旗印を失い、没落し、重要な役職から左遷させられた他、国内でも辺鄙な領地へと追いやられた。
黄の国に、一時的に平穏が戻った。
しかし、この処置は後に大きなしこりを残すことになった。
幼いレンは、大好きな姉と別れさせられたことでひどく傷つけられたし、女王は双子を引き離さなければならなかったことに深い悲しみを抱いた。
しかし、それ以上に統治上の問題で大きな問題を残してしまっていた。
レン派についていた大臣たちや有力貴族は、この処置によって一方的な勝利を得て、国内での影響力を大きなものとした。
そして敗れた方は、その直接的な原因である女王に対し不満を大きくし、左遷させられた役職や、追いやられた領地で、度々サボタージュやボイコットなどの抵抗を見せるようになった。
その政治的対立と混乱は一層根深く、深刻なものとなった。
そして、その影響やしわ寄せを一心に受けてしまったのが、民衆だった。
行政は法律通りに執行されなくなり、役所の管轄や、国の各地ごとで食い違いを見せた。
役所の長や、僻地を治める領主が自分の懐を温めるために、税を二重三重に課したり、勝手に新たな税を設けることさえする始末だった。
民衆の暮らしぶりは、悪化していった。
国内の一時的な平穏のしたで、日に日に民衆の不満が高まりつつあった。
女王もそのことには気づいていたのだろう。これが、自分の下した処置の結果であることも。
女王は深い心痛の中で体調を崩し、即位から数年と経たぬうちに、崩御した。
レンは、母の葬儀を行ったその日に、国王として即位した。
十二歳であった。
当時の王女が、男女の双子を産んだのが、すべての始まりだった。
王族などの世襲制の世界において、世継ぎを確実に確保するためには子供は複数いたほうがいい。
しかし、それは同時に世継ぎ争いという危険と背中合わせでもあった。
世継ぎ争いは、大概が国を二分する権力闘争に発展する。最悪の場合は内戦すら引き起こしかねない問題だ。
特に双子、それも第一子で双子が生まれた時などは、どちらを第一継承者にするかだけでも大きな問題となる。
それを回避するために、生まれてすぐに人知れず消された双子の片割れは、歴史の裏に数多くいた。
その点、この双子は男女であっただけ幸運であった。
双子はどちらも消されずに済み、第一継承者は順当に、王子であるレンに、第二継承者はリンに決定した。
双子は姉弟仲良く、すくすくと育った。
しかし数年後、状況が変わった。
当時の国王が急死したためである。
まだ幼年であったレンに代わり、その母である王女が、女王として即位した。
問題はここから起きた。
もともと黄の国では男系優位が確立しておらず、歴代の王には女王も数多く存在していた。
このような歴史背景に加え、当時の大臣同士の権力争いが、国王の死をきっかけに一気に加熱し、レンとリンの継承者争いを再び蒸し返してしまったのだ。
権力闘争に世継ぎ争いが利用された形だった。
大切な子供たちが政治闘争の具に使われてしまうことに、女王はひどく心を痛めた。
そして女王は、悩んだその果てに、事態を解決するために非常手段に打って出た。
リンの、臣籍降下である。
リンを王位継承者から除外し、さらに王族からも外す。いわば勘当だった。これによって世継ぎ争いの原因そのものをなくそうとしたのだ。
すべては女王の一存で、強引に勧められた。
臣籍降下にリンが選ばれたのも、レンを第一継承者に選んだ亡き先王の意思を尊重してのことであり、大臣たちの権力争いの内実を考慮してのことではなかった。
リンは新たに領地と屋敷を得て、いち貴族となって王宮から出て行った。
これによって、リン派についていた大臣や有力貴族たちは権力闘争の旗印を失い、没落し、重要な役職から左遷させられた他、国内でも辺鄙な領地へと追いやられた。
黄の国に、一時的に平穏が戻った。
しかし、この処置は後に大きなしこりを残すことになった。
幼いレンは、大好きな姉と別れさせられたことでひどく傷つけられたし、女王は双子を引き離さなければならなかったことに深い悲しみを抱いた。
しかし、それ以上に統治上の問題で大きな問題を残してしまっていた。
レン派についていた大臣たちや有力貴族は、この処置によって一方的な勝利を得て、国内での影響力を大きなものとした。
そして敗れた方は、その直接的な原因である女王に対し不満を大きくし、左遷させられた役職や、追いやられた領地で、度々サボタージュやボイコットなどの抵抗を見せるようになった。
その政治的対立と混乱は一層根深く、深刻なものとなった。
そして、その影響やしわ寄せを一心に受けてしまったのが、民衆だった。
行政は法律通りに執行されなくなり、役所の管轄や、国の各地ごとで食い違いを見せた。
役所の長や、僻地を治める領主が自分の懐を温めるために、税を二重三重に課したり、勝手に新たな税を設けることさえする始末だった。
民衆の暮らしぶりは、悪化していった。
国内の一時的な平穏のしたで、日に日に民衆の不満が高まりつつあった。
女王もそのことには気づいていたのだろう。これが、自分の下した処置の結果であることも。
女王は深い心痛の中で体調を崩し、即位から数年と経たぬうちに、崩御した。
レンは、母の葬儀を行ったその日に、国王として即位した。
十二歳であった。
更新日:2012-11-04 17:43:55