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リン、カイト~街で見かけた、青い彼~(2)
河沿いの道を歩きながら南下して駐屯地区域から離れると、やがて富裕層が住まう高級住宅地に入った。
広い敷地を高い塀で取り囲み、その向こうに三階建て四階建ての石造りの館が姿を覗かせている。
河沿いにはそんな館が両手で数えるくらいしか建っていないにもかかわらず、一つ一つの敷地が広大なため、いくら歩いても歩いてもその長い塀が途切れることはなかった。
城下街には、一番北側の丘陵上にある王宮から、その東西の両脇にある駐屯地区域を中心として、貴族や商人などの富裕層が住む高級住宅地が集中している。
いわば上流階層が暮らす区域だが、こういった人々は食料や服といった生活必需品を購入する際、出入りの商人から品物を直接調達しているため、このあたりには個人商店といった類のものが無い。
したがって、駐屯地区域と同様、このあたりにも人通りはほとんどなく閑散としていた。
リンは誰とも行きあわないまま、地図に従って、河沿いの道から、邸宅と邸宅の間の道に入り、街の中心部へと向かった。
巨大な邸宅を通り過ぎると、今度は二~三階建ての建物が密集し始めた。
地図によると、商店が集まる商業区らしい。
だが通りに向けて店を開けている建物はほとんどなかった。
大概が寂れ、古ぼけた外観を晒していたが、時折、綺麗に磨かれた立派な建物が現れた。
そこにかかる看板はほとんどが貿易商だった。
「あ……」
リンは一件の建物の前で足を止めた。
通りに向いてショーウィンドウがはめ込まれ、その向こうに色とりどりのドレスが飾られている。
リンはしばし、そのドレスに見とれた。
王宮の、それも国王直属のメイド長ともなれば、普段着ているメイド服の質もかなり良いものではあるのだが、リンは基本的にそれ以外の服をほとんど持っていなかった。
日常のほとんどをメイドとして過ごす彼女にとっては、プライベートという概念があまりなかった。
そして、リンが王宮に戻る前、一領主として地方で暮らしていた頃の私服といえば、今来ている修繕を繰り返した襤褸といった有様だった。
そんな彼女だから、今、ガラス越しに目の当たりにした華やかなドレスがひどく眩しいものに見えた。
リンは、ガラスの内側に飾られた、フリルのついた黄色いドレスに身を包んだ自分の姿を想像した。
それは、もしかしたら有り得たかもしれない王女としての自分の姿だった。
先日の舞踏会で踊ったレンとミクのように、大広間の中心で人々の注目を浴びながら踊るリン。
そのとき、ともに踊っている相手は、きっと、スラリと背が高く、優しく深い海のような青い目をした男性……
……カイト。
(……え?)
無意識のうちに思い浮かべてしまった意外な相手に、リンは動揺した。
慌てて頭を振って、その想像を打ち払う。
どうしてあんな男のことを思い浮かべてしまったのか。
レンを批判し、ミクの思いを踏みにじったひどい男なのに……
リンが不思議に思いながら目を落とすと、ドレスに付けられた値札が目に入った。
そこに記されていた金額に、リンは息を飲んだ。
貧乏貴族をやっていた頃にはとても手が出そうにない値段だった。
そんな高価なものが、庶民に買えるはずがない。
リンがそう思ったとき、ショーウィンドウ脇の扉が、重い音を立てて開かれた。
「この度もご利用ありがとうございました。ご注文の品は出来上がり次第お届けにあがります。どうぞ今後もご贔屓を賜りますよう」
平身低頭しながら扉を開けた店員に見送られ、質の良い服に身を包んだ男が、まるで王侯貴族であるかのような鷹揚な態度で出てきた。
リンはその男に見覚えがあった。
大臣たちのひとり、法務大臣の使用人の一人だった。
時折王宮内でも見かけることがあったが、メイド達に対してあからさまに見下した態度をとるので、リンの周囲での評判はあまり良くなかった。
そのくせ、リンに対してはひどく慇懃に接してくる。
その接し方というのが親衛隊と違って、メイド長という役職と国王の姉という出自に対して向いてるのが、これまたあからさまなので、リンとしても苦手な相手だった。
その男が、ショーウィンドウの前に立つリンに目を向けた。
見知った相手だけに、リンはとっさにフードを深く被って顔を隠した。
男は、フン、と鼻を鳴らして、何事もなかったように通りを歩き去っていった。
店員がその後ろ姿に向かって深々と礼をし、そして今度はリンの方に対して冷たい視線を投げかけると、
「しっ、しっ」
まるで野良猫に対してでもするように、追い払う仕草をした。
人を人とも思わぬその扱いに、リンは逃げるようにその場を後にした。
広い敷地を高い塀で取り囲み、その向こうに三階建て四階建ての石造りの館が姿を覗かせている。
河沿いにはそんな館が両手で数えるくらいしか建っていないにもかかわらず、一つ一つの敷地が広大なため、いくら歩いても歩いてもその長い塀が途切れることはなかった。
城下街には、一番北側の丘陵上にある王宮から、その東西の両脇にある駐屯地区域を中心として、貴族や商人などの富裕層が住む高級住宅地が集中している。
いわば上流階層が暮らす区域だが、こういった人々は食料や服といった生活必需品を購入する際、出入りの商人から品物を直接調達しているため、このあたりには個人商店といった類のものが無い。
したがって、駐屯地区域と同様、このあたりにも人通りはほとんどなく閑散としていた。
リンは誰とも行きあわないまま、地図に従って、河沿いの道から、邸宅と邸宅の間の道に入り、街の中心部へと向かった。
巨大な邸宅を通り過ぎると、今度は二~三階建ての建物が密集し始めた。
地図によると、商店が集まる商業区らしい。
だが通りに向けて店を開けている建物はほとんどなかった。
大概が寂れ、古ぼけた外観を晒していたが、時折、綺麗に磨かれた立派な建物が現れた。
そこにかかる看板はほとんどが貿易商だった。
「あ……」
リンは一件の建物の前で足を止めた。
通りに向いてショーウィンドウがはめ込まれ、その向こうに色とりどりのドレスが飾られている。
リンはしばし、そのドレスに見とれた。
王宮の、それも国王直属のメイド長ともなれば、普段着ているメイド服の質もかなり良いものではあるのだが、リンは基本的にそれ以外の服をほとんど持っていなかった。
日常のほとんどをメイドとして過ごす彼女にとっては、プライベートという概念があまりなかった。
そして、リンが王宮に戻る前、一領主として地方で暮らしていた頃の私服といえば、今来ている修繕を繰り返した襤褸といった有様だった。
そんな彼女だから、今、ガラス越しに目の当たりにした華やかなドレスがひどく眩しいものに見えた。
リンは、ガラスの内側に飾られた、フリルのついた黄色いドレスに身を包んだ自分の姿を想像した。
それは、もしかしたら有り得たかもしれない王女としての自分の姿だった。
先日の舞踏会で踊ったレンとミクのように、大広間の中心で人々の注目を浴びながら踊るリン。
そのとき、ともに踊っている相手は、きっと、スラリと背が高く、優しく深い海のような青い目をした男性……
……カイト。
(……え?)
無意識のうちに思い浮かべてしまった意外な相手に、リンは動揺した。
慌てて頭を振って、その想像を打ち払う。
どうしてあんな男のことを思い浮かべてしまったのか。
レンを批判し、ミクの思いを踏みにじったひどい男なのに……
リンが不思議に思いながら目を落とすと、ドレスに付けられた値札が目に入った。
そこに記されていた金額に、リンは息を飲んだ。
貧乏貴族をやっていた頃にはとても手が出そうにない値段だった。
そんな高価なものが、庶民に買えるはずがない。
リンがそう思ったとき、ショーウィンドウ脇の扉が、重い音を立てて開かれた。
「この度もご利用ありがとうございました。ご注文の品は出来上がり次第お届けにあがります。どうぞ今後もご贔屓を賜りますよう」
平身低頭しながら扉を開けた店員に見送られ、質の良い服に身を包んだ男が、まるで王侯貴族であるかのような鷹揚な態度で出てきた。
リンはその男に見覚えがあった。
大臣たちのひとり、法務大臣の使用人の一人だった。
時折王宮内でも見かけることがあったが、メイド達に対してあからさまに見下した態度をとるので、リンの周囲での評判はあまり良くなかった。
そのくせ、リンに対してはひどく慇懃に接してくる。
その接し方というのが親衛隊と違って、メイド長という役職と国王の姉という出自に対して向いてるのが、これまたあからさまなので、リンとしても苦手な相手だった。
その男が、ショーウィンドウの前に立つリンに目を向けた。
見知った相手だけに、リンはとっさにフードを深く被って顔を隠した。
男は、フン、と鼻を鳴らして、何事もなかったように通りを歩き去っていった。
店員がその後ろ姿に向かって深々と礼をし、そして今度はリンの方に対して冷たい視線を投げかけると、
「しっ、しっ」
まるで野良猫に対してでもするように、追い払う仕草をした。
人を人とも思わぬその扱いに、リンは逃げるようにその場を後にした。
更新日:2012-12-09 17:09:42