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新しいボトル

「一はどうした?」
朗は店を見回した。珍しく摩利子一人だった。客も途切れた所のようだ。

「花祭りの露天にね。新しい試みとして、鴨のロースト入りのおつまみセットを用意してみたのよ。試しに売りに行ってみるって。参道で会わなかった?」
「参道は通らずに来たからな」
ということは、人に見られずに来たかったわけだ。

「ゆりさんは?」
「一人になりたいそうだ」

 朗はいつものようにウィスキーを飲みながら、摩利子が適当に見繕って出した肴をつついた。だが、進むのはグラスの方ばかりだった。

 調理師免許を二人とも取り、店は一と二人で切り回すようになってから、新堂と二人きりという機会はめったにない。摩利子はせっかくだから単刀直入に訊いてみようと思った。

「ねえ、立ち入ったこと訊いていい?」
「どうぞ」
朗は、ほらきたという顔をして言った。

「もうゆりさんのこと愛していないって本当?」
「誰がそんなことを」
「ゆりさん」

「馬鹿なことを」
「そう?」
摩利子はじっと朗を見つめた。

 朗はグラスの氷を揺らすと、はぐらかすのは止めて、静かに言った。
「君たち女にとって、愛しているってのは、毎日バラの花を捧げてひざまずくことか。それとも主にセックスのことを指すのか」
「ごぶさたなんじゃないの」

 朗はため息を一つついた。
「今の彼女に欲望は感じないよ。だが、それはいずれにしろいつかは終わるものだ。まだ彼女はそういう年齢ではないが、結婚生活があと20年続けば、どこの夫婦でも普通に起こる問題だろう?」

「そうね。でも、少なくとも、いつも一緒にいたいと思う?」
「今の状態を続けられると、正直いって厳しいね。時折こうして息抜きをしたくなるよ」

 ヒステリー状態になって泣くゆりを見て、摩利子も同じことを考えた。ゆりに対する同情よりも、これは新堂がたまらないだろうと思ったのだ。でも、摩利子は悲しかった。なぜこんな風になってしまったんだろう。

「ゆりさんがああなってしまったのは、彼女のせいじゃないわ。それは新堂さんだってわかっているんでしょう」
「もちろんだ。それに、私は彼女が嫌いになったわけではないよ。それは心配しなくていい」

「でも、ゆりさんは、新堂さんに他に好きな人がいると思っているのよ」
「そう言ったのか」

「正確には、そういう言い方じゃなかったけれど、でも、そういう意味だと思うわ。誤解しないでね。ゆりさんは怒ったり責めたりしたいんじゃなくて、新堂さんがそうなっても当然だと思っていて、それで傷ついているのよ」
「君もそれが当然といいたげだな」

「ゆりさんの言った根拠が、納得性があったから」
「根拠?」

「新堂さん、前に私とプラスマイナスの話したじゃない?」
「プラスマイナス?」

「ほら、新堂さんと私はプラス同士だからセックスしても氣が荒れるってあれ」
「ああ、あの話か。それが?」

「ゆりさん、新堂さんの青紫のオーラを消している人がいるっていうの。あれって、新堂さんの特別に荒れている氣なんでしょ? 私も氣づいていたわ。ゆりさんがああなってから、新堂さんのオーラがだんだん強い青紫になっていって、でも、時々完全に元に戻っている。ゆりさんがそれを言った時、ああそうかって思ったわ」

 朗は、深いため息をついた。
「まったく……。勝手に想像をめぐらせて……」
「私たちの誤解なの?」
「ああ」

 朗は、グラスが空になっているのを見て、新しいボトルを注文した。

「ゆりと結婚する前に、笠宮神社の峯岸先生に女を作れといわれた。祓いなんかやっていると氣が荒れるからとね。『荒ぶる氣』を和ませるのは『和める氣』で、たとえば滝に二時間くらいあたるなどの方法もある。だが先生によると手っ取り早いのは陰の氣の強い女と寝ることだといわれた。ゆりは、本人は氣がついていないが尋常でない『和める氣』を持っている。だから私は氣が荒れるたびに条件反射のように彼女を抱いた」

「ゆりさんもそれを知っていたのね」
「彼女も氣が見えるから、もちろん知っていたと思う。だが、正直いって『荒ぶる氣』のためにだけなら、抱く必要はないんだ。ゆりに触れるだけで、十分なんだから。それほど彼女の『和める』力は強いんだ」
摩利子は目を丸くした。

「ゆりがああなって、触れる機会が減ると、確かに私の氣はひどく荒れだした。これではいけないと自分でも思ったよ。だから、他の方法を考えた。もちろん君たちのいうような解決策ではない。家の目の前に瀧があるんだから、まずそっちを試した」
「あら」

「ゆりはここ一年ほどとても深く眠る。だから、私が抜け出してもまったく氣がつかない。だから理論的には私は他の女の所にも通えるんだが、そっちはまだ試していないんだよ。とにかく、私は瀧にあたって氣を和ませようとした。一の氣の親玉だから、二時間どころか数分で和むんじゃないかと期待してね」

更新日:2012-10-06 06:46:01

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