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 それから一ヶ月、イーシュの影をティジットが見ることは無かった。
 奥方のお付きの仕事が立て込んでいたのか、ティジットの看病の間の仕事が溜まっていたのか。
 これまで神殿そばの神官の宿舎に部屋があったらしいが、奥方の私室のそばに部屋を与えられ、そこに住むことになったという噂も聞いた。
 神殿に出入りすることが減ったのだろう。
 窓の外でよく見かけたのも、見なくなった。
 おそらく神殿から奥方の執務室までの通り道だったのだ。
 時折誰かがイーシュの噂話をするので、元気に過ごしているらしいことは伺えた。

 眉ひとつ動かさずに、ティジットは黙々と業務をこなす。
 将軍直々に兵士の訓練つけたり、魔導術や呪術の本を紐解いたり、戦術の研究を重ねたり……。
 何事も無かったように。

 風のよく通る午後、ティジットはいつものように私室の窓辺の机に向かっていた。
 戦術書を開いていた手が、ふと止まる。

「……これでいいんです」

 ここから見えるのは、精霊祭の後、よくイーシュが見かけられた、鳥たちのさえずるこじんまりとした小さくて綺麗な庭だ。
 イーシュが通らなくなって、すっかりここも静かになった。
 そういえばこの庭は、元々そういう庭だった。


更新日:2013-08-03 21:44:23

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