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 そこでようやくティジットは歩を止めた。
 目の前には眼下の中庭をぐるりと回るように伸びた、廃墟のような柱廊が月光に照る。
 耳には誰の声も、何の物音も届かない。
 待ち望んでいた静寂に、ティジットはようやく表情を緩めた。

 そうして、どれくらいティジットがひとり佇んでいた頃だろうか。
 絵画のように静止していた、中庭を挟んだ向こうの柱の陰で、何かが動いた。
 怪しんだティジットは、目を凝らす。そして驚愕した。

「……!?」

 少女だった。
 月の光が降り立ったような、白いヴェールをまとった少女がひとり、月明かりに戯れていた。
 年の頃は十六、七というところだろうか。
 開きかけたつぼみのような、初々しくみずみずしい輝き。
 そして、なんという透明感だろう。綺麗という言葉では到底足りない。
 驚いたのは美しさのためだけではなかった。

「精……霊?」

 なにか、どこかに、とても人の手に染めてはいけないような崇高さが漂う。
 ティジットは近寄るどころか、瞬きすら忘れていた。

 その時間はわずかのことだった。
 いくばくも無く、月が雲間に隠れるようにさっと、少女はどこかへ消えた。

「ここは精霊の森と言われていますが、まさか本当に精霊がいたとは……」

 柱廊を渡って回り込み、少女のいた場所まで行ってみるが、すでにそこには誰もいない。ただ月明かりが静かに射しているだけだ。
 あたりを見回すが、どこも同じように眠りについていた。
 一本道ではない柱廊下はどこにでも隠れられる。
 到底、ここは館の人間が訪れるような場所ではないにしても、少女はそこに行ってしまっただけかもしれない。

 首を傾げながら辺りを見回るうちに、ティジットはそばに古い扉を見つけ、開けた。石の割れた、小さな階段が現れる。
 それを上りきると、視界が急に開けて、一面に小さな花々をつけた庭が広がった。
 目線には遠く、館の見張り台くらいしか見えない。空中庭園らしい。

「この館にこんな場所が……」

 ティジットは初めての場所に驚きながら、あたりを散策した。
 広くは無いが、小道を行き渡らせた庭は、一回りすると息をつきたくなるほどだった。
 戦続きで忘れられたのだろう。
 打ち捨てられているのか、手入れがされていない。だがよく見ると、かつては立派な庭だったことが花壇の石組などで、よく分かる。

 ティジットはそこらの石段に腰をかけ見上げる。先ほどの白い月が上っていた。この高さなのに、今日の月は一段と大きく見える。
 白い月の光が落とす青い影に、ティジットは思い出さずにはいられなかった。

「見たことのない少女でした……」

 浅黒いティジットの指が震えた。
 幻のように現れて消えた、精霊のように美しい少女。
 いや、もしかしたら、人間の少女のような美しい精霊だったのかもしれない。
 どちらでも同じだ。手に触れることはない。

 それでもティジットは、夢でも見ているように恍惚とした表情を浮かべて、いつまでも穏やかに、灰髪を柔らかな夜風に揺らしていた。




更新日:2013-08-03 20:43:15

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