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 一刻ほど前まで、けたたましく鳴り響いていた怒号と角笛の音は止み、あたりはそら恐ろしいほどの静けさに満ちていた。
 見渡す限り一面の無彩色。
 立ち上るくすぶる黒煙、焼き払われた灰色の大地。
 それは、かつてあった夢のように美しい白樺の森の残骸だ。

 今、そこらに転がるのは折れた剣に槍、地面に刺さったままの矢、倒れて動かなくなった馬、そして地面に滴り、どす黒く乾いた血、その主……。
 阿鼻叫喚の痕が、混沌とした戦場の記憶をまざまざと残す。
もうこの荒野には音はない。
 低く立ち込めた黒雲からは、小さな雨粒が零れ落ち始めてきていた。


 その荒野と変わった森の跡を見下ろす絶壁に、男が一人佇んでいた。
視線は遥か遠く、緩やかに流れる川の向こうに据えられている。
 肉眼でも微かに捉えられる、わらわらと動き回る黒い人だかりが、天幕を張り火をおこす。

「……っ……」

 男が顔をしかめた。
 暗赤の瞳を翳らすように、長く伸びたくせのある灰色の髪が揺れる。
細身だが、よく鍛えられた体つきの、少し浅黒い肌。
 すらりと伸びた長身に数種の鳥の羽を下げた錫杖を携えた姿は、一見して術士と見てとれる。
 まだ年は二十四、五といった容貌だが、纏う雰囲気はもっと落ち着いていた。

 ちらついていた雨は、いつしか豪雨に変わっていた。
 できたばかりの水溜りを撥ねらせながら、男のそばに従者か護衛らしい重装備の精悍な兵士がやって来た。
 男より年上だろう。熟練の兵、といった言葉が似合う。

「敵軍は川向こうに拠点を構えるつもりのようです。今の我々にできることはありません。ティジット将軍……帰還いたしましょう……」

 兵の遥か後方には、戦に疲弊した軍隊が砕かれたように力なく待機している。
 ティジットと呼ばれた男は感情を殺した顔で、静かに頷いた。

「……わかっている」

 そうしてまた戦の跡地に目をやった。
 降りしきる雨が、ティジットたちを容赦なくずぶ濡れにする。
 きっといつもなら穏やかな優しさを湛えているだろう端正な顔が、今は哀しみに曇った。


更新日:2013-08-02 08:38:39

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