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第9章 〈3〉




 青白い満月が、あたしを引きつける。

 目を開けても、月明かりに照らされた部屋はもう回ってはいなかった。


 もうそろそろ、ユーリはキンバスに着いただろうか。

――たしか、日没が期限だから……乗り込むのは……

 置時計を目の前に引き寄せてぎょっとする。

「やだ! もうとっくに夜じゃない!」

しかも、よく考えたら向こうの日没はこっちの日没よりもずっと早いはず。

 焦って、ネフェルティティに状況を聞こうと、となりでとぐろを巻いている彼女をゆすってみたが、「グウ」と一声鳴いてそっぽを向いてしまった。

 遠見は届かないし……。

――そうだ、「絆(リヤン)」……
 目をつむり、神経を研ぎ澄ます。

 東の方角に、じんわりと惹きつけられる感覚を覚え、ホッと息をついた。

――大丈夫……彼は生きてる

 竜の声が届かないような距離でも、ちゃんと彼を感じることができるなんて、改めて、「絆(リヤン)」のすごさとありがたさを身に染みて感じてしまう。

 王宮からは無事に脱出できたのだ。戦闘も「日付が変わる前には終わる」と言っていたし、彼は大丈夫。
 明日の夕方には、きっと誇らしげな笑顔のユーリをバルコニーで出迎えられる。

 会えなかった二日間分のキスをして、いっぱい抱きしめて、またいつもの幸せな生活に戻るのだ。

 向こうの状況を知りたいけど、やっぱりもう少し我慢しよう。終わればきっと一報入るはず。なるべく邪魔をしない方がいい。

 ベッドから降りてローブを掴みバスルームに向かった。
 


 湯気の上がったバスタブのそばで服を脱ぎ捨て、フィオナにもらったバラの香油をお湯にたらして、静かに身を沈める。
 天窓からは月の光が差し込んでいて、ガス灯に火を入れなくても視界ははっきりしていた。

 きっとユーリも同じ月の光の中にいる。

 ふうっと息をつき、絡まった髪をほどき始める。梳かしもしないで寝てしまったから、あちこち絡まってボサボサだ。
 無理やり引っ張ると、ブチブチと髪の引きちぎれる音がした。

――あーあ、ユーリが嘆くかも……。

 いつもだって、そんなに小まめに髪の手入れなどしていなかった。

 でも、ユーリはあたしの髪をいじくるのが大好きで、暇さえあればあたしの髪を指で梳いている。
 最近は髪を洗うのも拭くのも彼がやってくれていて、あたしが自分でやるよりもずっと丁寧で、絡まることなんてなかった。

――彼の指が恋しい。

 絡まったまま髪を洗い、布で適当に拭いて、ローブを羽織って帯を結びもせずにドレッサーの前に座る。
 ブラシで梳かしてはみるものの、毛が抜けるだけで絡まりは一向に改善されていない。

 自分の不器用な指が恨めしい。

 ほどくのが面倒になり、そのまま留めてしまえ、と髪をまとめてつかむ。
 サイドボードの上に置いた髪留めをとろうとして、それをとり落としてしまった。

 カシャンと床にはじき、オルゴールの下に滑っていく。

 あたしは、はあっと一つ、ため息をつき、床に手をついてオルゴールの下を覗きこんだ。

「わお、クレア、掃除も完璧」

 埃一つないオルゴールの下に手を伸ばし、髪留めを掴むと、何か床とは違う感触の物に手が触れた。
 どうやら、紙の様だ。

「……?」

 髪留めと一緒に引出し、確認する。
 あたしの字とはまるで違う、流れるような美しい書体。

「あ、手紙の続き……?」


――ちゃんと信じて待っていて。
  もし、目が覚めて、寂しくなったら聴いてごらん――

 昨日、ユーリのメモを取るときに、落としてしまったのかもしれない。

 もともとはオルゴールの上にあったんだから、これは多分、オルゴールのことを言っているのだ。

 そういえば、昨日、彼は天板を開けて、何やらごそごそといじっていた。

 何か細工でもしたのだろうか……?

 くすりと笑って、ぜんまいに手をかける。
 カチカチとそれを回して、天板の中につまみを差し込んだ。

――あれ……?

 曲が始まらない。

 何かに引っ掛かってしまったのか、ともう一度つまみに手を伸ばしたとたん、頭の中に衝撃が走った。

「うわっ、きたっ」

 さっきまであたしのとなりで寝ていたネフェルティティが、首を持ち上げて、光る眼をあたしに向けている。

「何、これ……」


 真っ暗な海、小さな黒い島影……。

……それから……――――


「やだ……、やだ……、なんで……?」

 彼女のイメージを受け取りながら、足の先から凍りつくように体が強張っていくのを、あたしはただ呆然と感じることしかできなかった。



 彼女が伝えてきたのは、濃紺の海に暗くはためく海賊旗を掲げた船団の姿だったのだ。







更新日:2013-08-29 09:08:26

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