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第8章 〈2〉
「もう一回、巻いてもいいですか?」
クレアがうっとりした顔でオルゴールに手を伸ばす。
さっきから何度目だろう。あたしと、クレアとフィオナとニナと、四人で代わる代わるにぜんまいを巻き続けている。
内部にセットするつまみの向きで、曲の終わりで止まるか、ぜんまいがきれるまでなり続けるかが選べるということが分かった。一曲が長いので、なり続けると言っても二回と半分くらいだ。
「いいんだけど、寒くなってきた……早くドレスが着たいんだけど」
ユーリのオルゴールは、あたしだけでなく、クレアたちの心も惹きつけてやまないらしい。
もちろん嬉しいのだけれど、曲がかかっているときはみんな手を止めて、聞き入ってしまうので、中々あたしの着付けが終わらない。
曲が止まる度に、皆働き始めるのだが、しばらくすると誰かがうずうずし出して、何度も何度も休憩が入る。
さっきから、コルセットの紐を閉めたり緩めたりの繰り返しで、その先に進まないのだ。
「うー、せっかく禊(みそぎ)は乗り切ったのに……」
あたしが震え始めると、三人は慌てて着付けを再開した。
あたしがなんとか心臓を止めずに禊を乗り切ったのは、恐らくユーリのおかげだ。
――――禊は、教会の裏の岩屋(小さな洞窟)に湧き出る冷たい泉で行う。なぜ早朝の一番寒い時間に凍るような水に入らなければならないのかとうんざりしながら、岩屋の中に入っていくと、不思議なことが起きていた。
いつもなら、岩屋の入り口に立った途端、中からひんやりとした風が流れてくるのだが、何故か今日は風が止まっていた。その時は特に気にならなかったのだが、先に中に入っていったニナが悲鳴を上げて飛び出してきた。
「お、お逃げください、お山の火の川が下りて来ました!!」
――噴火? ……まさか……こんなところで?
あたしが半信半疑で、止めるクレアの手をはずして中に入ったとたん、もわっとした空気があたしを包み込んだ。
ねっとりと絡みつく熱い空気は、まるで真夏の温泉の様だ。確かにただ事ではない。
すぐに非難を促さなければ、と、岩肌に手をついて向きを変えたところで、手に違和感を覚えた。
――岩が、冷たい……?
火の川が下りてくるのにそんなことがあるのだろうか。
そういえば、湯気が立っていない。ここは、地下の泉が湧き出ているのだから、火の川がもし近くを通っているのなら、まず泉の水が熱くなるはずではないだろうか。
もう一度振り返り、奥に向かって進んでいく。最奥の、ゆらゆらと水の湧き出る泉のふちに座り、恐る恐る手を入れてみる。
「……」
いつもの温度よりは少し高めだが、熱くはない。奥まで手を入れ、水の湧き出す岩の割れ目付近に手を当てる。
――冷たい……
どういうことだろう。
――もしかして……
立ち上がり、思いきり深呼吸する。
「やっぱり」
あたしが笑い出すと、岩屋の入り口から、ニナとクレアが恐る恐る顔をのぞかせた。
「大丈夫よ、噴火でも、火の川でもないわ」
火山独特の臭いは全くしなかった。
したのは、本当に微かだったけれど、お陽様とハーブの香り。
ふと、入口付近の岩に見たことのある革ひもがかかっているのを見つけ、手に取って、クレアたちに掲げて見せる。
「竜の牙……? なぜこんなところに……?」
クレアが首を傾げる。
昨日、トゥレニの花嫁衣装を着るときに外して、ドレッサーの上に置いておいたものだ。多分、ユーリが部屋にオルゴールを運び入れた時に持ち去ったのだ。
きっと、この温かさは、ユーリが何らかの方法で、空気に魔法をかけたに違いない。
「優しい花婿が、誓いのキスのときに花嫁が鼻をたらさないように、気を使ってくれたのよ」
どうやら、彼は「ベールを上げた時に笑わない自信」がなくなってしまったらしい。
あたしが笑い転げると、クレアとニナがきょとんとして顔を見合わせた――――
クレアがうっとりした顔でオルゴールに手を伸ばす。
さっきから何度目だろう。あたしと、クレアとフィオナとニナと、四人で代わる代わるにぜんまいを巻き続けている。
内部にセットするつまみの向きで、曲の終わりで止まるか、ぜんまいがきれるまでなり続けるかが選べるということが分かった。一曲が長いので、なり続けると言っても二回と半分くらいだ。
「いいんだけど、寒くなってきた……早くドレスが着たいんだけど」
ユーリのオルゴールは、あたしだけでなく、クレアたちの心も惹きつけてやまないらしい。
もちろん嬉しいのだけれど、曲がかかっているときはみんな手を止めて、聞き入ってしまうので、中々あたしの着付けが終わらない。
曲が止まる度に、皆働き始めるのだが、しばらくすると誰かがうずうずし出して、何度も何度も休憩が入る。
さっきから、コルセットの紐を閉めたり緩めたりの繰り返しで、その先に進まないのだ。
「うー、せっかく禊(みそぎ)は乗り切ったのに……」
あたしが震え始めると、三人は慌てて着付けを再開した。
あたしがなんとか心臓を止めずに禊を乗り切ったのは、恐らくユーリのおかげだ。
――――禊は、教会の裏の岩屋(小さな洞窟)に湧き出る冷たい泉で行う。なぜ早朝の一番寒い時間に凍るような水に入らなければならないのかとうんざりしながら、岩屋の中に入っていくと、不思議なことが起きていた。
いつもなら、岩屋の入り口に立った途端、中からひんやりとした風が流れてくるのだが、何故か今日は風が止まっていた。その時は特に気にならなかったのだが、先に中に入っていったニナが悲鳴を上げて飛び出してきた。
「お、お逃げください、お山の火の川が下りて来ました!!」
――噴火? ……まさか……こんなところで?
あたしが半信半疑で、止めるクレアの手をはずして中に入ったとたん、もわっとした空気があたしを包み込んだ。
ねっとりと絡みつく熱い空気は、まるで真夏の温泉の様だ。確かにただ事ではない。
すぐに非難を促さなければ、と、岩肌に手をついて向きを変えたところで、手に違和感を覚えた。
――岩が、冷たい……?
火の川が下りてくるのにそんなことがあるのだろうか。
そういえば、湯気が立っていない。ここは、地下の泉が湧き出ているのだから、火の川がもし近くを通っているのなら、まず泉の水が熱くなるはずではないだろうか。
もう一度振り返り、奥に向かって進んでいく。最奥の、ゆらゆらと水の湧き出る泉のふちに座り、恐る恐る手を入れてみる。
「……」
いつもの温度よりは少し高めだが、熱くはない。奥まで手を入れ、水の湧き出す岩の割れ目付近に手を当てる。
――冷たい……
どういうことだろう。
――もしかして……
立ち上がり、思いきり深呼吸する。
「やっぱり」
あたしが笑い出すと、岩屋の入り口から、ニナとクレアが恐る恐る顔をのぞかせた。
「大丈夫よ、噴火でも、火の川でもないわ」
火山独特の臭いは全くしなかった。
したのは、本当に微かだったけれど、お陽様とハーブの香り。
ふと、入口付近の岩に見たことのある革ひもがかかっているのを見つけ、手に取って、クレアたちに掲げて見せる。
「竜の牙……? なぜこんなところに……?」
クレアが首を傾げる。
昨日、トゥレニの花嫁衣装を着るときに外して、ドレッサーの上に置いておいたものだ。多分、ユーリが部屋にオルゴールを運び入れた時に持ち去ったのだ。
きっと、この温かさは、ユーリが何らかの方法で、空気に魔法をかけたに違いない。
「優しい花婿が、誓いのキスのときに花嫁が鼻をたらさないように、気を使ってくれたのよ」
どうやら、彼は「ベールを上げた時に笑わない自信」がなくなってしまったらしい。
あたしが笑い転げると、クレアとニナがきょとんとして顔を見合わせた――――
更新日:2013-08-26 21:04:19