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そこは、まさに修羅場だった。
昭和五年十月二七日午前八時霧社小学校は荒れ狂う反乱部族の怒濤の襲撃により、阿鼻叫喚の巷とかした。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)は昭和五年一〇月二九日の霧社事件第一報『台湾軍司令部発二七日午後七時四二分陸軍省電』として、『今朝来、台中州霧社付近の生蕃人が突如反乱をおこし同地付近の駐在所を襲撃したため駐在所は全滅するに至ったので総督よりの要求により飛行機をもって偵察せしめるようとりあえず処置す』と報じている。
さらに昭和五年一〇月三〇日、霧社蕃騒擾事件詳報として、『台中州能高郡霧社蕃界一帯に蜂起した蕃人数百名は二七日午前七時にまず警察電話線を全部切断して通信機械を壊滅した上、霧社小学校の運動会で警察官が会場に出払っているすきを見計らって霧社警察の分室を襲い武器庫にあった数十梃の小銃や弾薬を略奪、ここでも行き掛けの駄賃とばかりに警察官舎を襲撃し、恐怖に顔を引きつらせて逃げ惑う女子供を含めた数人をいとも簡単に馘首している』とある。
その襲撃がいかにすざましいものであったか、私は母和子から何度も聞かされた。
母和子は、直接霧社事件には遭遇していない。しかしそれは全くの偶然でしかなかった。歯車の回転が一つ進むか遅れるかしていたら、間違いもなく霧社事件に遭遇して一命を落としていただろう。
それは正しく運命の誤差と云うべきものだった。
当時和子は昭和三年に父豊次と結婚し、霧社から一七、八キロくらい奥のトンバラ駐在所に住んでいた。たまたまマラリアに罹り、さらに目まで患い、失明するかもしれないという埔里の医者の紹介で台北病院に入院するため夫婦で台北へ向かっていた。
入院の手続きをしている最中に霧社事件はおき、電話で呼び出された父豊次は和子を病院に残したまま霧社へ飛んで帰った。
後日、おなじトンバラ駐在所勤務の巡査の妻で、辛うじて襲撃の惨禍から免れた金城満子はその襲撃の模様を母に語っている。
その夜、金城満子はトンバラ駐在所の官舎で、まだ幼い娘に添い寝をしていた。夫は明日霧社で行われる運動会の式典に郡守が出席するということから、警備に駆り出され留守だった。
突然男たちの「蕃襲!」「蕃襲!」という絶叫がして飛び起きた。蕃襲とは、蕃人の襲撃と言う意味で、警察官の妻達が最も恐れていた言葉である。
その言葉を聞いた途端、満子は恐怖で気を失っていた。
我に返ったとき、何故か彼女は便所の中にいた。
便所から覗くと隣屋では、何本もの松明が忙しげに動き、男たちが不気味な叫び声をあげていた。
次の瞬間、別な一団が蕃刀をかざして部屋に入ってきた。
男達の目は血ばしり、すでに取った首の髪の毛をつかんで振り回しながら、何か意味不明の言葉をわめき散らしていた。
血が四方に飛び散り、回りの男達の顔も飛び散った血糊で真っ赤になっていた。血で真っ赤に染まった顔の中で目だけが異様に光っていた。
次の瞬間、彼女はまた恐怖で気を失った。
気が付いたとき、どういう訳か今度は、便壺の中に体を沈めていた。頭を上げ、薄目をあけて横をみると、破れた便所の扉から台所の状況が見えた。乱雑に物が置いてある台の上になぜか自分の子供が仰向けに寝かされていた。娘も恐怖で気を失っているのか、ぴくりともしない。
やがてタイヤル族の一人が、蕃刀を大上段に振りかぶった。
一瞬、大声を出そうとして彼女はその声を飲み込んだ。
子供を救う気持より、自分が助かりたい気持ちの方が勝った。
彼女は自分の子供が大根のように、首を落とされるのを茫然と見ていた。一瞬血が笹笛のような音を立てて天井に散った。そして次の瞬間、また気を失ってしまった。
「人間って結局自分が生きたいって気持ちのほうが強いのね」と金城満子は和子に何度も語った。その金城満子も、目の前で自分の子供が殺されるのを、救えなかったことの悔しさから精神に異常をきたし間もなく自殺した。
昭和五年十月二七日午前八時霧社小学校は荒れ狂う反乱部族の怒濤の襲撃により、阿鼻叫喚の巷とかした。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)は昭和五年一〇月二九日の霧社事件第一報『台湾軍司令部発二七日午後七時四二分陸軍省電』として、『今朝来、台中州霧社付近の生蕃人が突如反乱をおこし同地付近の駐在所を襲撃したため駐在所は全滅するに至ったので総督よりの要求により飛行機をもって偵察せしめるようとりあえず処置す』と報じている。
さらに昭和五年一〇月三〇日、霧社蕃騒擾事件詳報として、『台中州能高郡霧社蕃界一帯に蜂起した蕃人数百名は二七日午前七時にまず警察電話線を全部切断して通信機械を壊滅した上、霧社小学校の運動会で警察官が会場に出払っているすきを見計らって霧社警察の分室を襲い武器庫にあった数十梃の小銃や弾薬を略奪、ここでも行き掛けの駄賃とばかりに警察官舎を襲撃し、恐怖に顔を引きつらせて逃げ惑う女子供を含めた数人をいとも簡単に馘首している』とある。
その襲撃がいかにすざましいものであったか、私は母和子から何度も聞かされた。
母和子は、直接霧社事件には遭遇していない。しかしそれは全くの偶然でしかなかった。歯車の回転が一つ進むか遅れるかしていたら、間違いもなく霧社事件に遭遇して一命を落としていただろう。
それは正しく運命の誤差と云うべきものだった。
当時和子は昭和三年に父豊次と結婚し、霧社から一七、八キロくらい奥のトンバラ駐在所に住んでいた。たまたまマラリアに罹り、さらに目まで患い、失明するかもしれないという埔里の医者の紹介で台北病院に入院するため夫婦で台北へ向かっていた。
入院の手続きをしている最中に霧社事件はおき、電話で呼び出された父豊次は和子を病院に残したまま霧社へ飛んで帰った。
後日、おなじトンバラ駐在所勤務の巡査の妻で、辛うじて襲撃の惨禍から免れた金城満子はその襲撃の模様を母に語っている。
その夜、金城満子はトンバラ駐在所の官舎で、まだ幼い娘に添い寝をしていた。夫は明日霧社で行われる運動会の式典に郡守が出席するということから、警備に駆り出され留守だった。
突然男たちの「蕃襲!」「蕃襲!」という絶叫がして飛び起きた。蕃襲とは、蕃人の襲撃と言う意味で、警察官の妻達が最も恐れていた言葉である。
その言葉を聞いた途端、満子は恐怖で気を失っていた。
我に返ったとき、何故か彼女は便所の中にいた。
便所から覗くと隣屋では、何本もの松明が忙しげに動き、男たちが不気味な叫び声をあげていた。
次の瞬間、別な一団が蕃刀をかざして部屋に入ってきた。
男達の目は血ばしり、すでに取った首の髪の毛をつかんで振り回しながら、何か意味不明の言葉をわめき散らしていた。
血が四方に飛び散り、回りの男達の顔も飛び散った血糊で真っ赤になっていた。血で真っ赤に染まった顔の中で目だけが異様に光っていた。
次の瞬間、彼女はまた恐怖で気を失った。
気が付いたとき、どういう訳か今度は、便壺の中に体を沈めていた。頭を上げ、薄目をあけて横をみると、破れた便所の扉から台所の状況が見えた。乱雑に物が置いてある台の上になぜか自分の子供が仰向けに寝かされていた。娘も恐怖で気を失っているのか、ぴくりともしない。
やがてタイヤル族の一人が、蕃刀を大上段に振りかぶった。
一瞬、大声を出そうとして彼女はその声を飲み込んだ。
子供を救う気持より、自分が助かりたい気持ちの方が勝った。
彼女は自分の子供が大根のように、首を落とされるのを茫然と見ていた。一瞬血が笹笛のような音を立てて天井に散った。そして次の瞬間、また気を失ってしまった。
「人間って結局自分が生きたいって気持ちのほうが強いのね」と金城満子は和子に何度も語った。その金城満子も、目の前で自分の子供が殺されるのを、救えなかったことの悔しさから精神に異常をきたし間もなく自殺した。
更新日:2012-10-02 07:08:58
